お粗末がお粗末を嗤う | 群衆コラム

群衆コラム

耳目を惹きつけて止まない話題の数々。
僭越ながらお届けいたします。

クイズの司会をやりながら、

回答者のありように

世代間の断絶を感じ取っていた児玉清さん。

どうしてそんなことを思ったのか。

回答者たちが、

常識を問う問題に答えられなくなってきていたからである。



おじいちゃんおばあちゃん、おとうさんおかあさんから

脈々と受け継がれてきた知識があったら

当然答えられるはずの問題に答えられない。

それがとくにあらわれるのが文学、政治の分野だという。

40代から下の世代はだめなんだそうです。答えられない。



へえ、そんなものですかと読み進めていくと、

問題が出ていた。

「降る雪や」ではじまる中村草田男の俳句の下の句は?

・・・・・・答えられませんでした。

正解は「明治は遠くなりにけり」。

聞いたことはあったけれど、知らなかった。

児玉さんのおっしゃっていることは当たっている。

児玉さんが言うところの常識はたしかに途絶えている。

わが身が証明してしまった。



常識とは、みんなが知っていてあたりまえの知識である。

みんなが知っているから、話に使える。

話が成り立つ。

古典落語なんかにはそういう要素が多い。



たしか三遊亭圓歌師匠がおっしゃっていた。

「むかしは噺家にない教養をお客席が補ってくれていた。

それで落語が成り立っていた。

いまは教養もこっち(噺家)に来ちゃったから、

落語を説明しなきゃならない。

こんなばかな話はないよ」と。



下の世代の言葉をわたしはお粗末と思う。

そういうわたしの使う言葉も

上の世代から見たらお粗末に違いない。

わたしが感じているのとおなじいらだちを、

わたしに対して感じている人もいることだろう。

その人に申し訳なかったと思えば、

心の中のいらだちもいくらか和らぐ。

いや、このいらだちは

和らげてはいけないものかもしれない。