なんとなく中山道沿いに ≪仁王像を拝観する≫ … [常勝寺]  535 | 70代からのウィズブログ! 

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何を書くかは、その日見つけた好奇心&やる気次第。

Slowになった体力・知力・想像力を少しでも長くキープできればな~、が思いです。

はてさて、どこまで・・・どこまで・・・ 続けられるやら。

  

 

 

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 [常勝寺]

 

埼玉県 鴻巣市滝馬室586

 

   [山号] 瀧蔵山             [院号] 密乗院           [本尊] 大日如来

   [宗派] 真言宗智山派      [創建年代] 不詳      [開山開基]不詳

 

 

ふんわり風船星

 

    ❖ [新編武蔵風土記稿による常勝寺の縁起]

(瀧馬室村)常勝寺

 

新義真言宗、京都智積院の末、瀧蔵山密乗院と號す、

 

御朱印十五石天正十九年(1591)十一月賜へり、本尊大日を安ず、

 

境内に文永七年(1270)八月爲種法入道也、

文明十八年(1486)正月八日徳善禅門など鐫(ほ)れる古碑あり。

 

鐘。寛文三年(1663)の銘あり。

寶篋塔  薬師堂。丘上にあり。  天満宮

 

       

 

 

 

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中山道の 桶川宿から 北本宿へ

 

 

前ブログの「真福寺」(北本市)は 川田谷村「泉福寺」末とある(武蔵風土記稿)

 

 

泉福寺といえば(桶川市川田谷)・お気に入りの大寺だ

 

 

ブログ511での黄葉寺院として また ブログ390での寺院紹介の中で

 

 

泉福寺・[石造仁王像]を 掲載してきた

 

 

桶川泉福寺の石造仁王像 寛文2年(1662)の造立

 

 

 

ブログ390の「桶川泉福寺・仁王像」 ➡ 前回ブログの「北本真福寺・仁王像」

 

 

今回は北本市を北上して 鴻巣宿周辺にて 仁王像探し

 

 

コーヒー

 

 

鴻巣宿といえば 大寺「勝願寺」が著名

 

 

勝願寺の仁王像も ブログ221で掲載した 由緒ある仁王像

 

 

山門の仁王様はビッグ(右阿形:5.1m、左吽形:4.6m)

明治初年 三峯神社から鴻巣の勝願寺へ移された

 

 

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そこで 勝願寺以外で 仁王像が安置されている

 

 

鴻巣周辺の寺院を 探索したところ

 

 

ヒットしてきたのが 今回の[常勝寺]であった

 

 

 

( ^ω^)・・・ ( ^ω^)・・・

 

 

ここからは [常勝寺]参詣を チョイご紹介したい

 

 

 

 

 

恒例により 表参道から

 

 

 

 

 

 

表の入口・「山門(仁王門)」

 

 

 

 

頑丈な網目で 保護された 「仁王像」が

 

山門左右で 参詣者を待ち受ける

 

 

 

 

 

山門の扁額は 山号『瀧蔵山』

 

 

 

 

 

 

 

仁王門をくぐり まずは 奥正面・本堂にて 参拝

 

平成6年(1994)落慶

 

 

お願い

 

 

時節柄 本堂左右には 蓮の花

 

 

 

 

 

 

   

 

 

 

当寺の本堂右サイドを 見逃すわけにはいかない

 

まずは 「蓮池」あり & 「社」あり

 

 

 

 

古式の「手水舎」(左フォト) &  「天満宮」(右フォト)

 

神仏習合の名残り?・・・

 

 

              お願い

 

 

本堂右手の光景

 

左・本堂   奥正面は庫裡か?

 

蓮&睡蓮の湧水池 & 終盤の紫陽花たち

 

 

  

 

参詣当日(2024-06-29)の 「睡蓮」

 

      

 

 

 

境内・丘の上から見える 本堂右サイドの光景

 

この湧水池 参道入口右手付近にも 長く続いているようだ

 

 

 

 

常勝寺入口付近の蓮池  左上に見える屋根は仁王門

 

 

 

 

 

( ^ω^)・・・  コーヒー   ( ^ω^)・・・

 

 

さて 境内参詣に

 

 

 

 

本堂手前左手に 「寶篋塔」

 

 

 

 

境内・丘の上へと導く「石段」

 

 

 

 

境内・丘の上の 「薬師堂」

 

 

 

 

境内・丘の上の 珍しい「鐘楼」 今風に!建替えた?

 

 

 

 

*******  日本  *******

 

 

 

 

 

さて 再びの「仁王門」へ

 

 

 

 

仁王像の保護の為 しっかりした金属ネットが

 

いつもの如く 苦心したフォト撮影であった

 

 

 

 

頑張って 撮れた 「常勝寺の仁王様」

 

コーヒー

 

上半身は 朱色で彩色

 

鶯色のものは 埃の感じかな 洗って差し上げたい

 

  

 

 

 

阿形のポーズは スタンダードだ

 

顔つきは 開口でも やさしさを感じる

 

 

 

 

吽形も やさしさ然りだ

 

眉つり上がりだが 憤怒の形相ではない

 

 

 

 

拡大して判明した 眦と額に浮き上がった血筋

 

 

怒りの象徴のはずだが 怖さを感じない

 

 

玉眼のせいか? やや老齢化がみられるお顔からか?

 

 

いやはや 吽形の口元もオモシロイぞ!

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

( ^ω^) ### FIN ### ( ^ω^

 

 

 

 

 

*** コーヒー 追 記 コーヒー ***

 

 

 

❖ 中山道で 気になった宿場名=「北本宿」について ❖

 

 

 

おじいちゃん

 

 

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中山道69の宿場で 埼玉県内は

②蕨宿から ⑩本庄宿までの 9宿場

 

コーヒー

 

そんな中 掲載の上図に 気になる記載が・・・

⑥桶川宿と⑦鴻巣宿の間に 何故か[本宿村]との記載あり

⑥~⑦の間といえば 現在では[北本市]となる

 

コーヒー

 

そこで リサーチしてみた

結果 納得感が持てたので この機会に追記することに

 

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● 「北本宿」の地名を考える おじいちゃん

「北本宿」の地名は、「宿」の名がついているとおり、交通とかかわる当地の歴史に深く根ざしている。

 

『角川日本地名大辞典 11埼玉県』には、北本宿についての記載が各所にみられ、その由来は「戦国期に鴻巣宿の宿場があったが、慶長年間に宿を今の鴻巣に移転し、当地を本(もと)鴻巣村と改称し、元禄年間ごろ本宿村と改称。もとの宿場の意」とあり、

 

また別のページには「明治二十二~現代の大字名。もとは江戸期の本宿村。

はじめ中丸村、昭和十八年北本宿村」「明治十二年中丸村大字北本宿となる」ともみえる。

 

一方、現在浦和市(土合(つちあい))の本宿について、「元宿とも書いた。明治十二年北足立郡に(中略)同名の村があったため南元宿村と改称」したとある。

 

地名語源としての宿=シュク、ジュクは、いうまでもなく宿場、広義には交通・商業機能を併せもった都市的集落を表している。

 

本(元)=モト、ホンは、旧・昔の意味ではなく、「はじめ、基、本来の」の意味である。

 

したがって本宿=モトの宿場とは、初めの宿場、本来の宿場の意となり、

巣宿のいわば親宿であった ことを示していよう。

 

ところが明治十二年(一八七九)の郡区町村編制以降、浦和の本宿が北足立郡に編入され、同郡内に二か所のモトジュクができたため、これを区別して北に位置するため北本宿になった。

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北本市の昆虫 「ヘイケボタル」

市の野草・市の野鳥・市の昆虫/北本市 (kitamoto.lg.jp)