1.マイケル・ジャクソンとクラシック音楽について
「マイケルジャクソンコンプリートワークス」の著者ジョー・ボーゲルの
「Featuring Michael Jackson」によると、スリラーブームがひと段落するとマイケルの楽曲は「シリアスアート」ではないという批判が高まったそうです。
マイケルの作った曲は「calucurating, slick. shallow」(計算ずくめ、外面ばかりよい、
浅い)と評価されるようになったというのです。何が「シリアス」なのか、一口に言うのは難しいですが、この当時の批評家たちこそ「浅い見方」しかしていなかったと断言できると思います。
マイケルの「スリラー」は黒人音楽と白人音楽の壁を破ったとよく言われます。
その例として必ず挙げられるのが、「Beat It」にヴァン・ヘイレンをギタリストとして
フィーチャーしたことだと思います。
でも、マイケルとしてはどうだったでしょうか。
マイケルにとって、ロックは元から黒人が作った音楽。明確な白人音楽と黒人音楽の
クロスオーバーとして作った楽曲は「ビリージーン」だったと思います。
ベースラインはホール・アンド・オーツの「I can't go for it」を引用し、曲の内容には
オペラを引用する。
これだけ異なるものをミックスして、奇天烈な切り貼り継ぎ合わせの作品にならずに
だれもが魅了されるようなスマッシュヒットを生み出した。あまりにそれが自然すぎて
見逃されてしまったのでしょうか。
クラシック音楽を取り入れることは、「デンジャラス」あたりからかなり「露骨」にわかるようになっていきますし、「僕の作品をクラシックにしたい」というようにマイケルは明言するようになります。
おそらくどこの国へ行っても強固に存在するだろう「西洋クラシック音楽」
と「ポピュラー音楽の壁」。それを「ビリージーン」の時代にすでにあっさり打ち破っていたと思います。
このマイケルのどこが「浅くて、表面だけ綺麗」なんでっしょうねっ。(怒)
子供のころから神童呼ばれ、ほとんど見よう見まねの独学とパパの仕込みで歌も踊りも作曲もこなしてきたマイケルは、「スリラー期」に徹底的に本格的な勉強を始めたようです。
ダンスは「ムーンウォーク」や「ゼログラビティー」考案したジェフリー・ダニエルのレッスンを受け、ボーカルコーチのセス・リグスとは79~80年ごろにレッスンを始めました。
おそらくこれと前後して、音楽理論についても正式な勉強をし始めたと思われます。
だれからか、ということに関しては今までどこにも資料はなかったと思います。
可能性としては
1.クインシー・ジョーンズ
2.ナディア・ブーランンジェ(クインシーやピアソラ、コープランドが学んだフランス の作曲家、教育者)
3.アーロン・コープランド
かと思います。
マイケルの楽曲がスリラーのころからどんどん、充実していった理由の一つとして
「対位法」があるのではないかと思うのです。「Be Not Always」はカントリーぽくて素朴な曲調ですが、対旋律を使おうと試みていることがうかがわれます。
「ビリージーン」でも第二バースから印象的な対旋律が出てきて、厚みが加えられています。
「対旋律」というのがポピュラー音楽とクラシック音楽の違いを決定する大きな要因であるようです。大変厳しいルールがあって学ぶのも大変だとか。クインシーもナディア・ブランジェにこの「対位法」を学んでいます。
直接クインシーから学べるのでしょうが、クインシーの多忙ぶりを考えると
時間をかけて教えることのできる、クインシーとコネクションのある誰かじゃないかということで、ブーランジェかコープランドかな?という推理です。
マイケルが好きなクラシック作曲家は?と聞かれると、アメリカ人ではコープランドをあげるんです。ガーシュインもバーンスタインもいるのになぜ?と思っていたのですが、
ブーランジェつながりだったら不思議はないし、ひょっとしたらコープランドから直接教えを受けたのでは?とも考えてみたりします。
コープランドは映画音楽も作っていますし、ポピュラー音楽にも明るかったはず。
あくまでも推理です。コープランドもブーランジェも80年当時は大変高齢ですが
存命中でした。教えることはできなくても、この人たちの弟子筋を紹介してもらうことは十分可能だったでしょう。日本ではバーンスタインほどの知名度がないのですが、
アメリカ音楽界では絶大な影響力を持っていたようです。
「エル・サロン・メヒコ」民族音楽のリズムやメロディーを取り入れた楽しい曲です。
70年代ごろにブラスバンドをしていた人なら、「エルサロンメヒコ」を演奏した人があるかもしれません。「戸外序曲」も有名。
いずれにせよ、マイケルの「カルメン」の分析は、オペラの音楽監督とか、指揮者とか
演出家とかそういうレベルのものだと思います。教えた人も相当のレベルのはずです。
マイケルのバラードはよく「ディズニー音楽」みたいだと言われるのですが、
アメリカの映画音楽を作る人たちは、クラシックの勉強をがっちりやっているような人たちらしいです。ディスニー音楽の質が高いということなんだと思います。
マイケルはポップですから、複雑な作りをしていてもあまり重厚過ぎず
軽やかで美しい音楽を目指していたと思います。でもほかのポップ音楽とは
何か違うというところは打ち出していきたかったのでしょう。
「浅い」批評家からしたら、マイケルの音楽は「浅い」のでしょうが、彼らの考え方は間違いだと確信できます。「体制批判」や「世直し」、「裏の意味」、「イルミナティー?」がなくてももともとマイケルの作品には「深み」があるのです・
2.物語原型や神話類型のこと
物語原型という言葉を使って、「ビリージーン」の構造を説明してきたのですが「物語原型」とは「人間の語る物語にはある限られた数の原型がある。」という考え方です。
人間の語りはどんなに工夫したってある一定のパターンになる、ということには
否定的な人もいるようですが、逆にこの「原型」という考え方を活用して
物語を創作する作家も多いのです。
マイケルは「活用するタイプ」なのだと思います。
例えば、キャプテンEO。
暁の女王が闇に捕らわれ、その星は暗闇に閉ざされています。
そこへやってきたキャプテンEOが踊りを踊ると、女王は縛りを解いて元の輝きを取り戻し、光が蘇ります。
このお話、日本の「天岩戸伝説」にそっくりですよね。
天照大神が岩戸に隠れ、再び姿を現すという物語は、冬至や日食を表すのではないかと考えられています。
「Without a key to unlock it.」(あなたの美しさは扉の向こうに閉ざされている)というキャプテンのセリフは女神の本来の力や姿が、扉や蓋の向こうに閉じ込められていることを示唆していますね。愛と正義のダンスなのになぜかセクシー。天岩戸の前で踊るアメノウズメもセクシーダンスを踊るんです。
マイケルがどうして日本の神話を意識したのか?
秘密のカギはこれですね。
マイケルが大好きな「スターウォーズ」です。
ルーカスは神話に深い興味を持っており、「スターウォーズ」は宗教学者ジョーゼフ・キャンベルの「千の顔を持つ英雄」に強く影響を受けたと明言しています。「勇者が旅立ち、闘い、帰還する」という典型的英雄神話型の物語を下敷きにしてスターウォーズの物語が作られているのです。(松岡正剛さんの「千夜千冊」によると、ルーカスは大学でキャンベルの講義を受けていたということです。」
ルーカスは日本的なものに興味があり、キャラクターたちも着物のような衣装を着たり、ヨーダには日本人の依田さんというモデルがいたというのは有名な話。
「フォース」って「気」ですよね。
湯川れいこさんのツイートによると、この依田さんという方は、ステレオメーカーの山水の現地社長だった方だそうです。つい先日湯川さんは依田さんとお会いになったとか。。。
「天の岩戸伝説」は日本固有の神話ですが、この「死と再生」という神話類型は世界中にあります。
エジプトのオシリス神話がそうです。
キリストの誕生日は冬至の日に設定されています。キリストの死と再生の伝説も
キリスト教以前からある神話を借用したものと考えられています。
「神話」という物語は読むとわくわくするようなお話が多いです。しかもこのように
「世界共通」な要素があるから、世界中の人々の心に訴えかけるのです。
ルーカス×マイケル、さすがにこの力をよく知っています。
キャプテンEOは武器は使わないけど勇敢な「英雄神話」に「太陽神の死と再生」を掛け合わせて、わずか10数分の物語の中に、壮大で華麗な世界観を持つスペースオペラを描き出しているのです。
「ビリージーン」も「カルメン」を通じて「ケルト神話」や「ギリシャ神話」につながることで、豊かで奥深い読みや解釈を味わうことができます。神話類型についてはまた別記事で詳しく。
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なんだか、ヘビーな記事が続きましたが、たくさんの方にお読みいただいてありがとうございます。
次はちょっと休憩。
ビリージン番外編です!
「ビリージーン」の謎が一つ解ければ、別な謎の扉が数限りなく開きます。
「Who Is It」の美女は誰?なんと、ここにもカルメンが。。。。。?
(続く)