プロムナード -16ページ目

プロムナード

古いこと、新しいこと
いつでも、どこでも
思いつくまま、気の向くまま


システムが動いているという状態をハードウェアとソフトウェアという2つの要素で分析すると、完全に稼働していても、そこに盲点があることに気付く。

システムが正しく動くということは、開発者から見て、「期待した通りの動きをする」ということなのだが、それを以ってハードウェアもソフトウェアも正しく動いているということにはならない。なぜか?
 
それは、
 
正しくないハードウェアの上で正しくないソフトウェアが走った場合、正しくない同士が相殺されて、結果が正しいということもあるということなのだ。

これは盲点である。

システムとしては問題なく稼働が可能であったとしても、論理が逆となっている場合には、別のシステムと連系させると途端にエラーが発生してしまうことがあるという事を意味しており、コンピュータでいうと、バグがないといわれるソフトウェアがバグのあるハードウェア上で検証された結果だとすれば、ソフトウェアにバグがないということにはならないのだ。
 
 
こういう考え方は様々な分野で応用が可能だ。写真は3V出力のACアダプタだが、出力電圧の実測値は7Vと出ている。しかも内部抵抗の低いアナログテスターでの読みだから、実際はもう少し高いかもしれない。機器に故障が生じた場合、電気系エンジニアであればまず電源電圧から確認していくものだが、まさかというところに盲点があるということを知っておくべきだろう。

間違った環境の中での間違いは正しいかもしれないし、間違った環境の中での正しいは、間違いかもしれない。
 
これまであまり意識したことがなかったのだが、 最近気付いたことの一つに、
 
カタカナの持つ魔力というか破壊力
 
がある。
 
この写真は古い頓服薬。右書きだから戦前から戦後間もないころの薬だろう。「トンプクかぜぐすり熱の母」、及び「ネツトリハハ熱の母」というコピーがあるので、「熱の母」というのが商品名の様だ。高級新薬セキドメの母らしい。ところが左側に「トンプクはらぐすり胃腸の母」というコピーもあるので、風邪薬と胃腸薬が同居しており、事態はかなりややこしい。
 
しかし、何と言ってもキャッチーなのは、中央で時計(ただし、長針と短信の長さが同じ)を抱きかかえた国籍不明なハチマキ男性が実にアヤシすぎること。また、彼の不思議な形をしている腕の先にある指で示すところに「二十分デナオル」と書いてあるのも、怪しさに拍車をかける。「この人に勧められてもなぁ」という気がしないでもない。
 
この図案を立案した人にぜひ会ってみたいものだ。因みに、「乃木製薬研究所」とあるがネット検索ではヒットしない。
 
 

ところで、商品名にカタカナを用いたものはたくさんあるが、カタカナの与える印象に就いて考えてみると、カタカナは外来語を表記する場合に用いられることから、何か「ハイカラ」なイメージや精鋭的、斬新的なものという先入観を与える高架がありそうだ。或いはおしゃれな感覚も与えているかもしれない。上記の写真に示す宣伝がハイカラかオシャレかはともかく(当時はそうだったかも?)、インパクトがあることは確かだろう。

一方、カタカナ書きで表すことによって、例えばケータイの様に本来の広義として示す物事を離れて独自の商品群を示すことがある。「ケータイ」とカタカナ書きすれば、携帯電話やスマホといった商品の総称となる。

薬の名前を見てみると、現在もカタカナを使ったものが多く存在しているが、薬品の名称としては薬効成分の名前そのものか、それを基にした造語が多い様だが、昔の商品名にはそれとは別のユニークな、ある意味コミカルなネーミングのものがある。
 

こういう遊び心的なネーミング、もちろん現代にも多く存在するが、あまり奇をてらった名称でない限り、消費者に簡単に記憶してもらえる上、意外と好感度は高いかもしれない。
 
 

小生、かれこれ5年ぐらい一行日記を付けている。要はメモだが。

 

日記と言えば小学生の頃に書かされて以来、長くて数か月で続かないのが常だったが、その理由は長く書こうとするからで、一行以上は書かないとすれば案外続くものだ。もちろん書き忘れることもあるが、そんな時は後日必ず思い起こして書き記しておく。書く内容はその日にあった事を出来るだけ一行にまとめる。全部入るわけないから、記憶に残ったことを書く。日記というより、日報の様なものだ。

 

だが、一つだけルールがある。

 

それは、「今までやったことがなく、その日に初めてやったことを書く」ということ。これ、実際には一日に一つぐらいあるはずなのだが、意識しないと見出せない。なので、夜になって、もしも本当に今日したことは以前と同じだと思ったら、なんか違うことをやるのだ。簡単なことでいい。例えば階段を後ろから昇るとか、風呂に入る時に右足から入るとか、とにかくこれまでの記憶ではやったことがないと思しき事をして記録するのだ。これが小生の一行日記である。

 

こうやって続けてみると、数年前のことであっても記されているたった一行を見ただけで、その時の記憶が蘇る。写真を見ると思い出すことはよくあるがそれと同じ。その瞬間のことだけではなく前後のことまで記憶が戻るからフシギなものである。

 

小生、人間は産まれてから死ぬまで見たものを全て記憶するに足りる脳容積を持つと考えている。生涯100年間に於ける視覚からの総記録量は120TBitになるという。一方、脳細胞の概数は140億といわれているので、これらのシナプス連結を鑑みて計算すると140TBit。 忘れるということは、記録がフラッシュするのではなくインデックスが破損しているだけであって見た記憶は総て残っていると思っている。

 

人は見たものをすべて記憶しているか - 写真による連想記憶

http://ameblo.jp/millimeter-wave/entry-11697200390.html

 

一行日記は、この様に記憶を引き出すトリガーとして働く。そのためには、記憶に残りやすい「それまでやったことがない」ことをして、それを記録する。そうすることによって他の記憶との分離が可能になり、その記憶と連鎖的に記憶していることも後日簡単に再生させることが出来るのだ。

 

この日記を書き始めたきっかけは、10年日記なる日記帳をリサイクルショップで見つけたことだった。この日記帳、一日が1ページとなっていて10年分に分割されており、同じ日の10年分の行動が一度に読めるという日記なので買った。しかし、これまでの事例の様に、わざわざ日記帳を開くということが習慣とはならず、結局あちらこちら歯抜けのまま1年ぐらいが過ぎてしまったので、それはそのままとなってしまったのだが、一行日記はいいかもしれないと考え、その後は日記帳を使うのでなく、パソコンを使って書くこととし、しかもどのパソコンからも書ける様、日記ファイルの格納場所としては複数端末からのアクセスが出来るクラウドサーバーを用いることにした。

 

 

具体的には以前からメモとして使用しているEverNoteを使った。ここに日記ページを設け、PCからでもタブレットからでもスマホからでも書ける様にした。これが奏功し、書き始めてから既に5年の歳月が経っている。尤も、途中でEverNoteの戦略が変わり、複数台数からのアクセスは有料となってしまったので、しかたなくアカウントをEverNote pulsにアップグレードしたのだが、費用といっても年間3100円だし、EverNoteは他にも使っているので、アップグレード後の容量が1G/月まで上がるというのは、まぁ有り難いのでもあるので、そのまま使用し続けているところでもある。

 

こうやって、気楽に一行だけ書き綴るという程度の負担は全然苦にならないし、数年前のほんの些細なことであっても、これを見ると全部覚えていることが分かる。しかし、このトリガーがなければ一生思い出さすこともないだろう。むしろ書かないと何か忘れ物している様で歯がゆい。また、数日書き忘れたときなど、一生懸命思い出そうとすると、なんとなく記憶の訓練をしている様で、ボケ防止になるかも、なんて思ったりもしている。

 

それに、変な事件に巻き込まれたときのアリバイにもなるかもしれない。

アキバでQi規格のiPhone用ワイヤレス給電器セットが754円で売られていた。送電パッドと受電コイル、さらにUSBケーブル付きだから、かなり安い。この値段だったら、ということで調達し、電磁誘導方式でどの程度の給電能力があるのか試してみることにした。

 

現在、ワイヤレス給電については、このQi規格という電磁誘導方式が主流になっているが、今後の方式としてはA4WPによるAirFuelという磁界共鳴方式が主流になると言われている。

 

理由はAirFuelの方が給電面積が広く深く(高く)取れるということ、つまり送電受電間の距離を広く取れることがポイントであるが、6.78MHzという免許不要なISM電波帯域を使用するということを証明する法整備調整などがようやく終了したという段階なので、Qiに比べると磁界共鳴のAirFuelの出現は、相当出遅れていることは確かだ。いきおい、現在市場に出ているワイヤレス給電の方式は基本的にすべてQi規格のものである。しかし、使い勝手という点からいえば距離と場所に柔軟性がある方が使い易いはずなので、巷で言われている通り、いずれは磁界共鳴方式に統一されていくだろう。実際、AirFuelのアライアンスには電力を高効率で伝送制御するための回路を提供する半導体メーカーやパナソニック、ソニーなど国内外のエレクトロニクス機器メーカー、さらにパソコン、携帯スマホのLenovo、NTT-Docomoなどが参加している。

 

さて、くだんのQiによるワイヤレス給電セットを早速テストしてみた。

 

 

製品は中華製品。製品名が箱に書いてないので正しいかどうかわからないが、送電パットの裏に貼られたシールにはGPD-1011と書いてあるのでこれが正式名称だろう。シールに書かれた仕様は次の通り。

 

Input:    5V、2A

Output: 5V、1.5A

 

となっている。

 

箱の中には中国語と英語で書かれた使用上の注意の「ぺら紙」が一枚だけ入っているのが、これは単なる注意書きであって使用方法に関する記載は全くないので、この充電方式の原理的なことを理解していない人は使用する上で戸惑うかもしれない。

 

とはいえ接続は簡単だ。送電パットをマイクロUSBケーブルでACアダプタにつなぎ(ACアダプタは同梱されてない)、受電コイルをiPhoneのライトニング端子に接続し、iPhoneとケースの間に挟む。そして両者を隣接させると、マッチングが取れて送電ユニットの緑のLEDが点滅し始める。これでめでたく送電が開始。

 

な、はずなのだが実際にはそう簡単には行かないのである。

 

まず第一の問題は、充電中を示すLEDが点滅していても充電しない場合があるということ。

 

送受電間がカップリングされていればLEDが点灯するものの、十分な電力が供給できていなければ、充電は出来ない。つまりLED表示は当てにならないということだ。従って充電に十分な電力が供給されているかどうかを確かめるためは、電力供給が行われているかどうかをチェックする必要があるのだ。そこでチェック用として電流計を間に入れることした。尤も電流計と言っても、アキバで調達可能な両端がUSB端子となっている簡易型の電圧電流計で十分なので、それを用いることとする。

 

ところが次の問題は、受電コイルとiPhone間の電流が計測できないこと。

 

電流の計測箇所が送電側であればADアダプタと送電パッドの間に挿入して計測出来るのだが、本当に知りたい箇所は受電コイルとiPhoneの間ということが問題なのである。

 

つまり、受電コイルとiPhone用のライトニング端子はフレキケーブルで直結されているため、電流計をその間に入れられないことが問題なのである。もちろんライトニングのコネクタ(メス)とUSB-A(メス)のアダプタがあればよいのだが、手元にないしアキバでも殆ど見た覚えがないので入手は難しそうなのだ。

 

従って送電側での電力を管理するしかないのだが、まぁ送電電力と受電消費電力は概ね「比例的」な関係にあるはずなので、電流値の絶対値はともかく、相対的な差が判れば充電状況は分かるとしよう。

 

そうやって送電パッドへの電流供給を測定してみた結果、受電コイルへの給電点であるスイートスポットは極めて狭いことが分かった。また、LEDが点滅していても、実は充電していない場合が極めて多く発生することが分かったのだ。

 

 

実際、LEDが点滅していても充電しない時の電流値を見ると、極めて低い電流値となっている。これを見出すためには電流計が必須でなのだが、一般消費者には如何なものか。つまり、ワイヤレス給電商品としてはまだ発展途上と言わざるを得ないのだ。

 

ところで、これがQiの一般形なのかどうかを確認すべく、別の機種を調達してみた。こちらは送電パットだけで500円というもの。ただし、こちらもメーカー名はおろか商品名すらも不明だが仕様は(Input: 5V/2A、Output: 5V/1.5A)となっていて、上述機種よりも少し電力は大きい様だ。

 

これを用いて充電してみたところ、送電側の電流値は1Aを超えた。GPD-1011の最大値が0.9A程度だったので、それより大きな値となっていた。そこで今後はこちらの方を用いることにした。

 

結果、ポジショニングさえマッチングすれば、十分な伝送効率で充電することが分かった。ただし、そのポジショニングはこの機種でも相当にシビアであり、やはり電流計を用いて探るしかない。これは相当に厄介な問題であり、実用性としては無理があろう。

 

Qi製品に関するインターネット販売の掲示板などをみると、充電できないとか、或いは充電時間が気が遠くなるほど長いとかの投稿が極めて多いが、この理由は先に述べた様に充電を示すLEDが点灯や点滅していても、マッチングが不完全なために実際は受電していないという状態が災っているということなのだと考えらえれる。

 

おそらくこれがQi方式の限界なのだろう。一方、磁界共鳴方式は送受電間の距離やポジションはかなり柔軟だ。

 

それを考えると、ワイヤレス給電の本命は磁界共鳴方式だろう。

 

とはいえ、せっかく買ったワイヤレス給電装置なので使用することにしたのだが、iPhoneの様なミッションクリチカルデバイスへの充電にはこれまで通り有線による充電を行い、Qiによる給電は遊び的な使い方をしているiPadの充電に使うことにした。また、iPadに使うと送電パッドに多いかぶせるように置くことになるのでLEDの状態が見えなくなるため、写真の様に裏返しにしたiPadの上に置く様にした。

 

 

磁界共鳴方式が出るまでこれを使い続けれるか、それを待ちきれずに再び有線式に戻るか、さてさて。。。

明けましておめでとうございます。

 

小生、神社のおみくじが好きなので行けば必ず引く。神社をハシゴする時にも各神社で引く。ハシゴなどしない方が良いという話も聞くが、違反ではないし、そうしたいのでそうしている。信じるとか信じないということより、話のネタにもなるからそうしたいのだろう、と思う。

 

今年の元旦には3つの神社へ行き、もちろんおみくじを引いた。3つ目に訪れた乃木神社だったが、そこで、

 

小生的な奇跡を体験したのでメモっておこう。

 

乃木神社

 

時は今年2017年1月1日の夕方。神社参拝を終えて、いつもの様におみくじを引いた。結果は「凶」だった。

 

これまで大凶を引いた経験はないが、凶は数年前に浅草寺で引いたことがある。小生、凶は愛嬌の「嬌」じゃないかと思っているのだが、書かれた文言がなんとも面白い。そこで凶が教示するパラメータを神社別に比較してみた。ここ数年、おみくじは保管しているので比較が可能だ。

 

凶に書かれたパラメータ値の比較

 

この様に、同じ凶であっても神社によって文言がかなり異なることが分かる。浅草寺ではボッコボコに叩きのめすのに比べると乃木神社はかなり優しい。この辺りは神社の人柄(と言ってよいのかどうかわからないが)に起因するものなのかもしれない。

 

おみくじのランク付けだが、これに就いては神社本庁のホームページに記載された箇所がある。

 

http://www.jinjahoncho.or.jp/iroha/omairiiroha/omikuji/

 

『一般的に「おみくじ」は、個人の運勢や吉凶を占うために用いられているわけですが、種類もいろいろとあり、神社ごとに工夫も窺うことができます。その内容には、大吉・吉・中吉・小吉・末吉・凶という吉凶判断、金運や恋愛、失(う)せ物、旅行、待ち人、健康など生活全般に亙る記述を見ることができます。また、生活の指針となる和歌などを載せているものもあります。』

 

大吉が一番良くて、凶が悪いのはわかるが、それ以外についてどんな順番になっているかとは書かれていないが、記述の順序がランク付けを暗示するものと解釈することは可能だ。神社によって若干ランク付けの差があるようだが、おおむねこの見解がデフォルトとして考えてよさそうだ。

 

それぞれの含有比率については、元々はおみくじを発明した慈恵大師良源という僧侶が書いた元三大師御御籤帳(げんさいだいしおみくじちょう)によるものだそうで、大吉16%、吉35%、凶29%と定め、その他の20%は各神社にてローカルに定めて良いというものだったそうだ。因みに浅草寺では凶が出やすいというのは、この定めに忠実だからだという。これによると大吉よりも高いことが分かる。別に浅草寺が「どエス」だからということではなさそうだ。

 

なお、一般的には、これらの含有比率は東京都内の確率は次の様になっているらしい。

 

東京都、おみくじ含有比率


閑話休題。

 

さて、くだんの乃木神社でおみくじを引いた結果は凶だった。参拝後の時間も十分あるし、これは再挑戦してもいいなと考えた。そこで同じ境内だが場所が違うところで再度おみくじを引いた。その結果がこれである。

マジか。。。。

 

乃木神社のおみくじ番号は46

 

乃木神社で「46」かよ!

 

46という数字、これは乃木坂46ファンにとって、極めて強烈な番号だ。しかも乃木神社で、というのが我ながら凄いことだ。こうなると凶でも吉でもなんでもよく、そんなことを超越して小躍りした。今年は幸先がいい。こういうことに遭遇するとほくそ笑む。

 

これは、凶を引いた後、そのまま落ち込むことなく再挑戦して達成したことだ。

巷では、「凶を引いたからといって狼狽し、たて続けに引くものじゃない」と言うらしい。が、人は人、自分は自分だ。自分は可能な限り、好きなだけやるべきだと思う。

 

二度引きした結果


人生には二つある。「やればよかった」の人生と、「やらなければよかった」の人生。

 

「やればよかった」は、あの時もう一歩進めばよかったと思うだろう。一方、「やならければよかった」は自己責任でやったことだから、まあ仕方ないと思える。

 

小生は絶対的に後者を取る。もちろん自分の能力を超える無茶は別だが。

 

と言っても、おみくじ二度引きを正当化しようとして言っているわけではなく、好きなだけやったということであり、思いがけずの結果が出て、「そうだろ、そうだろ、とほくそ笑む正月」であったということをメモっておきたいだけだ。おそらく一生忘れない正月になったことは確かだと思う。

 

失敗することよりも、失敗を恐れて何もしない方が情けない。今年もそういう気持ちで進むことを再確認した正月であった。

乃木坂46のコンサートチケットが入手困難になって久しい。デビューから4年9カ月で、シングル盤のトータル出荷枚数が1000万枚を超えているというから無理もない話だ。ここまで成長してくるとキャパ的にも通常のコンサートホール規模では収容しきれず、いきおい、「難民」たちが溢れるのが当たり前の状況になって来ているということだろう。ファンにとって、それだけメジャーになってきたことはウレシイことではあるが、一方、コンサート参戦がままならなくなり、自分が置き去りにされたような空虚感を味わうことが増えたことも事実である。今後、運営はスタジアム規模での動員を検討する段階になってきたと思われる。

 

こういう状況下で、必ず出現するのが転売屋だ。そもそも転売というのは、やむなく参加出来なくなった人のチケットを難民へ正規料金で譲渡することであり、転売行為は平和的な解決策であるはずなのだが、問題はこの転売の価格にある。

 

因みに、あるチケットサイトを見てみよう。チケット当選発表から僅か数時間後に投稿されたものだ。

 

 

これは乃木坂46の主要メンバーである橋本奈々未の卒コンチケット(8,800円)の希望転売価格だが、実際の成立価格を見ると、これほどではないにしても正規料金の3~5倍ぐらいで売買されている様だ。価格は需要と供給のバランスで産まれるのは確かであるし、それが市場原理だということは理解しているが、運営がそれを黙認しているというのは如何なものかと思う。転売目的の輩が抽選に当選し、正当なファンが落選、正当なファンは転売屋から不当な料金でチケットを購入せざるを得ないといった事態が多く発生していることに対して、手をこまねいているのは如何なものか。メーカーと消費者の間に商社が入るのと同じ、という論理とは全く異なる。不当な利益を得る商社は確実に滅び、制裁を受ける。商品に対しのどから手が出るほど欲しいのだったら幾らでも高く売れるという手法を取る商社は確実に滅んでいる。当たり前のことだ。

 

運営は、こういう不当転売を回避すべくいくつかの対策を施してはいるが、どれも素人レベルのやり方であり、真摯な対応として正当なファンを守ることには至っていない。早い話、運営にとっては「幾らで転売されようが関係ないから」というところが本音ではないか。しかし、このままでは難民は増える一方であり、救済措置を講じなければ難民が去っていくのは自明の理だ。たとえ転売に対する法的な手段が手薄であっても、今こそ運営の手腕としてファンを守るという「行動力」が問われる段階にあると思う。

 

そもそも転売屋を徹底排除する掃討作戦を講じることが大切だ。顔認証を導入するのも良い。コスト計算はその次のことだ。まずはファンを逃がさないことが先決だ。

 

一方、こういう場合は売り手は性悪説を取るのが定法であるべきだから、ファンはそれをデフォルトと考えて慣れることが必要だ。それを当たり前として受け入れてこそファンだと思う。

 

とにかく運営が早急に起こす行動は、やむを得ぬ事情により参加できなくなったファンのチケットを落選の難民へ正規価格で転売する仲介を行うことだ。そういう活動を面倒だと考えている様では、運営に於ける「客の定義」が間違っているとしか思えない。運営の姿勢は、ファンを守るというより、むしろ転売によって不当利益で潤うというスキームからファンを隔離する権利を持つと考えるべき。それが運営のためでもあるのだ。

 

現在の様なチェック体制で進めるままで、新たな手段を講じて転売厨を封じ込める行動を面倒だと思っている様では、ファンの間で「運営は転売厨と裏でつながっているとか、裏利益からキックバックが入っているのではないか」といった憶測が出てもおかしくはないのである。

さいたま市にある大宮公園近くに、土器の館という建物がある。

 

土器の館

 

市内遺跡の発掘調査で出土した埋蔵文化財を保管・活用する施設で、これまでその存在は知っていたものの、いつも閉館していて入れなかったので一般には公開していないのかと思っていたのだが、最近ようやくその理由が分かった。

 

この館、土日や祝祭日は休館となっており、開館は平日のみだったのだ。

 

そこで今回平日に訪れてみた。当初、ここは文字通り土器が陳列されている博物館だろうと思っていたのだが、それはもちろんのこと、それよりも興味を引くのは、

 

発掘現場から出土された土器の破片の修復作業現場を見学できることだ。

 

博物館やビジターセンターといったところへ行くと、縄文、弥生、古墳時代などの土器が陳列されているのを見ることがよくある。多くの土器は割れた破片を合わせ込んだ上で陳列されているのだが、今回、この修復作業を初めて見ることが出来た。その現場の写真がこれだ。

 

土器修復作業

 

この作業、一つ一つの破片や小片を合わせて完成させていくという実に地味な作業で、まさにジグソーパズルなのだが、同パズルと異なる点は全てのパーツが揃っているとは限らないこと、2つ以上のパズルが混じっている可能性があること、完成形が不明なまま作業を進めなければならないことなど、ストレス満載でしかも極めて根気のいる作業であるし、相当に知識や経験がものをいう職人芸でもある。しかも、運び込まれる破片は膨大な量になるだろうから、これらの修復作業はある意味、解けないパズルに挑戦するようなものに違いない。

 

人類史上を塗り替える様な世界に名だたる大発見も、こうした地道な作業による成果なのだろう。学者による発表の際には、ぜひともこういう縁の下のサポートも評価して頂きたいものだと思う。

 

ところで、この土器の館でのもう一つの売りは、発掘された本物の土器に触れることだ。通常、この手の展示物には触れることが出来ないのだが、ここでは、破片と言えども本物の土器の感触や重さを体で体験することが出来る。もちろん、これらの土器はすでに資料としての価値がないものなのだとは思うが、来場者が発掘物の感触を体験できることは意義深い。

 

手に取れる本物の土器

 

かなりローカル色の強い地味な展示館だが、展示前工程を見るならおすすめの「作業館」である。入場無料。

先日、利根川にある利根大堰でサケの遡上観察会があったので、参加。見ると聞くでは大違いで、実際に大海を回遊して戻ってきたとされるサケを間近に見ると、あまりにも傷だらけな姿が痛々しくもあり、かつまた力強さも感じられて感動的だった。

 

動画で撮影したので貼っておく。

 

https://www.youtube.com/watch?v=ulzrpedneHY

 

これらのサケは自分が産まれた川から海へ下り、回遊した後で再びその川に戻って産卵するという。これを母川回帰というが、その移動距離はもとより、なんといっても驚きは故郷の川へ戻る能力だ。

 

この母川回帰のメカニズムはまだ完全には解明されていないらしいが、嗅覚によるという学説が最も有力と聞く。母川の見極め、いや、嗅ぎ分け、この説の根拠は、嗅覚を封じられたサケは母川に回帰できないという実験に基づくという。

 

とはいえ、その匂いを母川から河口を経て大海にでて、はるかかなたの外洋まで出て行ってからその匂いを辿るというのは、それこそ匂いの元となる物質は分子単位ぐらいまで拡散希釈されてしまうだろうから、実質的に不可能だろう。ということは、別のセンサーも装備していると考える方が説得力がある。

 

因みに、現在の説は、太陽コンパス説、海洋還流の電位変化感知説、フェロモン説、偏光説、星座コンパス説などがあげられて、さらに地球の磁場、動物行動、繁殖生理、感覚神経生理などからもアプローチされているらしいが、どれも完全解明には至っていないという。

 

とにかく、川の匂いってなんだろう、と思う。母川物質はアミノ酸であるという説が有力らしい。

 

人間には理解できない能力がある。
 
犬の嗅覚もそうだ。人間に比べて100万~1億倍の嗅覚を持つという。匂いの元となる化学物質の拡散などを無視して単純計算的に言うと、東京駅にいる雄犬は池袋にいる雌犬のフェロモンを嗅ぎ取ることに相当するそうだ。

 

ワシやタカは、人間の目の細胞の7~8倍の細胞があるらしく、人間の約8倍の視力で1500m上空から地上の小動物を認識できるという。

 

彼らにとっては当たり前のことなのだろうが、種を存続させるために、神はそれぞれの生物に対して特異な能力を授けたということなのだろう。
 

いよいよ銀杏の季節である。

 

程よく焼けた銀杏と焼鳥、酒の肴にはぴったりだし、茶碗蒸しの銀杏も絶品だ。 11月下旬になれば、神宮外苑に限らずとも街角の路は一面黄金色に染まる。春の桜と並び、秋のイチョウも季節を告げる代名詞として街角や公園を彩らせる。

イチョウはもともと2億年近く以前に発生した植物であるが、地質時代の氷河期に於いてほぼイチョウ科は絶滅に瀕したものの、唯一イチョウのみが生き延びて今日に至る、文字通りの生きている化石だ。

 

イチョウ並木

 

よく知られている様にイチョウには雄雌があり、銀杏は雌の木にしかならない。銀杏の実は独特の強烈な臭いがあるので、木から落ちて踏み潰されればなおのこと。なので、街路樹として植えられているのはもっぱら雄の木だけとなっている。その点、公園には雌雄の木が植えられており、この季節の雌の木の下にはたくさんの銀杏が落ちている。

 

銀杏の実

 

ところで、この様な公園などに落ちている銀杏を拾って持ち帰ることは違法か?

 

結論から言うと、木を揺すったり棒で叩き落とさない限り、つまり「自然に」落ちているものを拾うのであればセーフらしい。

 

というのは、樹木の持ち主が銀杏を落としたままであるということは、落ちている銀杏の所有権を主張していないとみなされるからだという。ただし、これは公園や街路樹の木元に落ちている銀杏の様に、銀杏収穫を目的としてない場合に限定されるそうではあるが、なるほど、この論理は確かに理にかなっていると思う。実際、これらが踏みつぶされて道路が汚れたり、臭いをまき散らすことが未然に防げるのであれば、みんなが拾うということは景観保持にも貢献しているという考えも成り立つ。


それでは、拾ってきた銀杏を食べるための手順を経験的にまとめておく。

 

1. 果実から実を取り出す
果実部分は強アルカリなので皮膚に触れるとただれることがあるため、ビニール製の使い捨て手袋などを用いて実を取り出す。臭いが強いので室外で行う。

ところで、この臭い、人間どもにはウケが悪いが動物たちや虫には好評の様だ。実際、果実から実を取り出すときに落とした果実には、ナメクジが駆け寄ってきた。

 

収穫したままの銀杏(1.2kg)

 

2. 果実を洗い流す

流水でよく洗い、殻に就いている果実を良く洗い流す。この果実こそ臭いの源なのだが、臭い果実というと思い出されるのが東南アジア名産のドリアン。銀杏の果実も、渋柿を干し柿へ大変身させるような何等かの処理方法が見い出せれば、大発見だろう。

 

殻を取り出した銀杏

 

3. 天日干しする

外殻の消毒をするために、2日ほど天日干しをする。

 

天日干しされた銀杏(400gまで減少)

 

この段階で臭いはぼぼ解消する。


4. 電子レンジで温める

ビニールの窓などがついていない紙の封筒を2重ぐらいにして包み、電子レンジで温める。

温める時間はおよそ2分ぐらいだが、紙の中で「ポンポン」と弾ける音がしたら停止させる。

 

5. 殻を割る

紙の袋から取り出し、殻が割れているものはそのまま手で剥く。

 

6. 殻の割れていないものは、ウオーターポンププライやで殻を割る。

割るツールとしてペンチ等を用いると殻だけでなく実まで潰して今うことがあるので、 最も適切なツールはウォーターポンププライヤー。「挟みしろ」を取れることと、平行に力を加えることが出来ることが特長。

 

ウオーターポンププライヤー

 

7. 殻を割る方向に気を付ける

殻を斜めに挟む方向に挟み、ウォーターポンププライヤーで割ると潰れ難い。

 

8. 湯煎する

湯を沸かし、殻から取り出して外皮のついた銀杏を湯せんする。

 

9. 泡立て器で外皮を剥く

ボールに入れ、泡立て器で掻き回すと外皮が剝けてくる。残渣は手で剥く。

 

泡だて器

 

10. 水切りする

実を取り出し、水で冷やして水切りをする。

 

 

すぐに食べない分は冷凍しておく。

 

ところで、銀杏は英語で「Ginkho」という。これは漢字読みで「ぎんきょう」と読めるからだろう。「杏」かというのは見た目が杏子(あんず)に似ているからかもしれないが、ではなぜ「銀」なのだろうか。イチョウの葉も実も銀色というよりは金色に近いと思うのだが。
 

橋本奈々未。

 

乃木坂46に於いて、1stシングルからずっと福神(乃木坂運営委員会が選ぶ「選抜メンバーの中の選抜メンバー」)として君臨すると同時に、その美貌を活かして様々な雑誌に於けるモデルを務めて今日に至る重要なメンバーの一人だが、このたびの16thシングルでセンターを務めることが発表されてまもなく、10月20日のラジオ番組にて来年2月20日を目処として卒業すると同時に芸能界からも引退することを表明した。 因みに16thシングルのタイトルは「サヨナラの意味」である。

 

乃木坂46 16thシングル「サヨナラの意味」 ジャケット

 

尤もこの卒業、ファンの間では青天の霹靂というより、ある意味想定内であった。なぜなら、もともと橋本の価値観や人生観は、ドキュメンタリオブ乃木坂46「悲しみの忘れ方」で十二分に言明していたし、それを見て知っているファンにとっては、来るべき時が来たというところが正直なところだからだ。

 

映画の中での橋本の言動、すなわち自分の生まれ育った環境の貧困さを淡々と述べるその姿は壮絶だった。昔の事とはいいながら、その後のテレビ番組「乃木坂工事中」でも語った様に「電気やガスを止められた」というその生活環境は、想像以上の貧窮さを表してこの上ない。正直、そのような境遇で育った人は、小生の友人にもいない。

 

橋本の凄さは、そんな環境から離れてアイドルを目指したことだ。しかもその理由は、家族への金銭的奉仕のためだという。

 

自分の武器をきちんと理解し活用し、最も効率高い方法で目標を達成させたPDCAの回転力は、まさに天晴れというべきだろう。

 

貧困から家族を救うためという目的にてアイドル稼業をビジネスとしてはっきり示したタレントは少ない。達成すべき目標をしっかりと見定め、ブレることなく実践していき、達成した暁には潔くそこでフェイズを変える。おそらくその目標は客観的に見て誰にでも理解できる様な内容なのだろう。自分で人生を設計し、実践する。この様な決断、誰にでも出来ることではない。

 

もちろん、家族のためという理由で自分を極限まで追い込んで仕事している人は大勢いる。中には海外から来る人もいるし、あるいは不本意ながらも風俗業で稼がざる人もいる。だが、大抵の場合、そういう話は大人の中で伝わるだけで、若い人たちにまで伝わらないことも多いだろう。その点、今回の件はそんな悲話が若い人の耳にも直接届くようになるということで、橋本の功績は大きい。

 

今後、完全に芸能界から引退するという。それで思い出すのは往年の山口百恵やキャンディーズの藤村美樹だ。彼女等は頂点を極めた瞬間に引退した昭和の伝説役者たちだが、同様に橋本は平成の伝説の一人となるのだろうか。

 

勝者は勝っているうちにテーブルを離れるものだ。

 

それを自ら実践するという姿勢は、後進たちにとって良くも悪くも大きな影響を及ぼすことは間違いない。橋本の場合、それができるのは達成目標がきちんと定まっていたからだろう。

とはいえ、凡人たちには出来そうで出来ない。