アメリカ大統領選挙 10月4日 | 御木白日のブログ

御木白日のブログ

学習院大学 仏文科卒業。大正大学大学院文学博士課程修了。
詩人活動をとおして世界の平和に貢献。

アメリカに於いて、アメリカ大統領選挙の取材を長い年月、回数も多く手がけて来られたジャーナリストの古森義久氏の記事を読んで全く目からうろこのおもいをいたしました。

 

「危険なのは日本の大手メディアとアメリカ通とされる識者の多くがアメリカのニューヨークタイムズ、ワシントンポスト、CNNから発信される情報に依存する傾向である」と。それらは民主党を支持していて、共和党の明白な実績は無視して片言隻句の特異性だけを容赦なく叩くという報道パターンが多いという、この政治的偏向は歴史的かつ構造的、組織的である。この現実を認識していない危険が日本にはあるということでした。

 

この記事を読んでおもったことは、アメリカの自由というのは、それらも受け止める驚くべき大きさがあるということです。他方では共和党でなくてはという大きなうねりもあるということです。そのトータルでアメリカという国のバランスがとれていればよいということになるのでしょうか。

 

アメリカは他国と異なる「大きな」デモクラシーがあるということであろうとおもうのです。

 

19世紀のフランスの政治家で歴史家、自由主義者でもあり、1848年に外務大臣も務めたトックヴィル(1805~1859)は貴族の生まれでアカデミーフランセーズの会員でもあり、広い知識と深い洞察力とにより人間の自由と平等を求める要求の正当さと、その進展、民主主義の発展の歴史的必然性を指摘した人でした。

 

そのトックヴィルがアメリカの大統領選挙を見て、アメリカのデモクラシーの特異さに大変驚いたという話を、いまあらためて思い出したことでした。

 

ふりかえって、日本ではバランスのとり方がアメリカと大きく異なるものを感じます。

 

日本のメディアはどうかといいますと、個々のメディアの中で何とかバランスをとろうとしているように思います。

 

アメリカは一つの国の中でのバランス、日本は一つ一つのメディアの中でのバランスを考えるようで、バランスの取り方が小さいのです。

 

デモクラシーも大きくとらえるのと小さくとらえるものとでは見えてくるものに違いが出てくると思います。

 

私は詩を作ります。ペンネームの「星ヶ丘美紀」は二代さまからつけて頂いたものです。

 

現代自由詩の場合、まず対象をアバウトに大枠でイメージ大きくとらえて心に入れます。それがまず大切です。小さくとらえていますと、目先のことばかりで、周囲が見えなくなり、そこでバランスを取ろうとすると小さくなります。イメージで大きくとらえますと、中心も周囲も見えてきてそこでバランスの取り方も異なってきます。

 

芸術は調和とバランスです。どこでバランスをとるかスケールの問題にもなります。

 

デモクラシーには詩作に通ずるものがあると思ったことでした。

 

日本のデモクラシーは短歌的であり、アメリカのデモクラシーは現代詩的であるともいえましょう。