御木美智代夫人の退陣を求めます(その2) | 御木白日のブログ

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学習院大学 仏文科卒業。大正大学大学院文学博士課程修了。
詩人活動をとおして世界の平和に貢献。

 御木美智代夫人に対して「PL教団からの退陣を求める」手紙を2023年(令和5年)12月11日に出しました(同年12月30日の「御木白日のブログ」ご参照)。

 

 会員数の激減に端的に現れている教勢の衰退、そして会員の献金によって建築された教会が全国に450以上あったものが、現在180を切るまでにどんどん売却されてしまっていること、そのような危機的な状態に陥っていながら、美智代夫人を中心とする現在のPL教団は無頓着、なにも問題がないかの如く振る舞っており、このままでは「PLの教え」も「PL教団」も消えてなくなってしまいます。

 

 そのようなあってはならない事態の発生を防ぐために、美智代夫人のPL教団からの退陣を求める手紙を出したのでした。

 

 「美智代夫人の退陣を求めるだけでは不十分です。美智代夫人退陣後、どなたが教主になられるか、それによって教団の未来が決まるのです。御木白日が教主となってPL教団が正しい方向に向かうことを明らかにされる以外ありません。どうしてそうされないのですか」という非難とも励ましとも取れる声が大きく、広く寄せられました。常々「年齢を気にすることなく、積極的に物事に取り組み、日常生活を送ることが大切です」と申し上げている方からは、「教えを説くのに年齢は関係ありません」とお叱りの言葉もいただきました。

 

 美智代夫人が、お手伝いからにわか仕込みの「DS」に仕立て上げられた経緯を話される方もおりました。

 

 そして「美智代夫人に教団トップを去って頂く以外にこの教えを世に残す方法はないと思っております」というある教会長の方からの手紙もいただきました。

 

 熟慮のうえ、私は2024年(令和6年)3月29日付で美智代夫人に「PL教団からの退陣を求めます(その2)」と退陣を再度求める手紙を出しました。

 

 その手紙の中で、私は「私、御木白日は、PL教団の教主となることをここに明らかに致します」と宣言致しました。

 

 御木貴日止教主は2011年(平成23年)1月23日の朝9時半頃直接私に電話をかけてこられ、「私はもうこれ以上おしえおやの務めはできないので、白日さんにあとをお願いしたいのです。おしえおやになって下さい、お願いします」と話されたのです。「私でよかったらさせて頂きます」と申し上げますと、「よかった。ぜひお願いします。書類の書き換えもしなければなりませんので……」とおっしゃいました。

 

 貴日止教主は誰にも話をされることなく直接私に電話してこられたらしく、それを聞いた美智代夫人は驚いて、理事ら側近たちを集め「白日さんがおしえおやになったら、あなたたちはみんなクビになるのだから」と、貴日止教主に哀願、猛反対させ、翻意していただいたとのことです。

 

 1週間ほどして、貴日止教主から私に「もうしばらくおしえおやをやらなければならなくなりましたので……」と電話がありました。

 

 美智代夫人は「次の教主を定める」というPL教団の教主である貴日止教主にとって、とても大切な決定を否定し無視したのです。美智代夫人が貴日止教主の意志決定を否定したばかりでなく、理事の人たちもそれに加担したのです。これらの人々には、貴日止教主に対する敬意が欠如しているのです。あるのは自分たちの都合だけです。

 

 教主が次の教主を定めなかったときには、「教憲」では、理事会が定めることになっていますが、理事の方々は、貴日止教主が「次の教主は御木白日」と決定されたにもかかわらず、これを無視し覆してしまったのです。理事の方々がこのような行動をとるについて、理事会が開かれたのかどうか、そしてどのような決定が行われたのかを明らかにされるよう求めます。

 

 今の理事の方々も「教憲」に従って次の「教主」を定めることをせず、美智代夫人を「教主代行」としたと、2023年(令和5年)12月5日芸生新聞に発表しています。

 

 理事の方々は、PLの教えのため、PL教団のため、教えを守り、「教憲」を守り、教団の正常化に尽力されなければなりません。

 

 私の決意表明に対して、理事の方々、そして理事会は、その見解を芸生新聞において明らかにされることを求めます。それが、多くの教師の方々、会員の皆さんに対する誠意ある在り方と信じます。

 

 理事の皆さん!皆さんの忌憚のない意見、見解を芸生新聞において明らかにされることを求めます。

 

 ここに「PL教団からの退陣を求めます(その2)の手紙を掲載することに致します。