残雪と雪見灯籠 (小川寺本堂前庭園)
小川寺 東京都小平市小川町1-733
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B517・「小平神明宮」参詣後 青梅街道をはさんだ
ななめ向かいに位置する [小川寺]を訪ねた
読みは 「おがわでら」ではなく [しょうせんじ]と読む
小平神明宮同様 江戸時代の小川村(小平)開拓とともに 創建された寺院
本堂前の境内
予備知識のないまま 参詣に訪れた[小川寺]であった
小平開拓の根本は [小平神明宮]だと 予備情報でカンタン承知するも
その段階で 筆者シニアは 江戸時代なのに 《なぜ お寺が根本では・・・》
小平開拓当時 お寺が根本ではなかったのだろうか?》と 少し訝っていた
本堂
ご存知 江戸時代は
「仏教寺院=お役所」であり 村民管理の中心であったはずだ
後刻 [小川寺]が 小平開拓の根本(中心)にあったと 判明
なんとなく くすぶっていた気持ちが スッキリした
さて [小川寺]の概要は
宗派: 臨済宗円覚寺派
山号: 醫王山(いおうさん) ご本尊: 薬師瑠璃光如来
本堂前の「薬師瑠璃光如来」の石像
小平のメイン開拓者・小川九郎兵衛の墓がある菩提寺
・・・小川九郎兵衛の墓(小平市有形文化財)・・・
❖ 新編武蔵風土記稿に
『開山碩林貞享三年正月示寂、開基はこの村の里正小川九郎兵衛、
明暦年中の起立なりしゆへに、小川をもて寺號となせり』 とある
従って
小川九郎兵衛が開基となり、碩林(貞享3年1686年寂)を開山として
創建された
❖ 「小平」地名の由来・・・
「小平」の名前は、初めて開拓されたところが 「小」川村であり、
また地形が 「平」坦だったところから、名付けられたという (city.kodaira.tokyo.jp)
珍しか~!「徽軫灯籠(ことじとうろう)」と 小川寺で遭遇
また 前庭に
現代的なオブジェ風のものが 目に留まる
近くの「武蔵野美術大学」とのコラボかな? と勝手に想像
瓢箪は「子孫繁栄」「無病息災」「厄除け」「幸福を運ぶ」など、オールマイティな縁起物
瓢箪(ひょうたん)は縁起がいい? その理由や意味・由来|「マイナビウーマン」 (mynavi.jp)
神仏混淆ともいえるような 小川寺庭園なり・・・
灯籠 石像 石塔 石仏・・・ & 多くの木々が
混在の中にあるが 何故か 参詣者を落ち着かせる
何とも言い難い 庭づくり
本堂裏庭も 時間の制約から遠望の身であったが
ゆっくりと 参詣・散策・鑑賞したい気持ちを残した・・・
以上の如く 小川寺には 思いのほか
ゆっくり味わうべき庭園が 本堂の表裏にあった
が
今回の参詣目的は 「仁王門&仁王像」であった
正面入口に 立派な山門・仁王門が
旧山門が老朽化して 平成11年(1999)に落慶
古色感の少ない山門だが まさしくりっぱな「仁王門」であった
東大寺南大門の 金剛力士像(像高8.4m)には 遠く及ばないが
楼門形式の左右には 像高3mはありそうな ビッグ仁王像
近寄ってみると その存在感に 圧倒された
平成仁王ゆえに ボディの筋肉も見事で メリハリがあり現代風だ
この迫力では 邪悪なものは近寄れないだろう
ここで この機会に [仁王像(金剛力士像)をチョイ齧り] してみることに
参考になった動画URLは 以下の通り
動画「仁王像 ざっくり知る! 東京国立博物館の金剛力士立像」
https://youtu.be/SxVvC4nrGpY
● 《仁王像チョイ齧り》・・・鑑賞の仕方
*平安時代の「仁王像」は珍しい(トーハクの仁王像の話)
*眉間にしわを寄せて眉が吊り上がっている
*目頭が上下二つあり 仏像では 怒りの目(=瞋目しんもく)という
*見るものを威圧するようなポーズ・・・
地面を押さえつけるような右手&高く持った武器、肘を延ばせば攻撃に移る左手
*(阿形+吽形)と二体あることから 「二王=仁王」と 呼ばれている
● 《仁王像チョイ齧り》・・・ここで四字熟語 『瞋目張胆・しんもくちょうたん』
(意味) 大いに勇気を奮うこと。
「瞋目」は怒りで目をむき出すこと。
「張胆」は肝っ玉を太くすること。
恐ろしい事態にあっても、恐れずに勇気を持って立ち向かう心構えをいう言葉。
「目を瞋(いから)し胆(きも)を張る」とも読む。
● 《仁王像チョイ齧り》・・・『天衣』てんえ(てんね)を観察する
*『天衣』: 菩薩や天人などが 肩から胸に垂らしている 長い布
仁王像の意外な一面・・・東京国立博物館 - 1089ブログ (tnm.jp)より
● 天衣が腕に巻き付く像(意外な一面➀)・・・平安時代・12世紀の仁王像
右腕をよく見てください。肘の上下に帯が巻き付いています。
この巻き付いている帯が天衣です。後世補われた天衣はこれにつながって
いないので、像ほんらいの形とは異なります。
肩の下から始まって、手首の上で終わる帯の端がありますから、これにつながる
形で上から腕に巻き付き、下に垂れる形だったのです。
この像と同じ平安時代・12世紀の仁王像の中に、これと同じく天衣が腕に巻き付く
像があります。しかし、翻る部分が造られた当初の形を伝えているものはありません。
● 仁王像の背中に特徴あり(意外な一面②)・・・平安時代・12世紀の仁王像
平安時代・12世紀 東京国立博物館 鎌倉時代・13世紀 京都国立博物館蔵
左側の仁王像の背中は特徴があるのでぜひ見てください。
ちょっと贅肉がついているようです。
平安時代・12世紀の像は正面から見るとたくましくて強そうですが、背中は鍛え方が足りないところがおもしろいですね。
この像は正面を見ると鎌倉時代の作風に近づいていますが、背面に平安時代らしさが見えると言えるでしょう。
右側の 鎌倉時代の像はこれとは違います。
背中にも筋肉がついて強そうです。
《仁王像チョイ齧り》・・・「金剛杵・こんごうしょ」について
古代インドの武器。のちに密教で、外道悪魔を破砕し煩悩を打ち破る象徴として
用いる法具。
真鍮・鋼などで作り、中央の握りが細い。両端のとがった独鈷(とっこ)杵、
両端の分かれている三鈷杵・五鈷杵などがある。
デジタル大辞泉
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小川寺は 思いもよらない 名刹かな
歴史ある 奥が深い寺院 中でも 庭園への造詣が深い
改めて 再訪して ゆっくり味わいたい
本堂裏の庭園を 遠望
( ^ω^) ### FIN ### ( ^ω^)