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[石戸厄除両大師 真福寺]
埼玉県北本市本町7-126
[山号] 醫王山 [院号] 光明院
[宗派] 天台宗 [創建年代] 不詳
【真福寺所蔵の文化財】は 2点
●[真福寺仁王像] ●[慈恵大師画像]
北本の文化財| 北本デジタルアーカイブズ (kdas.jp)より
「だるま市」開催寺院の 情報を探索中
辿り着いた [真福寺の仁王像] この像は
北本市の 指定文化財(彫刻)であった
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● 真福寺仁王像 (北本市教育委員会・境内掲示より)
阿吽一対の仁王像である。
口をあける阿形は、斜めに顔を向け右腕を腰下に振り、金剛杵を握る左腕を肩上に振り上げる。
口を結ぶ吽形は右腕を屈臂して五本指を伸ばし、左手は掌を強く握り腰をひねる。
ともに激しい憤怒相を現し、筋肉隆々とした上半身には天衣がまとわれる。
像は寄木造り、彫眼からなり、腰に巻かれる裳には彩色が施され、
宝輪、七宝、蓬莱唐草などが配されている。
制作年代は、像が安置される仁王門の礎石に 安永3年(1774)の陰刻銘があること
から、仁王像についても 同時期の作と推定される。彫刻として総体に崩れのない
仕上がりを示し、市内では唯一ここだけに残されている。
前置きはさておき いざ 真福寺仁王門へ
安永3年(1774) 建立
仁王門の左右に 嬉しい発見があった
見事な イチョウの大木が 3本聳える
晩秋の 黄葉社寺巡り & 黄葉フォトが 楽しみだ
仁王門内に 扁額あり
「両大師」 & 「醫王山」
仁王門を抜けると 一直線の広い参道
その先 幽かに 朱塗りの本堂が
参道右手には 巨木クスノキの麓に
宝篋印塔 & 手水舎
参道左手にも 巨木クスノキ
宝篋印塔
この大クスの くねった枝ぶりには
驚き & 歴史を感じる
クスノキの大木を楽しみながら
参道を 奥正面に
本尊・不動明王を祀る [本堂]が間近に
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さて 本堂の参拝を終えると
参詣主目的である 再びの [仁王門]へ
(仁王門前掲示の ガイド板)
当寺での 仁王像の拝観は
境内ガイド板を 参考にしたとはいえ
なんとなくの 落ち着かない感じ方であった
というのも 文化財保護上 仁王像は細かい金網で 安置されていた為
フォト撮影に注力 & 苦心せざるを得なかったせいかもと・・・
像高 吽形223.3cm 像高 阿形223.5cm
従って 後刻 フォトを整理しながらの
やむなき 仁王像鑑賞となった
阿形・吽形共 像高2m超の大きさは やはり見応えがあった
50年前の 昭和49年(1974)に 表面の彩色&一部修理されたという
阿形は 右腕を脇に振り 左手に金剛杵(こんごうしょ)を持ち
天衣&裳 左に腰を捻った スタンダードタイプ
吽形は 右腕を屈臂(くっぴ)し 五指を伸ばし
左腕を前に構え 掌(たなごころ)を握る
両像共に 忿怒の相を 現わしている
&
ポーズは スタンダードな仁王モデルだ
拝観時に スグに気になっていたが
腹部の出っ張り・・・ 割れ腹筋ではない・・・
でも 余り気にしないでね
この容姿は 江戸時代の相撲力士がモチーフかも と勝手解釈
庶民に近しい 仁王様だった と思いたいですね
そういえば
憤怒の相も いまひとつ怖さを感じない
阿形の口の開け方 & 吽形の口の結び方
共にどこか 遠慮深く 優しそう
境内ガイド板には
腰に巻かれる裳(も)には 彩色が施され
宝輪・七宝・蓬莱唐草などが 配されている とのことだが
やはり 修復後 50年の経過は 色落ち等があり 判じ難い面も・・・
[※]七宝とは ・・・仏教用語(無量寿経)で
「金、銀、水晶、瑠璃、瑪瑙(めのう)、珊瑚、しゃこ(貝)」の七つの宝を指す
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● [慈恵大師画像]
真福寺には、慈恵大師良源(天台宗中興の祖、元三大師、生年912~985年)の画像(絹本着色、北本市指定文化財)が寺に残されている。
この 画像は、寛保2年(1742)に輪王寺宮一品法親王が当寺に寄贈したものと伝えられている。
● ご存知 「両大師」・・・
天台宗で良源と天海を並べて尊崇する呼称。
ともに、平安なかばと、戦国時代末に荒廃した比叡山と天台宗を復興し、
良源は第18世天台座主となり、慈恵(じえ)大師と諡(おくりな)し、
天海は上野東叡山寛永寺を開山、慈眼(じげん)大師と諡する。
両大師の験力は民間の信仰を集め上野の両大師など、特に関東一円に盛んである。
東叡山・両大師堂(開山堂) 2013/3撮影
静かな雰囲気が漂う 真福寺境内 ≪心が穏やかになった≫
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