男は、個人差あれど、女が思うよりもきれい好きだと思う。
掃除しない、散らかっていても平気、汚れた服を着ていても気にしない、世の男衆の不潔不衛生に関する実態を表すには枚挙に暇がないが、それは単にものぐさなためであって、好んで掃除しないわけではない。汚い服と清潔な服が並んでいたとすると、特別な事情がない限り、清潔な服を選ぶだろう。キレイが嫌いではないのだ。
だから男はキレイな女性を好む。しかし「キレイ」のバロメータは、女性が考える基準とは異なるのだ。
男は、できる範囲でとか、個人差はあれど自分の測定方法で女性のキレイさを測定し、計測値の高い方を好む。その尺度は国、慣習などによって千差万別だろうが、とにかくキレイな方を選ぶのは古今東西万国共通だと思う。故に女性はキレイになろうと努力する。それなりであろうと、とにかく努力する。男はその結果キレイになったかどうかはともかく、その努力を健気に感じ取り「カワイイ」と感じる。言い換えれば、その努力をキレイと感じる。
つまり、男が感じる「キレイ」は、女性が思う「綺麗」とは違うのだ。男が「可愛い」と思う対象と、女性が「カワイイ」と感じる対象が異なるのと、たぶん同じだと思う。
先に「男はものぐさ」と述べたが、一方で男には「きれいにする前と後の差がはっきりわかるのであれば、「努力を惜しまない」という性質がある。例えば洗車などが良い例だ。洗う前と後の差が大きいほど満悦するのだ。
男は、ある日突然、すすだらけになった薬缶やくすんだ水道蛇口などを初期状態のような輝きを再現させようと、長時間かけて磨きこんだりする。
誰かの指示によるものではなく、自ら「そうしたくて、そうする」。こういうものは、日頃メインテナンスしていれば歳が経っても経時劣化することなく初期の輝きを保たせることが可能なのだが、男は基本的にものぐさであることもあって、輝きが消えててから腰を上げて活動を開始する。そこで得られる差、つまり磨く前と磨いた後の差が得られることに達成感を感じるわけだ。
写真は東京ビッグサイトで開催されていた「Maker Faire TOKYO 2014」でお披露目していた往年の名車、通称「ハチロク」が約30年ぶりに九州工大によってリニューアルされ(リサイクルともいう)がよみがえった姿だ。トレノ(ハチロクのこと)の勇姿を覚えている諸兄たちは、この復帰に目を細めて愛でていた。
この展示の趣旨はガソリン車の電化という趣旨であって、エンジンの代わりにモーターを載せ、ガソリンの代わりに充電池を積んだ車の展示訴求であり、しかも車検まで通して公道走行が可能な仕上げまでしてあったのだが、では、出展者はなぜこういった往年の車を選んだかというところに、男の嗜好に関するヒントがある。
そう考えると女性の皆さん、四六時中きれいでいる必要はないかもしれません。
男はギャップの大きさが広いほど喜ぶ。
