PL処世訓第12条“名に因りて道あり” | 御木白日のブログ

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学習院大学 仏文科卒業。大正大学大学院文学博士課程修了。
詩人活動をとおして世界の平和に貢献。

 世の中にあらわれたものには名がつけられています。名が無いものは存在してないのも同然なのです。
「“名即道”であり、名にはそのものの使命としての道がありその道は無限である」と二代さまは教えて下さっています。
 「名」には、それぞれの名の持つ神業があります。その神業を働かすこと、それが芸術なのです。神業はその人が芸術しなければ働かないのです。
 どんな「人」にも、「もの」、「こと」にもその人、そのもの、そのことの持つ神からの神業があるのです。すべての人、すべてのもの、すべてのこと、それぞれの「名」に神業としての使命(役割)があり価値があるのです。その使命である「道」は無限なのです。その神業を働かすこと、即ち芸術していくこと、そこに無限の道が開かれてくるのです。
 二代さまは、折にふれて私に色紙に書いて下さいました。“白日と在れ”“白日と生きるべし”等々、いろいろ書いて下さいました。
 「白日には白日独特の神業がある、それを大切にせよ、粗末にしてはいけない」と二代さまはよく教えて下さいました。これは私のみならず、どなたについても同じなのです。「白日」のところにどなたの名前が入っても同じことがいえるのです。この世にあらわされたものすべて神業なのです。それぞれの名のもとにその神業があり、そこに独特の神業としての使命(役割)があることを認識し、その神業を駆使して人世(ひとよ)のために生きぬくべく、大いに芸術していくのが人としてのあり方であ

ることを思います。