PL教団からの退陣を求めます(その2)【令和6年3月29日付手紙】 | 御木白日のブログ

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学習院大学 仏文科卒業。大正大学大学院文学博士課程修了。
詩人活動をとおして世界の平和に貢献。

御 木 美 智 代 殿

                  御 木 白 日

 

PL教団からの退陣を求めます(その2) 

 昨年12月11日付の手紙で、御木貴日止師とPL教団を台無しにしてしまわれた美智代夫人、あなたに対してPL教団から退陣されることを私は求めました。その手紙の内容は、全国のPL教団の教会の教会長、そして多くの会員さんの知るところとなっております。
 そして、美智代夫人の退陣を求めるだけではなく、御木徳近立教の本義に基づく本来のPLの教えをPL教団の布教責任者として私、御木白日に説いてほしいという要望が多くの方々から寄せられて来ました。
 ここにある教会長から寄せられた手紙を紹介させていただきます。

〝 御木白日先生
 先日はお手紙、資料をお送りいただき、ありがとうございました。
 仰るように、美智代氏に教団トップを去って頂く以外にこの教えを世に残す方法はないと思っております。
 なにより、人格を見るに、余りに品格がなさ過ぎます。一個の人間としても尊敬出来ない人間を、まして宗教家として戴くことなど出来ません。
 先のおしえおやが亡くなられた後は、そのことは一線の教師にも見えるようになってきました。本当に悲しいことです。
 行状を見るに付け、その思いは募る一方ですが、他方では一教え人として会員様に教えを説かせて頂く楽しさ、やり甲斐ゆえに今も教団に残っています。
 教えは無論中身が大切ですが、器を失っては中身を保つことも出来ません。二代様が遺され、湯浅先生はじめ先人が遺された大いなる教えを、なんとか世に遺すことは出来ないかと思っています。
 芸生新聞紙上での理事会の発表を見て、心から落胆いたしました。
 身近で美智代氏の姿をつぶさに見ている人たちが、次代のおしえおやを任命するという、その責任の大きさを全く感じていないのは恐ろしい限りです。
 思いの丈を書き連ねればいくら紙幅があっても足りません。取り急ぎ先生のお手紙に現役の教師として謹んで賛同の思いを表明させて頂きます。
 先生におかれましては呉々もご自愛頂きたいと思います。取り急ぎ失礼致しました。心から先生のご健康をお祈り申し上げます。 〟

 私、御木白日は、PL教団の布教の責任者である教主として、貴日止教主のあとを継いで、父徳近師の悟りにもとづく〝人生は芸術である〟の一大真理を皆さまに説かせていただく使命にあると覚悟致しました。美智代夫人、あなたは本当のPLの教えを体得していません。ですからこれまで本当のPLの教えを説くことをされていませんし、これから説かれることも不可能です。
 PLの教えの布教の障害となっている、そのような美智代夫人、あなたにはPL教団を即刻退陣されるよう重ねて求めるものです。本当のPLの教えを世に弘め、世に残すために、私、御木白日は、PL教団の教主となることをここに明らかに致します。

 貴日止教主も御承知だったように、15年間以上、私はPL処世訓の勉強会を開き、資料を配り、会員の皆さまに教えを説かしていただいています。徳近師が悟られたPL処世訓21ヶ条について勉強会での話をもとに、私なりのPL処世訓解説がようやく出来上がりました。徳近師が、教義としてのPL処世訓の解説を時代に合わせて説くようにとおっしゃっていたことを実践しているのです。

 私は夢をよく見ます。
 2021年5月19日朝、貴日止教主の夢を見ました。

  貴日止教主が私にピタっとより添って離れないのです。亡くなられたはずなのにと思いながら、貴日止教主を見ますと、私を見上げるようにして、私を見つめて「白日さんがいてくれてよかった。白日さんがいてくれてよかった」と繰り返し繰り返し叫んでいるのです。その声が次第に大きくなり、ハッと目がさめました。貴日止教主は私を信頼して下さっているのだと痛感しました。
 2022年5月2日朝方、また貴日止教主の夢を見ました。 

  貴日止教主が真正面から現れて、私に真剣な顔で「私の後をよろしくお願いしますね。頼みますね。ほんとうに頼みましたよ」と言われたのです。貴日止教主の上の方を見ますと、二代さま、初代さまが、にこにこして私を見ておられるのです。ハッと目がさめました。
 以前ブログにも書きましたが、お会いしたことのない初代さまの夢を見たことがあるのです。ひとのみち教団の教祖の正装をされた初代さまは、私に面と向かって、私を指さして、「お前は孫娘の白日だな、お前は二代の言うことだけを聞いていたらそれでよいのだ」と教えていただきました。そして初代さまは後ろを向いてさっさと行こうとされたので、私は後を追って「二代さまがもうすぐお帰りになりますから、お待ち下さい」と申し上げると、「きっ!」と私を振り返られて「いまお前に二代の言うことだけを聞いていたらいいと言ったではないか、わしの後をついてくるな」とおっしゃってそのまま行ってしまわれました。そこで目がさめました。 

  この話を父に申しますと、「先代(初代さま)の言う通りじゃ、その通りにしていたらよいのじゃ」と教えて下さいました。このとき、二代さまの教えを説きつづける必要があることを自覚いたしました。
 以前から徳近師の夢はよく見ております。

  「白日お前がPLなのだ!お前はお前の信念を貫いて行きなさい」というような夢が多かったのです。

 或る日父から「わしにもしものことがあった時の白日の心境を知りたい」と突然言われたことがありました。私は「もしも、という言葉はお聞きしたくない」と申しましたら、「今すぐどうこういうのではないよ。しかし、もしものそういうとき白日の心境を知りたいと思ったのだ」と言われましたので、私は思わず、「パパに代わってこの教えを説いて説いて説きまくります」と申し上げました。父は「よし、それでよし。安心した。その心境を終始一貫、貫いていくように」と言われました。その時の私の覚悟を申し上げたのです。

  これは神との約束だったのだと私は思っています。

  私には、初代さまの孫娘として、二代さまの娘として、貴日止教主の姉として、このPLの教えを説かしていただかなければならない責任があります。PLの教えが消えるようなことがあってはならないのです。

 入院中の影身祖さまから「どうも二代さまのお骨は奥津城に入っていないようなので、もし貴日止教主のところにあれば、白日さんがそれを持ってきて守ってちょうだい」と頼まれました。私もそのことが気になっていましたので、事前にお電話をして、強い力の持ち主の教師2名を連れて貴日止教主邸に2007年9月22日朝伺いました。部屋に入りますと貴日止教主がおられましたので、「お骨を頂きに来ました。どこにあるのですか」とお聞きしました。貴日止教主の指さす方向を見ますと、今私が入って来た入口のところにおいてありました。私は入る時に何か腕に触った感覚がありましたが、まさかお骨とは思いもしませんでした。私は思わず、貴日止教主に向かって「こんなところにおいて粗末な扱いをしていますと、あなたの体はますます悪くなりますよ。そして教団もダメになりますよ」ときつく申しました。

  貴日止教主は、体をのけぞるようにして驚いて「すぐ奥津城に入れましょうか?」とおっしゃったので、「当然です。二代さまが望んでおられたことですから」と申しますと、「すぐ入れます」とおっしゃったので、安心してしまい、持って帰ることをやめました。影身祖さまもお喜びになると思いました。ところが、その後に、お骨はまた出され、現在行方不明になっています。

  お骨を頂きに行った日のことに戻りますと、いつの間にか理事という人たちが私の後ろを取りまいて集まっていました。私が来るというので美智代夫人が集めたということです。

 
 貴日止教主が私に「お座り下さい」と言われるままに座りました。私が座ったテーブルの右斜め前に貴日止教主、その右隣に美智代夫人、左斜め前に板垣信生さん、その左隣に牧野さん、私の正面に板垣真光さん、その左隣は空席でした。

 
 私が座りますと突然、私の左斜め前にいた板垣信生さんが「白日さんは二代さんのことを、二代さま二代さまと今でも言っているようですが、死んだ二代が何だというんだ」と言い出しました。私はこんな言葉は聞いたことがありませんでしたので、思わず両手で耳を塞ぎました。すると、その横にいた牧野さん、私の正面の板垣真光さん、貴日止教主の右横の美智代さんの3人が「そうだ、そうだ」と言っていました。後ろにいた人たちのことは分かりません。私は両耳を塞ぎながら、貴日止教主の顔を見ました。

 
 貴日止教主は何とも言えないにがにがしい、唇をひきしめた顔をしていました。いやなことを言う人たちだと思っているように見えました。その時、私の脳裏にひらめいたのは、「そんな二代が指名した貴日止教主もろくなものではない」とこれらの人たちが言っているように思えたのです。とんでもない人たちであり、病気の貴日止教主を軽んじて、美智代夫人といっしょに自由気ままに貴日止教主を操ろうとしているのだと。
  このことは教団の大方の教師の方々の知らないことでしょう。おそろしいことです。

 
 私は大声で皆に「このPLの教えはすべて立教者御木徳近の悟りに基づいて説かれています。PL処世訓はじめ遂断詞も祖遂断もすべて立教者御木徳近の悟りにより遂断られたものです。あなたたちはそれを信仰し、実践しているのではないのですか」と申しました。

 
 皆黙って下を向いていました。「人生は芸術であるというこの芸術とは」と言いかけて私は「あなたたちに芸術の話をしてもわかるはずもないでしょうからやめます」と言って話をやめました。しばらくして「もう帰ります」と立ち上がりますと、皆一斉に立ち上がって「ありがとうございました」と言ったのには驚きました。

 
 その夜夢をみました。砂地獄の中に皆が吸い込まれていく夢でした。そのふちに貴日止教主が一人しょんぼりと立っていました。目がさめてからこの人たちは忘恩の徒であることをあらためて思いました。同時にそんな人たちに囲まれた貴日止教主を気の毒と思うと同時に教団もダメになると直感しました。

 〝人生は芸術である〟の教えの中心に「みしらせ、みおしえ」の真理があります。徳近師は日訓にそのことを書き残しておられます。

 
 私は徳近師の祐祖(1962年1月5日「白日祖就任奉告祭」、同月10日「白日祖就任奉祝祭」を行う)として、徳近師のご指示のままに会員さん方の願いにお応えして、これまでも、現在も「みおしえ」をさせていただいています。教えの解説、みおしえの解説、祖遂断もさせていただいています。現在のPL教団は「みおしえ」を行わないと宣言し、会員さんからの「みおしえ願い」を受け付けていません。今のPL教団はもはやPLではないのです。

 
 多くの会員さん方から「PLの教主としてなぜ立って下さらないのですか」「ぜひ教主として指導して下さい」という要望が多く寄せられています。一人でも多くの会員さんの幸せのために、喜びのある人生を送っていただくために、PLの教えを後世に伝えるために、本当のPLの教えを説いていかなければなりません。そのために、私自身が立教者父徳近師の思いを、また弟貴日止師の思いを受け継ぎ、教主として立つ決意をいたしました。
  全教師、会員の皆さまの御協力をぜひお願いしたいと思っております。

 
 美智代夫人、あなたがPL教団を壟断している限り、御木徳近師が予言されたとおり、貴日止教主は若くして病に倒れ、亡くなられましたし、PLの教えもPL教団も衰微の一途を辿るほかありません。

 
 PLの本当の教えを知らず、説くこともできない美智代夫人、あなたにはPL教団を退いていただきます。