《吹上間の宿》周辺にて *仁王像を拝観する [真観寺]  536 | 70代からのウィズブログ! 

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何を書くかは、その日見つけた好奇心&やる気次第。

Slowになった体力・知力・想像力を少しでも長くキープできればな~、が思いです。

はてさて、どこまで・・・どこまで・・・ 続けられるやら。

 

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 [真観寺]  ([別称) 小見真観寺

埼玉県行田市小見1125

          

[宗派] 真言宗智山派         [創建年代] 平安時代初期

[開山] (伝)鞍作止利(くらつくりのとり)仏師  (伝)坂之上田村麻呂将軍

[中興年代] 建保年間(1213~1219)

[中興] 瀧憲鏡(りゅうけんきょう)阿闍梨(あじゃり)

      ・・・嘉禎年間に 本堂(現在の観音堂)を再建した 中興の祖

 

ぽってり苺

 

  

「ぎょうだ郷土かるた(絵札&読み札)」

 

 

 

コイン

 

 

❖ [新編武蔵風土記稿による真観寺の縁起]

[真観寺]

新義真言宗、長野村長久寺末、慈雲山福聚院と号す。開山瀧憲鏡阿闍梨、仁冶3年8月3日化す。慶長9年寺領10石を賜ふ。本尊正観音を安置す。

 

観音堂。正観音を安ず。木の立像3尺5寸、鳥佛師の作と云傳ふ。脇士に不動・毘沙門の二像を置。此堂の後の方小高き所に8尺四方の岩窟あり。

 

寛永年中そこより開山の碑を掘出せしとて今も存せり。青き板碑にて前面に金剛□子瀧憲鏡阿闍梨、□□菩提□□□、仁治3年8月悲願第三番と彫れり。籠堂。釈迦堂。弁天社。仁王門。

 

 

❖ [真観寺の文化財]

*真観寺聖観音像(埼玉県指定彫刻)

*小見真観寺古墳(国指定史跡)

観音堂の裏側に 前方後円墳・小見真観寺古墳がある

 

 

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中山道の「鴻巣宿」から 聞きなれない「間の宿」周辺へ

 

 

ここでいう「間の宿」は 「吹上村」とのこと

 

 

今回は 鴻巣市と熊谷市の間 行田市小見の

 

 

真観寺 通称「小見観音」の仁王像であった

 

 

 

******* コーヒー *******

 

 

 

当寺の境内地は 間口が広い

 

堂宇・伽藍は 東西横長に 配置されている

 

行田市民大学同窓会 (gs-dosokai.net)より借用

 

 

台風

 

参詣当日(2024-07-13)は 躊躇なくセンターの参道に入り

 

総門をくぐって 本堂へ参拝

 

 

本堂参拝後 ふと 仁王門はいずこに?・・・ と

 

左後方を振り向くと なんと 仁王門の裏光景が目に入った

 

既に 仁王門をくぐってきた位置に いたのだ

 

振り向いた際の 境内の光景

 

 

※尚 公道に面した 仁王門へ向かう参道入口は なぜか閉鎖中であった

 

花

 

ところが

 

当寺公式HPに記載の 「境内の案内」には 仁王門からの順路ガイドであった

 

よって

 

その順路で 少々参詣することに

 

 

コーヒー ・・・( ^ω^)・・・ コーヒー

 

 

 

 

● 仁王門を入ると、

 

元文4年(1739)大破につき仁王門を再建

平成13年(2001)解体修理(銅板屋根)~平成14年に完成

 

 

 

● 正面に小見眞観寺古墳を背にして、観音堂が見えます。

 

嘉禎年間(1235~8)観音堂を再建  元亀年間(1570~3)観音堂を焼失

正徳2年(1712)観音堂の再建

 

 

 

● 仁王門の東に鐘楼堂、

 

 

 

 

● 右手の大きな楠の下を通り、東側に本堂があります。

 

お願い

もとは忍城の仏間を、寛永11年(1634)に本堂として移築

 

 

 

● 本堂正面の門を出た東側に見えるのが客殿です。

 

平成18年に完成し、同年の11月3日に落慶

 

 

 

****** コーヒー ******

 

 

 

 

では 仁王門・仁王像を拝観しよう

 

 

ハートのバルーン

 

 

平成14年(2002)改修(解体工事)完了の仁王門

 

 

行田市民大学同窓会 (gs-dosokai.net)より借用フォト

工事の最終仕上げ寸前の仁王門フォト  金網なく 仁王像はまだオープン状態

 

 

 

そして 現在の立派な姿に

 

 

 

 

扁額は 山号「慈雲山」

 

 

 

 

「蟇股」が目に留まる 仁王像の前面上部左右に

 

 

 

 

 

 

 

次に 仁王様の姿を 間近で拝観していこう

 

コーヒー

 

当寺の仁王像も しっかり 金網で保護されていたので

 

参詣当日は いつものように 苦心したフォト撮りに

 

ゆえに 相変わらず 仁王像の鑑賞は 今現在となった

 

 

 

 

真観寺仁王像への言及は 情報からは 見当たらなかった が

 

彩色度合いから見て 仁王門同様・24年前の手直しだろうと勝手推測

 

 

吽形(左)               阿形(右)

 

 

ベル 正面からの仁王像が なんとか撮れた ベル 

 

 

 

まず 色使いがオモシロイ

 

 

阿形は グリーンの天衣に 頭頂部飾りはブルー

 

一方

 

吽形は ブルーの天衣に 頭頂部の飾りはグリーン

 

 

 

 

開口阿形の 歯がスゴイ 金色だ!

 

 

逆に 玉眼について 思い違いかもしれないが

 

阿形はくっきり白目 / 吽形は ゴールドアイ・・・

 

  

 

 

 

従って 憤怒の相は どこか マイルドな感じがする・・・

 

  

 

 

 

天衣は 「雲」をデザインしたような図柄入り・・・ さすがに天部か

 

 

 

 

 

健脚を願い 見習おうと フットフォトUP

 

  

 

 

 

コーヒー  コーヒー  コーヒー

 

 

 

 

今回の仁王像・・・  ラストに

 

 

鑑賞ポイントを 《ヘアスタイル》に おいてみた

 

 

そこで

 

仏像のヘアスタイルを チョイ齧り

 

仁王像の髪型基本は どうやら「宝髻 (単髻、双髻、五髻etc.)らしい

 

  

 

 

 

写真写りが イマイチなので 俄か勉強者には 何とも言えないが

 

黒髪をまとめて金色の装飾品で 貫禄アップ

 

 

しかも 結び目のリボンらしきものにまで

 

何かの図柄が・・・ さすがですね !!

 

  

*単髻(たんけい)・・・髪を頭頂部でひとつに結んだもの

*双髻(そうけい)・・・髪を頭頂部でふたつに結んだもの

いずれかのヘアスタイルだろう?
 

 

 

 

 

 

 

( ^ω^) ### FIN ### ( ^ω^)

 

 

 

 

コーヒーチョイ追記 ( ^ω^)・・・

 

 

◎ 真観寺の仁王門に 余り見かけない「蟇股」が ここに注目

 

 

※ 金剛力士を表わす種字と真言は 阿形と吽形で それぞれ別のものがある

 

❖ 阿形の種字   「ア」と読む

  

            真観寺仁王門の蟇股(阿形の上部)にも 『ア』

 

❖ 阿形の真言

「ナマサマンダバ・サラナン・トラダリセイ・マカロシヤナキャナセサルバダタアギャタネン・クロソワカ」

 

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次に

❖ 吽形の種字  「ウン」と読む

  

         真観寺仁王門の蟇股(吽形の上部)にも 『ウン』

 

❖ 吽形の真言

「ナマサマンダバ・サラナン・ケイアビモキャ・マカハラセンダキャナヤキンジラヤ・サマセ・サマセ・マナサンマラ・ソワカ」

 

 

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◎ 吹上『間の宿(あいのしゅく)

 

 

 

中山道の街道筋にあたる吹上は、鴻巣と熊谷の『あいの宿』として発展した町ですが、江戸期、幕府公認の宿場ではありませんでした。

 

しかし、それにもかゝわらず重要視されたのは、日光東照宮を警護する武士たちの『日光火の番道』と、中山道が町の中心部で交差すること。

 

また、鴻巣宿と熊谷宿の距離が長かったため、その中間に休憩する場所として『お休み本陣』や、馬次ぎの『立場』を設置する必要があったからです。

 

年に三〇家もの大名が江戸や国許へと行列を飾り、多くの文人や墨客たちも足をとどめた『吹上宿』。

 

中でも信濃の俳人小林一茶や加舎白雄、狂歌師で戯作者でもあった太田南畝、浮世絵市の池田英泉などはそれぞれ得意な作品をのこしています。

 

そして江戸以来、吹上の名物は『忍のさし足袋』と荒川の『うなぎ』、『榎戸の目薬』も街道の名物にかぞえられていました。

 

岐阻街道 鴻巣 吹上富士遠望   渓斎英泉1835頃

岐阻街道 鴻巣 吹上富士遠望 - 渓斎英泉(けいさい・えいせん) — Google Arts & Cultureより

 

 

 

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◎ 慈雲山真観寺(『忍名所図会』

 

【WEB資料展】「『忍名所図会』を歩く」(令和3年度) - 埼玉県立図書館 (pref.saitama.jp)

 

真観寺は行田市小見にあり、観音堂の「真観寺聖観音像」は県指定有形文化財になっています。

 

『忍名所図会』には下記のとおり、当時の位置関係について記されており、絵図も描かれています。

「観世音堂本堂の西にあり 寝釈迦堂山門の内右手にあり 阿弥陀堂同左手にあり」

 

日光脇往還(県道7号)が真観寺の仁王門前で曲がっていました

 

 

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