こんにちは。シータヒーリング(R)ヒーラー兼インストラクターのMiyukiです。前回のブログに、母が亡くなったことを書きましたが、それを見たリアル知り合いの方が気にかけて何名か連絡をくださいました。
気にかけて頂き、嬉しい限りです。ありがとうございます^^
私は特に落ち込んだりふさぎ込んだりしてはおりません。ただちょっと、体が一気に疲れた感じがしています。その疲れは例えると、サウナに入って大汗をかいたあとの疲れに似ている気がします。
体からごそっと老廃物が出て行って、代謝が激しくなり一気に軽くなったときの怠さという感じです。何となく、心から老廃物が一気にごそっと、抜けたような感覚があります。
日常で感じていた小さな不平不満などが雑事事に感じるようになった、と前回のブログに書いたとおり。あまり、起こる出来事にとらわれ過ぎなくなったような感覚があります。
その感覚は不思議と、私に安心感をもたらしてくれます。
母は今年の1月、私に対して「もうお母さんは生き切ったから、悔いはないよ」と言いました。その言葉は、自分の死期を悟っていた母が、おそらく私を安心させるために言った言葉なのだろうと思っています。
その時母が私にくれようとした安心が、時間を経て私の元に届いたのかもしれません。
根拠の無い安心感ですが、そもそも安心感を感じることに、根拠など不要なのだとも思えてきます。
また、とある日、母のことを考えながらうとうとしていたら、はっきり、そして大きく母が私の名前を呼ぶ声がして目が覚めました。肉体は無くなっても、魂は無くならないのだと実感した出来事でした。
これらは、母がくれたギフトです。母はたくさんのギフトをくれました。ギフトっていう言葉を最近多用するため、ややゲシュタルト崩壊を起こすくらいたくさんくれました。
そして今日は、お部屋にひまわりを飾ってみました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240419/22/milkyway2019/c1/60/j/o1080144015428009259.jpg?caw=800)
ひまわりを飾った理由は、母の遺影の背景となっていて、それが印象深かったからです。最近のお葬式はとても進化していて、遺影がデジタルサイネージでした。そして、背景が桜だったりひまわりだったり紅葉だったり、四季折々の自然に変化します。
ここからは完全私の独り言になるのですが
どの背景も美しかったのですが、なぜかコスモスの時だけ背景色が黒だったのが今でも気になっています。他は青空だったり夕暮れだったりしたのに、なぜコスモスだけ黒だったのか。一場面だけとてもシュールでした。
あとは、出棺の前の諷経(ふぎんと読むらしい)が終わり火葬会場に向かう前のこと。司会者の方が「住み慣れた我が家にお別れを告げ~」と述べた際
「住み慣れた我が家に」って、吉幾三じゃん。我が故郷青森県が生んだ大スターの吉幾三じゃん、と思いました。
そもそも吉幾三があの歌を産み出さなければ、この場でも「住み慣れた我が家に」というフレーズは使われていなかったのでは?という疑念さえ覚えました。
なるほど今回はお葬式なので、花の香りは添えずにお別れなんだね、と何だかやけに1人納得していました。
きっとこれも、人を楽しませたり笑わせることが好きだった母がくれた、ギフトなのかもしれませんね。