小平神明宮 東京都小平市小川町1丁目2573
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ご存知 江戸時代の関東エリアは 開拓の地であった
「小平神明宮」の地も 然り
境内社に 《井戸の神様》が 祀られていた 珍しいか~
井戸の神様・・・御井神(みいのかみ) 水波能売神(みずはのめのかみ)
水が乏しかったこの地の開拓とリンク
~ 手水とは別に 「お水取り」用の井があり それは龍の頭部であった ~
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[由緒]
今から350余年前、徳川家康が江戸に幕府を開いてから58年、私達の祖先は
この地に最初の鍬を入れました。
この辺りは富士箱根火山帯の噴火による火山灰(関東ローム層)が幾重にも推積し、古歌にも『行く末も空もひとつの武蔵野に草の原より出ずる月かげ』
(後京極摂政大政大臣)と詠まれ『逃げ水の里』とも云われる程水利に乏しい、
生活に過酷な不住の土地でありました。
未知の土地に移り住む人々の守護神として、明暦2年の開拓願いとともに神明宮
勧請の願いが出され、5年後の寛文元年(1661)に、西多摩郡殿ヶ谷村
(今の瑞穂町)鎮座の延喜式内社・阿豆佐味天神社(アズサミノアマツカミノヤシロ)の摂社・神明ヶ谷の小高い山の中腹の神明社から分祠遷座されました。
https://kodaira-shinmeigu.jp/yuisyo.html
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真っ直ぐに伸びた参道 その奥に社殿が鎮座
拝 殿
13社16座 ゆえに 奉献狛犬像が 多かった
P側境内入口の [狛犬像-①]
この狛犬像は まだ新しいが 老化した江戸狛犬の 再生ではないかと・・・
昭和52年(1977)12月 建立
いわゆる 参道の横入口に鎮座する 一対の狛犬像だが
なんと 狛犬の向きが チト変だぞ! 神社境内の参道側が 狛犬の正面になっている
社務所でうかがったところ 工事者が「反対向き」に設置したとか・・・?
容易に向きは変えられそうだが 何か 説明し難い理由が 他にあるかも・・・
江戸~ 社務所前の [参道狛犬像-②] ~江戸
嘉永7年(1854)8月 建立
参道 突き当りが拝殿 手前左手が 社務所
阿像狛犬 & 拝殿
吽像狛犬 (社務所受付側)
左右とも口を開き気味だが どちらかというと 阿吽逆の印象かな
吽像・・・乳のみ子狛犬 阿像・・・しっかり親子狛犬
江戸~ 東殿三社の [狛犬像-③] ~江戸
(拝殿右側)摂社
安政2卯年(1855)6月 奉納
サイズ的には小型の狛犬
阿像吽像とも 頭頂部が少し穴になっているかな
*試しに [銘として判読することに]
安政二乙卯 六月吉日 願主坂 小野弥兵エ
❖(参考) 安政二卯年十月 江
2年(1855)10月2日に関東地方南部で発生した地震は、
マグニチュード7級で「安政の大地震」と言われる。
江戸~ 西殿四社の [狛犬像-④] ~江戸
(拝殿左側)
安政2卯年(1855)3月 奉納
こちらは 東殿に比べて しっかりした感じ
*試しに [銘として判読することに]
安政二卯年 三月吉定日 願主坂 小野弥兵エ
同じ願主による 同じ安政2年の 奉納になる 東西二対
西殿が早く3月 東殿が6月 の狛犬奉納だが
石工が違うのだろうか その形は異なっていた 石の種類は・・・?
江戸~ 本殿前の [狛犬像-⑤] ~江戸
文政5年(1822) 奉献
本殿入口に 一対の[狛犬像]が 奉献されていた
(左)拝殿の裏手 ・・・・・・・ (右)本殿(神明造の覆殿)
なかなか goodな狛犬像かな (右サイドから)
吽像(正面) 阿像(横面)
(左サイドから)
吽像(横面) 阿像(正面)
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( ^ω^) ### FIN ### ( ^ω^)