実は、自分の成熟度が試されている(^^;;
昨日、期待値と現実とのギャップで
怒りを感じる人のメカニズム
についてお話ししました
ブログ記事はこちら
そんな場面に遭遇した私たちは
どのように対処すれば良いのか
今日は、受け止める側の理解について
考えてみます
判断する側の認知バイアス
認知バイアスとは
過去の経験や固定概念、思い込み
などによって
情報処理や判断に不合理な
偏りが生じる現象です(AIによる)
私たちは他者の行動を見た時
その原因をその人の内的な要因
(性格、能力、人格など)にあると評価し
外的な要因(状況、環境、ストレス状況など)
を過小評価してしまう傾向があります
例えば、同じ人が
自分が怒った時:「今日は疲れていたから」「状況が悪かった」(外的要因に帰属)
他人が怒った時:「あの人は短気だから」「人間ができていない」(内的要因に帰属)
このように判断してしまうのです
しかし、怒りは
単一の理由で生まれるものではありません
いくつもの要因が複雑に絡み合っています
生物学的要因:脳や神経伝達物質の働き、遺伝的傾向
発達的要因:幼少期の体験、愛着スタイル、学習された行動パターン
状況的要因:今のストレス、体調、最近の出来事
文化的要因:育った環境の価値観、感情表現の習慣
このように、怒りはその人の
“今までの人生”の結果として
表れているのです
単に「短気な人」と決めつけず
背景を想像することが第一歩です
「自然」と「調整可能」を両立させる
怒りは人間にとって”自然”な感情
同時に、人は感情の扱い方を学び
変わっていくことができます
つまり、怒りは
自然な反応でありながらも
“調節可能”なものでもあるのです
「この人にも成長の余地がある」
と信じる姿勢が
理解の質を深めてくれます
共感と境界線のバランス
共感的に理解することは大切ですが
相手の怒りに巻き込まれてしまっては
意味がありません
「理解する」と「受け入れる」は別物です
相手の感情に寄り添いつつも
自分の心を守る境界線を意識すること
それが大人の成熟した関わり方です
実践的なアプローチ

「この人にとって、なぜこの期待が大切だったのか?」と背景を探る視点を持ちましょう
判断を保留する
「今は感情的になっているけれど、普段は違うかもしれない」と余白を残すこと
長期的な視点を持つ
一時的な怒りでその人を評価せず、時間をかけて理解する姿勢を持つこと
まとめ
怒りをぶつける人を見て
「人間ができていない」と感じるとき
実は私たち自身の中にも
“判断のバイアス”が働いています
相手の怒りは自然なものであり
同時に成長によって調整できるもの
だからこそ
✔︎判断より理解を
✔︎批判より共感を優先
✔︎適切な境界線を引く
ことが大切です
この姿勢を持てる人は
人間関係の中で消耗せず
むしろ人とのつながりから
学びと成長を得られるようになります
怒りを前にしたときこそ
自分の成熟度が試されている
のかもしれません
『自分の成熟度が試されている』
ちょっとどきっとする言葉ですが
突然やってくる相手の怒りに遭遇した時
自分自身も即反応せず、間を置き
『これは自分の成長の時』と思い
上記のアプローチを試してみましょう^^

最後までお読みいただき、ありがとうございました