イメージの造型 | 御木白日のブログ

御木白日のブログ

学習院大学 仏文科卒業。大正大学大学院文学博士課程修了。
詩人活動をとおして世界の平和に貢献。

1 イメージ

 

人が何かを表現する時、心の中にこうしたいという思いとか形がいろいろ出てくるものです。それをイメージ(心象)といいます。

一生をかけてこうありたいというイメージや、その間におけるその都度その都度のイメージ等、その人の立ち位置にもよりイメージは各人各様に自由なものであり、自然なものです。

日々の生活をより自分らしい楽しいものにしたいと思うのも自然であり、それに対してイメージを持ち、自覚して大いに創意工夫していく、それが自己表現です。そしてその連続が人生なのです。

自分がしたいこと、なすべきこと等、日常の仕事の上に料理や掃除までその人が心に画く独自のイメージを実現すべく努力する、それが芸術であり、自己表現であり人生なのです。

 

〝イメージはその人の心の調(しら)べである。生命の躍動であり、リズムであり、ハーモニーである。イメージはその人独自のものであり、無限に流転、進展、展開するのである。イメージの造型こそ生きる喜びである。

人の一生はイメージの造型に終始するのである。〟

 

二代さまがいつもおっしゃていたお言葉です。

楽しくリズミカルに心はずんで自分らしくイメージを表現し意義ある人生にしていきたいものです。

 

2 イメージにひそむポエジー

 

私は学生時代から現代詩を作り、詩の研究をし、二代さまのもとで〝詩芸術〟という月刊誌を出していました。現代詩の研究は芸術を理解する上に大いに役立っています。それはイメージの造型ということ。

そのイメージには、人間のセンチメントであるポエジー(詩情)が必ずひそんでいます。そのポエジーのゆらめきがイメージを作りあげていくのです。これは芸術する上に大切なものです。

次のような二代さまのお言葉があります。

 

〝人生にポエジー(詩情)がなかったら、この世の中は無味乾燥である。ポエジーとは人間生活の朝から晩までの上に次から次へと湧いてやまない心の音楽……、リズム(韻律)、ハーモニー(調和)である。

それは時として爆発し、何ものをも焼きつくす灼熱のるつぼと化す不協和音でもある。

ポエジーなき世界は人間の世界ではあらぬ。〟

 

3 「しらべ」の大切さ

 

芸術するとは自己表現することであり、その楽しさ、喜びは自分のイメージを表現するそのプロセスの中にあるのです。イメージと呼応して絶えまなく表現される動きの中に流れる「しらべ」、「しらべ」はその人独特の持味であり、持味からにじみでる生命の息づきであり、躍動感であり、リズムです。

実践するプロセスの中に絶えず流れている生命の息づき、躍動感ともいうべき「しらべ」こそ芸術の源泉です。

心の「琴線に触れる」という言葉もその生命の息づきである「しらべ」に共鳴するということではないでしょうか、それにより人は感動するのです。

すべてはその人の動きの中から生まれてくるのですが、それはその中に絶えず流れているリズミカルな「しらべ」の中からの発動であり、新しいものもそこから創造され、生み出されてくるのです。

動きは「しらべ」であり、すべての芸術の源泉なのです。ポエジー、イメージ、しらべ等は一つになって芸術の上に表現されてゆくのです。

私たちは常に「しらべ」豊かな芸術を志(こころざ)したいものです。