[養蚕とだるま]・・・知る人ぞ知る 深~い関係があった   530 | 70代からのウィズブログ! 

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何を書くかは、その日見つけた好奇心&やる気次第。

Slowになった体力・知力・想像力を少しでも長くキープできればな~、が思いです。

はてさて、どこまで・・・どこまで・・・ 続けられるやら。

 

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十数年前に 埼玉県の『養蚕・絹の道』について 若干齧った

 

 

が その当時 「養蚕と民俗(くらし)」のテーマで 耳にしなかった関係を

 

 

当ブログを進めている中で 知る事に・・・

 

 

コーヒー

 

 

それは 2022秋 埼玉県北の

 

 

[日本神社 448] & [百体観音堂・さざえ堂 449] を参詣の際

 

 

立寄った 「本庄市観光農業センター(埼玉県本庄市児玉町小平653)」

 

 

 

 

 

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  ● 参考ブログ/ 「日本神社」にSAMURAI BLUEの必勝を祈願  448

日本神社の青いダルマは サッカー日本代表の 必勝祈願を始め

各スポーツ団体や 部活動の 必勝祈願で 授与しており 人気

 

 

 

・・・★・・・

 

  ● 参考ブログ/ 武州「百体観音堂・さざえ堂」拝観参拝  449 では

「高窓の里」の名がある 児玉地方の原風景に出あえる

明治期に建てられた 養蚕業隆盛の面影を残す光景が百体観音堂からも眺められた

 

 

 

かたつむり  コーヒー  かたつむり

 

ということで

 

 

機会があれば 調べてみたい好奇心を 心に納めていた筆者シニア

 

 

 

あれから2年経過した今回 どういうわけか

 

 

同時期に 二つの 興味深いリンク情報にであった

 

 

その結果 納めていた好奇心が 再び 蠢き出した

 

さくらんぼ

 

 

その二つの情報とは

・・・情報 ➀: 群馬県立歴史博物館で 企画展「だるまさん大集合」が開催中

 

・・・情報 ②: 正龍寺がらみから 「北条氏邦が北関東エリアで養蚕を奨励」

 

 

この二つから 好奇心のテーマは 「養蚕とだるま」

 

 

とのことで ちょっくら ブログアップすることに

 

 

 

馬  かたつむり  波  馬  かたつむり  波  馬

 

 

まずは 「群馬県立歴史博物館」だるま企画展 へ足を運んだ

 

 

企画展の チケット & ポスター

 

 

 

 

企画展の内容は 以下の5項であったが

 

その中で筆者は ④「赤の力」 & ⑤「くらしの中のだるま」 に注目した

 

 

 

コーヒー

 

 

江戸時代に流行した疱瘡(天然痘)対策として 「赤色あり」の時代背景

 

疱瘡神は 火や血の色である赤を嫌うと 言い伝えがあり

 

患者や子供の周りには 赤い玩具や絵を置き 「疱瘡除け」としていた

 

ベル

 

その風習から

 

赤いだるまや 赤で描かれた達磨大師の絵

 

江戸の人々から 重宝されていたという

 

さくらんぼ

 

 

 

 

(企画展の展示情報がベース)

 

 

 

ご存知 ≪赤べこ≫ や ≪さるぼぼ≫など 赤の郷土玩具が展示されていた

 

 

 

!!

 

 

  !? ということで 「赤の力」を得て発展してきた・・・「赤いだるま」かな・・・

赤いものが邪気を払うと信じられ 赤く塗られただるまが 疱瘡除けとして求められるようになった

 

加えて だるまのモデルとなった達磨大師が着ていた法衣が 赤色(緋色)だった

この二つが 赤いだるまの誕生理由であったという

 

 

 

 

 

 

 

さて この機会に 養蚕についても チョット触れておこうと思う

 

 

● 養蚕のチョット歴史

 

蚕が日本へ伝えられたのは弥生時代後半(2世紀頃~)と推定されている。

 

『魏志倭人伝』で 『古事記』の中で & 『日本書紀』では雄略天皇紀に養蚕を勧めたことが記されている。

 

百済から蚕種(カイコの卵)が、渡来人・秦氏が養蚕と絹織物の技術を伝えるなど、暫時、養蚕技術の導入が行われた。

 

奈良時代には全国的(東北地方や北海道などを除く)に養蚕が行われるようになり、租庸調の税制の庸や調として、絹製品が税として集められた。

 

明治時代に至り養蚕は隆盛期を迎え、良質の生糸を大量に輸出した。養蚕業・絹糸は「外貨獲得産業」として重視され、日本の近代化(富国強兵)の礎を築いた。

 

 

・・・( ^ω^)・・・

 

 

群馬県における養蚕の起源は、続日本紀の、和銅7年(714)上州から「あしぎぬ(上絹ではなく太絹のこと。)」を上納した頃であろうと言われている。

 

その後、中世において、多野郡吉井町周辺の帰化人の伝えた日野絹、天平年間に奉納され正倉院に保管されている桐生地方を産とする仁田山絹は、上州の特産品となった。

 

 

・・・( ^ω^)・・・

 

 

* 戦国時代の後北条家が 養蚕を奨励

 

  ➀ 北条氏照(八王子城の城主) 三多摩エリアで (参考)日本遺産 霊気満山・高尾山

八王子は、養蚕や織物が盛んだったことから「桑都(そうと)」と称されました。

桑都の発展を支えた養蚕農家や絹商人は、氏照が武運を祈願し、いにしえより人々が霊山として崇めてきた高尾山を信仰し、大切に護ってきました。

 

 

東京の西部はだるまづくりが盛ん。

東京の「多摩だるま」は、この地方の養蚕農家が豊作や息災を願って作り神棚に飾ったのが始まりとされる縁起物で、調布市深大寺では3月3日・4日に

日本三大だるま市の一つ「深大寺だるま市」が開催されます

 

 

深大寺だるま土鈴(緑)サウジアラビア応援土鈴     深大寺だるま土鈴(赤)

 

 

 

深大寺だるま土鈴(紅白)        秋川渓谷だるま土鈴

 

コーヒー

 

② 北条氏邦(鉢形城の城主)  北関東エリアで養蚕を奨励した

●「城谷沢の井」   所在地:秩父郡横瀬町横瀬

 

永禄4年(1561)、鉢形城主北条氏邦の家臣・朝見伊賀守が養蚕を始めたとされる

秩父絹の発祥の地

 県の旧跡に指定されている。 現在でも水をたたえており秋には紅葉が美しい。

 

   ベル 2021秋/ [武甲山御嶽神社の里宮]参詣  埼玉県秩父郡  ブログ402UP

★ 神社前の[史跡]をご紹介

❖ 秩父絹発祥の地 城谷沢の井(しらやさわのい) (県指定旧跡)

 

 

コーヒー

 

氏邦さんは鉢形城主になった時に、城下町や領地にあるものを広めました。それが蚕から生糸を作る養蚕業です。つまり、氏邦さんの領地・北関東で養蚕業が盛んになった。

そういった北関東の製糸業が盛んになる大きなキッカケを作ったと言われている。

                  https://www.oideyo-kumagaya.com/ijin/ijin-03/

 

 

********   コーヒー  *******

 

 

 

 

次に 「高崎だるま」を ちょっくら知ろう

 

 

● 「高崎だるま」について

 

 

 

 

 

丸みを帯びた体つきに 「眉は鶴」 「髭は亀」を表現し

 

両肩と腹に 書かれる金文字が特徴

 

 

 

 

 

  


 

コーヒー

 

 

「全国のだるま」も展示していたので チョッピリ触れておこう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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● 養蚕とだるまが結びついた

 

リンクした歴史&エリア は江戸時代後半~明治初期

 

企画展の資料から・・・群馬県も 東北エリア 九州エリアも 皆同じかと

 

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養蚕農家は、養蚕倍増や豊蚕祈願などと書いてある目無しだるまを買って神棚などに祀り、年の暮れに右目を入れて奉納しました。

 

だるまは、起き上がりこぼしです。

 

蚕の齢眠の「起き」と、上蔟の「上がる」にちなんで豊蚕を願ったものと言われています。

 

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トロピカルカクテル

 

 

養蚕に 余り縁の無い方には 「おき」&「上がる」が理解し難いかも・・・

 

よって 同じような内容文を重ねて掲載することに

 

 

 

 

 

 

かたつむり かたつむり [補] かたつむり かたつむり

 

上蔟(じょうぞく)・・・熟蚕のカイコを 蔟(まぶし)へ移す作業のこと

 

 

(2012/6県内養蚕農家で撮影フォト)

 

  

(中央) 蚕が繭を作るための 回転蔟(かいてんまぶし)

 

(右) 蚕がそれぞれの枡目に落ちついて繭を作り始める

 

 

 

 

 

 

 

 

● だるま土鈴から

 

またまた土鈴かと 言われそうだが

 

 

郷土玩具の土鈴は 「暮らしの姿を表現している」民芸品

 

 

今回のテーマである 「だるま」も然り

 

ちょうちょ

 

ちょっくら調べてみたが どこの郷土で生まれた「だるま土鈴」なのか

 

ゲット当時の記録がないので 以下については

 

大まかな記載で お許し願いたい

 

 

祭

 

 

収集地は おそらく

 

養蚕業が盛んだったエリア(絹の道関連)&だるま市開催エリア(元三大師関連の寺院)かと

 

*深大寺だるま土鈴(東京都調布市)・・・3

*秋川渓谷だるま土鈴(東京都あきる野市)・・・1

は既に 上述掲載済みなので  以下に その他「だるま土鈴」をご紹介

 

 

【東京都調布市】深大寺 厄除元三大師大祭・だるま市(2024年3月3日~4日)

だるま市(あきる野市)      2023年1月10日(火)

 

   

*高崎だるま土鈴(群馬県高崎市)    *川越喜多院だるま土鈴(埼玉県川越市)

(群馬県高崎市)少林山七草大祭だるま市(2024年1月6日~7日)

【埼玉県川越市】喜多院 初大師だるま市(2024年1月3日)

 

  

*堤人形・松川だるま(宮城県仙台市) 天龍寺のダルマ土鈴?(京都市)

 

 

  

 

 

  

 

 

  

 

ハートのバルーン

 

「姫だるまの土鈴」 といえるのかどうか・・・

 

 

 

 

以上 だるま土鈴の チョイコレクション達でした

 

 

 

コスモス 丸レッド コスモス

 

 

 

唯一 企画展で展示されていた「高崎だるま土鈴」

 

 

 

 

 

( ^ω^) ### FIN ### ( ^ω^)

 

 

 

マイコレクションではないが 有名なので追補しておきますね

 

 

(岐阜市)美江寺の俵鈴

 

その音で厄災をはらった蚕の守り鈴

 

国の重要文化財にも指定される乾漆十一面観音立像を本尊とする岐阜市の美江寺。

この地域はかつて養蚕が盛んで、あらゆる生き物を救うとされる観音菩薩の信仰が広く浸透していました。戦後、養蚕は廃れてしまいましたが、それでも平成20(2008)年までは、毎年3月の第1日曜日には、『お蚕祭』と呼ばれる祭事が行われ、猩々を乗せた山車が巡幸していました。

猩々(しょうじょう)とは、赤い顔、赤い髪をした猿のような妖怪で、赤は厄除けの効果があると信じられていたことから、蚕を守るための守護神として、山車(だし)に飾られていました。現在は残念ながらお祭りは終了しています。

https://magazineworld.jp/brutus/miyagemon/miyagemon-256/