◎ 小平開拓のメイン寺院・小川寺で・・・[仁王像チョイ齧り]  518 | 70代からのウィズブログ! 

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何を書くかは、その日見つけた好奇心&やる気次第。

Slowになった体力・知力・想像力を少しでも長くキープできればな~、が思いです。

はてさて、どこまで・・・どこまで・・・ 続けられるやら。

残雪と雪見灯籠 (小川寺本堂前庭園)

 

 

小川寺  東京都小平市小川町1-733

 

チューリップ赤・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・チューリップオレンジ

 

B517・「小平神明宮」参詣後 青梅街道をはさんだ

 

ななめ向かいに位置する [小川寺]を訪ねた

 

読みは 「おがわでら」ではなく [しょうせんじ]と読む

 

小平神明宮同様 江戸時代の小川村(小平)開拓とともに 創建された寺院

 

 

本堂前の境内

 

 

予備知識のないまま 参詣に訪れた[小川寺]であった

 

 

小平開拓の根本は [小平神明宮]だと 予備情報でカンタン承知するも

 

その段階で 筆者シニアは 江戸時代なのに 《なぜ お寺が根本では・・・》

 

小平開拓当時 お寺が根本ではなかったのだろうか?》と 少し訝っていた

 

 

お願い 本堂  お願い

 

 

 

ご存知 江戸時代は

 

「仏教寺院=お役所」であり 村民管理の中心であったはずだ

 

 

雛人形

 

 

 

後刻 [小川寺]が 小平開拓の根本(中心)にあったと 判明

 

なんとなく くすぶっていた気持ちが スッキリした

 

 

コーヒー

 

 

さて [小川寺]の概要は

 

 宗派: 臨済宗円覚寺派

 

山号: 醫王山(いおうさん)  ご本尊: 薬師瑠璃光如来

 

 

本堂前の「薬師瑠璃光如来」の石像

 

 

小平のメイン開拓者・小川九郎兵衛の墓がある菩提寺

・・・小川九郎兵衛の墓(小平市有形文化財)・・・

 

 

❖ 新編武蔵風土記稿に

『開山碩林貞享三年正月示寂、開基はこの村の里正小川九郎兵衛、

 

明暦年中の起立なりしゆへに、小川をもて寺號となせり』 とある

 

 

従って

 

小川九郎兵衛が開基となり、碩林(貞享3年1686年寂)を開山として

 

創建された

 

 

❖ 「小平」地名の由来・・・

「小平」の名前は、初めて開拓されたところが 「小」川村であり、

 

また地形が 「平」坦だったところから、名付けられたという    (city.kodaira.tokyo.jp)

 

 

珍しか~!「徽軫灯籠(ことじとうろう)」と 小川寺で遭遇

 

 

また 前庭に

 

現代的なオブジェ風のものが 目に留まる

 

近くの「武蔵野美術大学」とのコラボかな? と勝手に想像

 

 

瓢箪は「子孫繁栄」「無病息災」「厄除け」「幸福を運ぶ」など、オールマイティな縁起物

瓢箪(ひょうたん)は縁起がいい? その理由や意味・由来|「マイナビウーマン」 (mynavi.jp)

 

 

 

 

 

 

神仏混淆ともいえるような 小川寺庭園なり・・・

 

 

灯籠 石像 石塔 石仏・・・ & 多くの木々が

 

 

混在の中にあるが 何故か 参詣者を落ち着かせる

 

 

何とも言い難い 庭づくり

 

 

丸レッドスター

 

 

本堂裏庭も 時間の制約から遠望の身であったが

 

 

ゆっくりと 参詣・散策・鑑賞したい気持ちを残した・・・

 

 

 

 

走る人走る人走る人走る人走る人  かたつむりかたつむりかたつむりかたつむりかたつむり  かたつむりかたつむりかたつむりかたつむりかたつむり   走る人走る人走る人走る人走る人

 

 

 

以上の如く 小川寺には 思いのほか

 

ゆっくり味わうべき庭園が 本堂の表裏にあった

 

 

今回の参詣目的は  「仁王門&仁王像」であった

 

 

 

正面入口に 立派な山門・仁王門が 

 

旧山門が老朽化して 平成11年(1999)に落慶

 

 

古色感の少ない山門だが まさしくりっぱな「仁王門」であった

 

 

 

 

東大寺南大門の 金剛力士像(像高8.4m)には  遠く及ばないが

 

 

楼門形式の左右には 像高3mはありそうな ビッグ仁王像

 

 

近寄ってみると その存在感に 圧倒された

 

 

平成仁王ゆえに ボディの筋肉も見事で メリハリがあり現代風だ

 

 

 

 

この迫力では 邪悪なものは近寄れないだろう

 

 

ここで この機会に [仁王像(金剛力士像)をチョイ齧り] してみることに

 

 

参考になった動画URLは 以下の通り

 

動画「仁王像 ざっくり知る! 東京国立博物館の金剛力士立像」

https://youtu.be/SxVvC4nrGpY

 

 

 

 

● 《仁王像チョイ齧り》・・・鑑賞の仕方

*平安時代の「仁王像」は珍しい(トーハクの仁王像の話)

 

*眉間にしわを寄せて眉が吊り上がっている 

 

目頭が上下二つあり 仏像では 怒りの目(=瞋目しんもく)という

 

*見るものを威圧するようなポーズ・・・

 地面を押さえつけるような右手&高く持った武器、肘を延ばせば攻撃に移る左手

 

*(阿形+吽形)と二体あることから 「二王=仁王」と 呼ばれている

 

 

 

● 《仁王像チョイ齧り》・・・ここで四字熟語  『瞋目張胆・しんもくちょうたん』

(意味) 大いに勇気を奮うこと。

 

「瞋目」は怒りで目をむき出すこと。

「張胆」は肝っ玉を太くすること。

 

恐ろしい事態にあっても、恐れずに勇気を持って立ち向かう心構えをいう言葉。

 

「目を瞋(いから)し胆(きも)を張る」とも読む。

https://yoji.jitenon.jp/yojij/4608.html

 

 

 

● 《仁王像チョイ齧り》・・・『天衣』てんえ(てんね)を観察する

*『天衣』: 菩薩や天人などが 肩から胸に垂らしている 長い布

 

 

                                                                                                                                    

 

 

ベル !! 仁王像の意外な一面・・・東京国立博物館 - 1089ブログ (tnm.jp)より !! ベル

 

 

● 天衣が腕に巻き付く像(意外な一面➀)・・・平安時代・12世紀の仁王像

右腕をよく見てください。肘の上下に帯が巻き付いています

 

この巻き付いている帯が天衣です。後世補われた天衣はこれにつながって

 

いないので、像ほんらいの形とは異なります。

 

  

 

肩の下から始まって、手首の上で終わる帯の端がありますから、これにつながる

 

形で上から腕に巻き付き、下に垂れる形だったのです。

 

この像と同じ平安時代・12世紀の仁王像の中に、これと同じく天衣が腕に巻き付く

 

像があります。しかし、翻る部分が造られた当初の形を伝えているものはありません。

 

 

● 仁王像の背中に特徴あり(意外な一面②)・・・平安時代・12世紀の仁王像

 

 

  

平安時代・12世紀 東京国立博物館    鎌倉時代・13世紀 京都国立博物館蔵

 

左側の仁王像の背中は特徴があるのでぜひ見てください。

ちょっと贅肉がついているようです

 

平安時代・12世紀の像は正面から見るとたくましくて強そうですが、背中は鍛え方が足りないところがおもしろいですね。

 

この像は正面を見ると鎌倉時代の作風に近づいていますが、背面に平安時代らしさが見えると言えるでしょう。

右側の 鎌倉時代の像はこれとは違います。

背中にも筋肉がついて強そうです

 

 

 

《仁王像チョイ齧り》・・・「金剛杵・こんごうしょ」について

古代インドの武器。のちに密教で、外道悪魔を破砕し煩悩を打ち破る象徴として

用いる法具。

 

真鍮・鋼などで作り、中央の握りが細い。両端のとがった独鈷(とっこ)杵、

両端の分かれている三鈷杵・五鈷杵などがある。

                 デジタル大辞泉

 

 

 

 

 

 

*** ❖  ***

 

 

 

小川寺は 思いもよらない 名刹かな

 

 

歴史ある 奥が深い寺院 中でも 庭園への造詣が深い

 

 

改めて 再訪して ゆっくり味わいたい

 

 

本堂裏の庭園を 遠望

 

 

 

 

( ^ω^) ### FIN ### ( ^ω^)