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[常勝寺]
埼玉県 鴻巣市滝馬室586
[山号] 瀧蔵山 [院号] 密乗院 [本尊] 大日如来
[宗派] 真言宗智山派 [創建年代] 不詳 [開山開基]不詳
❖ [新編武蔵風土記稿による常勝寺の縁起]
(瀧馬室村)常勝寺
新義真言宗、京都智積院の末、瀧蔵山密乗院と號す、
御朱印十五石天正十九年(1591)十一月賜へり、本尊大日を安ず、
境内に文永七年(1270)八月爲種法入道也、
文明十八年(1486)正月八日徳善禅門など鐫(ほ)れる古碑あり。
鐘。寛文三年(1663)の銘あり。
寶篋塔 薬師堂。丘上にあり。 天満宮
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中山道の 桶川宿から 北本宿へ
前ブログの「真福寺」(北本市)は 川田谷村「泉福寺」末とある(武蔵風土記稿)
泉福寺といえば(桶川市川田谷)・お気に入りの大寺だ
ブログ511での黄葉寺院として また ブログ390での寺院紹介の中で
泉福寺・[石造仁王像]を 掲載してきた
桶川泉福寺の石造仁王像 寛文2年(1662)の造立
ブログ390の「桶川泉福寺・仁王像」 ➡ 前回ブログの「北本真福寺・仁王像」
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今回は北本市を北上して 鴻巣宿周辺にて 仁王像探し
鴻巣宿といえば 大寺「勝願寺」が著名
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勝願寺の仁王像も ブログ221で掲載した 由緒ある仁王像だ
山門の仁王様はビッグ(右阿形:5.1m、左吽形:4.6m)
明治初年 三峯神社から鴻巣の勝願寺へ移された
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そこで 勝願寺以外で 仁王像が安置されている
鴻巣周辺の寺院を 探索したところ
ヒットしてきたのが 今回の[常勝寺]であった
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ここからは [常勝寺]参詣を チョイご紹介したい
恒例により 表参道から
表の入口・「山門(仁王門)」
頑丈な網目で 保護された 「仁王像」が
山門左右で 参詣者を待ち受ける
山門の扁額は 山号『瀧蔵山』
仁王門をくぐり まずは 奥正面・本堂にて 参拝
平成6年(1994)落慶
時節柄 本堂左右には 蓮の花
当寺の本堂右サイドを 見逃すわけにはいかない
まずは 「蓮池」あり & 「社」あり
古式の「手水舎」(左フォト) & 「天満宮」(右フォト)
神仏習合の名残り?・・・
本堂右手の光景
左・本堂 奥正面は庫裡か?
蓮&睡蓮の湧水池 & 終盤の紫陽花たち
参詣当日(2024-06-29)の 「睡蓮」
境内・丘の上から見える 本堂右サイドの光景
この湧水池 参道入口右手付近にも 長く続いているようだ
常勝寺入口付近の蓮池 左上に見える屋根は仁王門
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さて 境内参詣に
本堂手前左手に 「寶篋塔」
境内・丘の上へと導く「石段」
境内・丘の上の 「薬師堂」
境内・丘の上の 珍しい「鐘楼」 今風に!建替えた?
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さて 再びの「仁王門」へ
仁王像の保護の為 しっかりした金属ネットが
いつもの如く 苦心したフォト撮影であった
頑張って 撮れた 「常勝寺の仁王様」
上半身は 朱色で彩色
鶯色のものは 埃の感じかな 洗って差し上げたい
阿形のポーズは スタンダードだ
顔つきは 開口でも やさしさを感じる
吽形も やさしさ然りだ
眉つり上がりだが 憤怒の形相ではない
拡大して判明した 眦と額に浮き上がった血筋
怒りの象徴のはずだが 怖さを感じない
玉眼のせいか? やや老齢化がみられるお顔からか?
いやはや 吽形の口元もオモシロイぞ!
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*** 追 記
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❖ 中山道で 気になった宿場名=「北本宿」について ❖
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中山道69の宿場で 埼玉県内は
②蕨宿から ⑩本庄宿までの 9宿場
そんな中 掲載の上図に 気になる記載が・・・
⑥桶川宿と⑦鴻巣宿の間に 何故か[本宿村]との記載あり
⑥~⑦の間といえば 現在では[北本市]となる
そこで リサーチしてみた
結果 納得感が持てたので この機会に追記することに
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● 「北本宿」の地名を考える
「北本宿」の地名は、「宿」の名がついているとおり、交通とかかわる当地の歴史に深く根ざしている。
『角川日本地名大辞典 11埼玉県』には、北本宿についての記載が各所にみられ、その由来は「戦国期に鴻巣宿の宿場があったが、慶長年間に宿を今の鴻巣に移転し、当地を本(もと)鴻巣村と改称し、元禄年間ごろ本宿村と改称。もとの宿場の意」とあり、
また別のページには「明治二十二~現代の大字名。もとは江戸期の本宿村。
はじめ中丸村、昭和十八年北本宿村」「明治十二年中丸村大字北本宿となる」ともみえる。
一方、現在浦和市(土合(つちあい))の本宿について、「元宿とも書いた。明治十二年北足立郡に(中略)同名の村があったため南元宿村と改称」したとある。
地名語源としての宿=シュク、ジュクは、いうまでもなく宿場、広義には交通・商業機能を併せもった都市的集落を表している。
本(元)=モト、ホンは、旧・昔の意味ではなく、「はじめ、基、本来の」の意味である。
したがって本宿=モトの宿場とは、初めの宿場、本来の宿場の意となり、
鴻巣宿のいわば親宿であった ことを示していよう。
ところが明治十二年(一八七九)の郡区町村編制以降、浦和の本宿が北足立郡に編入され、同郡内に二か所のモトジュクができたため、これを区別して北に位置するため北本宿になった。
北本市の昆虫 「ヘイケボタル」
市の野草・市の野鳥・市の昆虫/北本市 (kitamoto.lg.jp)