川崎市多摩区生田に明治大学の生田キャンパスがある。そこはかつて旧日本帝国陸軍極秘の登戸研究所があったところだ。
小生が学生の頃には全く知らされていなかったというか、そもそもその存在自体が極秘扱いとして表には全く出ていなかったので、キャンパスにいてもその存在自体を知る術もなかったのだが、それでも、登戸研究所の弾薬庫だったらしいということが最近判明したという建物は、うっそうと茂る雑草の中にひっそりと佇むアヤシイ建物として記憶があり、当時小生らはそれをお化け屋敷とかなんとか、そんな風に呼んでいた。
農学部第一校舎1号館付近にある弾薬庫跡
現在、その登戸研究所の中の第二科研究室が生田キャンパス36号棟、平和教育登戸研究所資料館となっており、研究所の全容や研究内容、研究成果などが無料で閲覧できるようになっている。資料によると、旧日本軍の研究施設をそのまま保存して資料館としている例は他にないそうなので、そういう点からも興味深い資料館でもある。ちなみに、この2科というのは「農作物を枯らす細菌兵器の開発棟」だったらしい。ちなみに現在、そこは同大学の農学部の敷地となっている。
明治大学平和教育登戸研究所
以前ここを訪問した時は館内撮影禁止となっていたのだが、2016年以降、著作権などに抵触しないものについては撮影許可となった。また、SNSへの掲載も、自己責任にてということで許可されている。何しろこの研究所やその研究内容などは極秘扱いだったために現存する資料も極めて限定的であることや、生き証人もだんだん減ってくることから、なんとか今のうちに色々な情報を集めたいという趣旨もあってだろうか、むしろSNSでの拡散を推進している様にも見受けられる。
更に今回再訪した際には、弾薬庫も係の人に依頼すれば鍵を開けて中へ入れてもらえるようになった。もちろん中には何もないコンクリートの「箱」なのだが、かつては遠くから見るだけだったそこに入れるようになったことは、新たな試みだ。
以前は立ち入り禁止となっていた弾薬庫跡。
整備されているので、係の人に鍵を開けてもらえれば入室可となっている。
最近まで花卉園芸部の部室として使用されていたという弾薬庫跡。
ここも係の人に鍵を開けてもらえれば入室可となっている。
その他、具体的な展示品や掲示資料についてここでくどくど書くよりも、是非現地を訪問して実際に見て頂きたいし、資料館入口にて無償でもらえる30ページに及ぶ資料(ガイドブック)に、研究所の全容や研究内容などの詳細情報がまとまっているので、そちらも大いに参考になる。
明治大学平和教育登戸研究所資料館ガイドブック
とにかくこの研究所での研究内容は、牛疫ウィルスをばらまく生物兵器を搭載させた風船爆弾や人体攻撃用電波兵器の開発、スパイ活動用の秘密インキ、秘密カメラなどの開発、毒物合成、食用植物に被害を与える細菌やカビの研究、更には敵国の経済を混乱させる偽札製造等々、秘密戦の四大要素である、防諜(スパイ防止)、諜報(スパイ活動)、調略(破壊、攪乱活動、暗殺)、宣伝(人心の誘導)といった水面下で行われる戦いの粋と云える様な研究であり、ここは、そうした真っ暗な黒研究の巣窟だった様だ。
研究所の研究目的展示の一部
まさに「良い子は、絶対に真似してはいけません」的な反道徳的な研究が行われていたということにもなるのだが、それこそ戦争がもたらす非日常的、非道徳的な負の活動なのだろう。
これらの中で、小生が最も興味を持っている研究が、その名も怪力光線(マジメな正式名称らしい)という電磁波兵器。「く号兵器」と呼ばれていたそうだが、この「く」というのは「くゎいりき(怪力)」の「く」だそうで、本気で怪力という名前だったようだ。
電波兵器の紹介パネル
そもそも、この登戸研究所は電波の研究所から開始されたそうだが、この殆ど漫画に出てくる様なネーミングの兵器、実際はマイクロ波を人体に照射して殺傷するという恐ろしい秘密兵器で、早い話電子レンジで発生する電磁波を人体に浴びせて熱々にするという仕組みらしいのだが、小生、ここしばらくは高周波から遠ざかっているものの、電子技術に携わるエンジニアの端くれでもあるので、この兵器の威力規模はもとより、どの様な回路構成になっているのか、実験設備は、測定方法は、測定結果は、兵器としての費用対効果の計算方法は、等々、まさに興味津々なのであるが、終戦直後に資料が敵に渡ることなどを恐れて廃棄されたらしく、残念ながら現在は殆ど現存していないという。
従ってガイドブックにも記載は殆どないのだが、僅かに残された資料や証言によると、実際の威力は「数メートル離れたところにいる小動物を攻撃できる」程度だったそうだ。
怪力光線がどの程度離れたところにいる敵を殺戮させる予定だったのかは定かではないが、電磁波は周波数にもよるが大気中の酸素分子と結合して減衰する場合もあるし、レーザーの様なコヒーレンス性がない場合には干渉しあって減衰したり拡散するので、少なくとも数百メートルかそれ以上の距離を想定するのであればそれなりに大電力供給が必要だろうし、しかも各種発電所の様に運転開始してから段々と出力が上がる様な電力供給方法では、瞬時に照射を行うことができないのでまともな兵器にならない。つまり常にタービンを回し続けている発電機や超大型の蓄電池が横にないと使用できない兵器だったということは推測できる。
そもそも電子レンジの500Wというのは、中に入れたものを温めるための定格高周波出力のことであり、機器としてはそれ以外にも電力を消費させているので実際には500W以上の電力を消費している。つまり、電磁波を発生させて照射させるためには電磁波送信以外にも多くの電力を必要とするのだ。
更に究極的には、本土へ飛来してくる爆撃機B29へマイクロ波を照射し、電気系統に故障を起こさせてエンジンをストップさせるとか、操縦者を殺傷するという構想もあったらしく、その場合のターゲット照射距離はキロメートルオーダーとなるだろう。いきおい、兵器を駆動させるには火力発電所規模の設備が必要となる。あるいは遠くの火力や水力発電所から送電を受けて電磁波を放出させようと考えていたのかもしれない。そのための送電インフラの建設コストは莫大なものとなろう。しかも当時の技術では変換効率は相当低かっただろうし、費用対効果についてどの様な計算に基づいて設計されていたのか、きわめて興味深い。いずれにせよ、完成の暁には大掛かりな兵器になっただろうことは想像に難くない。
ところで、この怪力光線もそうだが、先に紹介した毒物や生物兵器なども、開発に携わった研究者たちは、真実を解明するという科学心や、これまでにない技術を開発するチャレンジ精神を満たしたいという気持ちと殺戮兵器を開発しているという事実の間で、悩み苦しんだことだろうと思う。
科学的解明や技術開発と、道徳倫理。これは時に相反する。
世の中には研究や開発をしてはいけないことやモノがある。道徳的な理性を超えても開発してみたくなるところがあるとすれば、その人は研究心を持つ科学者ではなく、単に利己主義で悪の誘惑に弱い人間なのだと定義すべきだろう。
古いところではノーベルのダイナマイトの様に、生活の安定や文化の発展に貢献する一方、爆弾という殺戮兵器にも変貌するものがある。どう使うかは人間次第だ。両刃の刃なのだ。科学の探求によって得た技術は、生活向上にも戦争にも使える。「銃は人を殺さない」というのは全米ライフル協会(NRA)の常套句であるが、間違ってはいない。すべて、その「道具」を使用する人間の倫理道徳観に委ねられる。
しかし、どう考えても殺戮以外に使い道のない技術も存在するのだ。記憶に新しいところではサリンガスなどがその一つだろう。この自然界には存在しない物質を製造する目的は殺戮以外にない。他の使い方はないのだ。こういうものを製造することは、その方面の科学者や技術者にとっては、自分の能力を試すということも含め、チェレンジ精神を大いに刺激することだろうし、小生も技術者の端くれなので製造してみたいという気持ちはよくわかる。しかし、チャレンジしてはいけないこともあるのだ。それを理性でコントロールできない人は、技術開発に携わってはいけない。
戦争という状態は異常な状態だ。食うか食われるか。殺戮兵器を一刻も早く完成させないと食われる。そんな状態にあって、道徳倫理を説かれたところで、それで自分や自分の愛する人が守れるのですが、という問いへの答えは難しい。しかし、説かれる以前に、「自分は開発に携わらない」という意思を持つこと、それが人間としての尊厳だろうと考える。
先に紹介した怪力光線の研究開発過程で現在の電子レンジのマグネトロンが開発され、結果的に後年、人々の生活を向上させる発明に貢献したといわれているそうだ。それはそれで素晴らしいことなのだが、果たして、殺戮を目的とした怪力光線の開発中に、その兵器開発によって家庭の調理用具に使われ、人々の生活向上に貢献する様になると考えた人は幾人いたのだろう。結果的に民用へと転用ができたのは、ある意味「不幸中の幸い」であって、当初からそれが見えない場合は、やはり開発してはいけない技術なのであり、それが見えるまでは塩漬けにしておくというのが正しい選択だろう。
戦争の兵器を開発することは悪かどうか。傍若無人な国から自国を防御すること、それは国際法でも認めらえている。しかし、殺戮のみを目的とする兵器の開発も認められているのか?不毛な議論は永遠に続く。
ふと、欅坂46の「不協和音」の歌詞が頭に浮かんだ。一部を記しておく(歌詞:秋元康)。
僕はYes と言わない
首を縦に振らない
まわりの誰もが頷いたとしても
僕はYes と言わない
絶対 沈黙しない
最後の最後まで抵抗し続ける
(略)
君はYes と言うのか
軍門に下るのか
理不尽なこととわかっているだろう
君はYes と言うのか
プライドさえも捨てるか
反論することに何を怯えるんだ?
僕は嫌だ!