短歌的発想と詩的発想 | 御木白日のブログ

御木白日のブログ

学習院大学 仏文科卒業。大正大学大学院文学博士課程修了。
詩人活動をとおして世界の平和に貢献。

私は現代詩も短歌もたのしんで作らせて頂いています。

そこで気付いたことがあります。短歌的発想と詩的発想による芸術に違いがあることです。

 

二代さまの芸術を真近で長年見せて頂きましたが、それは短歌的というより詩的発想の芸術であり、実践であったと実感しています。

短歌を作る場合は、目の前の対象に心を入れ感動の中心を把握して、そのおもいを57577という31文字の形の中に言葉として置きます。

1首だけで足りないときは、そのおもいを幾首にもわけて作ります。短歌的発想と私は名付けました。

現代詩を作る場合は、まず対象を大枠でとらえて心の中に入れます。そしてその中心をしぼり心の中で自由に組立て構成し一篇の詩といたします。

詩的発想と名付けました。

 

この度の新型コロナウイルスに対する在り方をみていますと、日本は短歌的発想であると思わずにはいられません。

これまで経験したことのない困難にぶつかったとき、短歌的発想で物事にあたりますと、狭い中ですのですぐ目先の利害の対立がはじまり、事が前に進まなくなります。すぐ出来ることも出来ない、そのために手おくれになるということになるのではないでしょうか。

 

又「これをやってもだめ」となれば「あの方法はどうか」とか「もう少し大きくしよう」というように少しずつ枠をひろげてゆくということになって、次から次へと新しい問題が出てきて、時間が長びくばかりでなく、その手当ては、いつも不充分なことになり、なかなか解決の目処がつかないことになるのです。「too late, too little」(遅すぎて、少なすぎる)ということになるのです。

 

詩的発想でかかれば最初から大枠でとらえますので、物事を構造的に体系的にとらえることになり、まず目前、短期的に行う必要のあること、そして中期的、長期的に必要なこともはっきりしてき、方向性が明確になるのです。

 

ヨーロッパの国の中でもすばやく対処し、処理してゆく詩的発想で行動する国のあることもわかりました。ドイツです。

二代さまは「今からの世の中は現代詩を勉強することが大切」と私たちに方向性を示してくださいました。本当によかったとしみじみおもいます。

 

「戦略のあやまりを戦術でとりもどすことはできない」のです。短歌的発想は戦略を早くに固定してしまうことになり、誤っていたことに気付いても、軌道修正することがむずかしいのです。目の前の戦術を工夫することにより、なんとか苦境を打開できたとしても、次から次へと方向性をつかみにくい問題に見舞われます。それでもそもそも戦略が間違っているので、結局すべての努力は水泡に帰することになりがちです。