● 人の命、その尊厳
こんにちは。シータヒーリング(R)ヒーラー兼インストラクターのMiyukiです。ずいぶんご無沙汰しておりました。
実は先日、闘病中の母が亡くなりました。今回は、それを看取ったときに感じたことを書こうと思います。何か今は思いがわーっと溢れてきて文章にまとまりがないけど;感じたことを在りのままに書こうと思います。
母は3年前に直腸に癌が見つかり、以来治療をしていました。これは最近になって教えてもらったことなのですが、母は癌が見つかった当初に、既に余命宣告を受けていたらしいのです。当初の余命は3か月とのこと。それを2年半以上も超え、命を全うしました。
限界をだいぶ超えて頑張ったお母さん、お疲れ様でした。天国でゆっくり羽を伸ばしてくれ。仏前に好きだったダイドーコーヒー置いておいたから、気が向いた時に飲んでね。
母は昨年まで介護関係の仕事をしていました。介護を通して「人間の尊厳」の大切さを訴えてきました。また、個人の最期の在り方の理想を実現すべく、奮闘してきました。介護の仕事にコミットし、信念と情熱を以て働いておりました。
そんな母自身は、「亡くなる際は自宅で、家族に看取られたい。亡くなるまでの期間は夫のそばで過ごしたい」と希望し、今年1月から在宅での介護に切り替え、父が介護をしていました。
私は、母が亡くなる2日前から実家に帰省し、母の近くで過ごしていました。母は既に声を出すことも目を開けることも難しい状態でした。食事が摂れないため点滴での栄養補給のみ、体は骨と皮だけになっていました。
それでも、私や姉が手を握って話しかけると握り返してくれました。また、お見舞いに来てくれた方には「ありがとう」と感謝を述べたり、「この町と、仲間をよろしくね」と伝えたり、最期まで人のことを気に掛ける人でした。思えば母は昔から、困っている人がいたら手を差し伸べ、休日でも電話が来れば患者さんの元へ駆けつけたりと、利他の心を以て生きる人でした。
実際、弔問に訪れてくださった方は、どなたも口々に、母に助けられたと言ってくださいました。
最期まで家族のことを祈り、同僚のことを祈り、実家のある町の未来について祈っていました。母は、偉大なるヒーラーです。
母の魂は、永遠に無くならないことは分かっています。しかし、慣れ親しんだ母の肉体が弱っていく様を見ているのは、正直怖くもありました。目を離している隙に亡くなったらどうしようと思うと、なかなか母のそばを離れられませんでした。
シータヒーリング(R)のテクニックを通して、母の死に対する恐怖を和らげようかとも考えました。しかし、私個人としては、この恐怖を味わい尽くし、母が身を持って伝えようとしてくれた
● 人の命が尽きるということ
を、感じ切ることを選択しました。母が伝えたかった人の尊厳の大切さを、目の前の恐怖から逃げずに、恐怖も含めて在りのままに感じたかったのです。
母は最期、家族に看取られて眠るように亡くなりました。母は私たち家族に、
●人の尊厳とは、命とは、それが尽きるということとは
● 信念とは、情熱とは、コミットメントとは
などたくさんの学びを残してくれました。また、命という摂理の前では、普段思い悩んでいるような日常に対する不平不満、悩み事などは雑事事であること。自分にとって本当に大切にすべきものとは、ということを母は教えてくれました。母がぜーんぶ、取り払ってくれました^^おかーしゃんありがとう。
今回学んだことを薄れさせないよう、ヒーリングを通して、これからも人の尊厳や命、その他色々なことを学ばせてもらうよ。