予約更新でこんにちは!
lalaです
。

4月はお花見沢山行ったので、
しばらくこのシリーズ続きます
。

で、今回③なのですが、実は
①の後に行った所となります。
梅の見頃は終わってたからね。
何故か夫くんが調べてたわ。
この日のlalaはちょっと
やる気無かったかも
。

そんな訳でいなべの後に行きました。
この日は珍しく午前中に
繰り出していたので着いたのは
15時過ぎだったかな。
そう、風が寒かった日でした。
到着したのはこちら。
駐車場のユキヤナギ(雪柳)が
綺麗でしたね。
木のつたも可愛かったな
。

一見秋っぽくも見えなくもないけど。
この日は3/24でしたね。
お天気はなかなかだったけど、
寒い日でしたかね。
そして本日メインの
チューリップ。
チューリップはまだこれからって
感じでしたけど。
これからが満開かもですね。
至るところにかわいいプランターが。
ほんと花づくし
。


一部だけ咲いていました
。

チューリップって案外撮るの
難しいお花ですね。
上からだとなんかスカスカで
さみしいので、lalaの影を
入れてみましたww
。


そして可愛いジャノメエリカのプランター。
すると・・・・。
和太鼓祭りが行われていました~



皆さん元気でとっても楽しそう~
。

調度ラストの皆参加演奏が
聞けました
。


夫くん、ドラムじゃなくて和太鼓
やったらいいのに。
かっこいいから

。



しかも痩せそう~
。

そんな公園はとっても広くて
面白そうな遊具も沢山でした。
その一角でお花みもしてたよ~
。

最近のお花見は簡易テント持参に
なってるのですね。
確かに日差しがきつかったり、
風が冷たかったりありますからね。
最後に最寄りにある神社に
立ち寄りました。
●治水神社
1938年(昭和13)創建
御祭神
平田靱負正輔大人命(薩摩藩家老)
及び薩摩藩士84名
三川公園近くということで、三川とは、
木曽川、長良川、揖斐川のことで、
3つの川が伊勢湾に
合流する場所でもあり、
その昔、大雨が降ると水害被害が
かなり酷かった地域だったそうです。
そりゃ、川どれも大きいですしね
。


ここからちょっと小話です。
その川の流れを変える為、当時徳川幕府が
薩摩藩にお願いして(命令ですねww)、
治水分流工事を行ったそうです。
とっても大変な大工事でもあり、予算も
薩摩藩にださせました。
藩を疲弊させるためでもあったようです。
その総責任者を務めた平田靱負(ゆきえ)は
自国が戦場になるよりは、異国の民百姓を
救う事が薩摩隼人の誉であり、御国安泰の
基になると。(民に尽くすもまた武士の本分)
藩を説得し厳しい状況下で
工事にあたりました。
約1年半弱で完成させましたが、途中
藩士の殉職(病気・自害)や予算の膨張もあり、
完成とともに自害されたそうです。
その時の辞世の句
住みなれし里も今更名残にて
立ちぞわづらふ美濃の大牧
※参考にさせて頂きました。→★
住み慣れた薩摩も今更
名残惜しくはないけれど、
この美濃の大牧は立ち去り難く思う・・・。
(現在は岐阜の海津市です。)
のような意味みたいです
。

おお~の~ぉ~う
。

ああ、なんと



不条理過ぎる・・・・

。



その偉業すんばらしいのに。
美濃・伊勢・尾張300ヶ村の
救世主となったのでした。
※公園に銅像もあります。→平田公園
そんな訳でこの時、薩摩藩の方が
管理のため派遣され、尾張藩に
組み込まれた方もいたそうで、
尾張エリアにはその功労者の
御子孫もいらっしゃるのでしょうね。
まぁそんなこんなで治水神社が
建設されたそうです。
詳しくは宝暦治水事件を要参照~。
こんなに引っ張ることになるとは・・・
。


でも一言では書ききれませんでした
。

そんな訳で、神社の方は・・・・。
あいにく16時すぎていたので
終わっちゃってたみたいだけど。
でも人がいなくても川沿いだし、
何か神秘的な雰囲気のする神社でした。
大切にされているのだなと感じました。