本殿縁下で 頑張る「力神」
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2024年5月30日 参詣
[津久根八幡神社] 埼玉県入間郡越生町津久根23
[主祭神] 誉田別命
[合祀神] 大物主命 ・ 大己貴命 ・ 少彦名命
まずは 境内ガイド板を読みながら 参詣スタート
当地、大字津久根字若宮に鎮座する八幡神社は 平安時代中期の創建
と伝えられている。
鳥居の先には 狛犬が構える 拝殿
元治元年(1864)建立 流れ尾形狛犬 江戸末期と思えない端正な造りだ
境内右サイドからの 社殿&境内社 社殿右手の色違い円形地は祭り用かと
当社の由緒を物語る歴史資料として、鎌倉時代の正嘉2年(1258)銘を持つ
密教法具の金剛盤(町指定文化財)が伝存している。
(左):拝殿 & (右):本殿(覆屋)
棟札の写しによると、現在の本殿は天保4年(1833)の再建で、
大工は新座郡舘村(現志木市)の高野武兵衛を棟梁に、当地生まれの江戸浅草新堀の吉山定右衛門と和田村(現越生町西和田)の石井熊蔵が務めた。
いよいよ 覆屋内の 「本殿の彫り物」を覗いてみよう
スマホだけでのフォト撮り ゆえに やや見難いのはご勘弁ねがいたく
拝殿から本殿への 様子が分かるでしょうか
(左):拝殿 & (右):本殿 =右隅縁下には [力神像]が
彫物を請け負った浅草茅町の嶋村源蔵は、川越氷川神社や西東京市の田無神社などで知られる、嶋村流七代目の源蔵俊表 と思われる。
本殿に 見事な彫刻が施されていた
浅草東本願寺前の石川藤吉(石川流二代目周信)も携わっている。
正面向かって左側の胴羽目: 「黄石公と張遼」
背面の胴羽目 「高砂」
正面向かって右側の胴羽目 「的廬(てきろ)に乗る劉備玄徳」
以上の如き
「黄石公と張良」、「高砂」、「的慮に乗る劉備玄徳」などで飾られた社殿を、
四隅の縁下で 力神が支えている。
(以上 越生町教育委員会掲示より)
とのことで 次なる彫り物が[力神] 余りお目にかかれないレアもの
珍しいかな! 嬉しい遭遇であった!
縁の下の力持ち!
四隅の縁下で[力神]が 御本殿を支えていたのだ
それでは 本殿向って右面から 反時計回りに ぐるっと見てみよう
まずは 右面から
前方⇚⇐ 右面の縁下を支える 2体の[力神像] ➞➞後方
右面・前方
右面・後方
そして 本殿に向って左面の縁下
後方⇚⇐ 左面の縁下を支える 2体の[力神像] ➞➞前方
左面・後方
左面・前方
力神の先輩は・・・仁王様
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❖参考: 【力神とは】
力神(りきじん)とは 金剛力士・仁王の別称でもあり、神仏を守護する役目があります。
奈良の東大寺の金剛力士像と同じような感覚で邪気を払い、守ると言う意味合いがございます。
北斎の絵手本や北斎漫画にも数回登場します。
諏訪で木彫の一大流派として存在した立川流が、この北斎の絵から触発されたと思われる、力神彫刻を数多く残しています。
立川流以外の宮彫師も、多くの社寺建築の装飾彫刻や山車・祭り屋台にも取り入れ、今日に残っています。
主に東海・関東・東北に分布しています。
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(補): 『津久根八幡神社所蔵の文化財』
*八幡神社本殿(越生町指定文化財)
*八幡神社の獅子舞(越生町指定文化財)
*正嘉2年(1258)銘金剛盤(越生町指定文化財)
(・・・金剛盤とは、密教法具の金剛杵や金剛鈴などの法具を置く台である)
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