これは私がした最後の翻訳の仕事の原稿です。立命館大の先生が招いたチェルノブイリ原発事故の被害者の方のスピーチです。

身体が痛くてしかたなかったけど即答でオファーを受けました。そしてこの仕事で引退を決意しました。

大学進学の時、語学は第一希望ではなかったのに、親に無理やり英文科に決められました。卒業後は教師にと条件をつけられ。教師を辞め、通訳翻訳をしていても、自分は語学の人では無いというひけめを持っていました。

シェイクスピアより、オースティンより、フルートコンテストより、このラジーミチの方のスピーチが私には大切に思えます。尊いとさえ思います。

小さな小さな人々の、小さな小さな声を伝える手伝いができたら、泣く泣く史学科を諦めて英文科で勉強した意義も見つかったような気がしました。

痛さを我慢して教壇に立ち続けたことにも何か意味があったのかなと思えました。

NPOの名前、ラジーミチはロシアの少数民族です。

真ん中あたり、鉛筆で書き込みしているところが、所謂「死の雨」が降ったあたりです。

noticed plane that のplane はどうも文脈に当てはまらないならないなと考えplain で訳し、コーデタィネーターには事後報告で押し通しました。

ロシアといえば果てしなく続く平原。飛行機はあり得ない、と。

翻訳した時点では今みたいにスマホでなんでも検索してなんでも調べられたりしませんでしたが、今調べると、ノヴォジブコフのある地方は「ロシアの心臓」と呼ばれる、ロシアに典型的な平原が広がり白樺の森で人々がベリーやキノコを取る豊かな土地だということがわかります。

ただ、その文章は、ネイティブの英語や米国とは少し文型が違っていてなんとも訳しにくく、
未だにこうだ!というバチッと決まった訳が出てきません。仕事をした時の訳でOKは出たのですが、その後、もっとこうじゃないか、ああじゃ無いかと頭を捻り、想いを巡らせ時が経ってしまいました。

単語を全て拾って、文法に当てはめて訳すと。

「 私と私の同僚は、大地が雨雲を凝結させ、町の人々を、牧草地を、森を覆ったことに気付きました。」

となります。どうもピンときません。

直訳すると、

「大地が雨雲を凝結させた(水蒸気から雲になった)」

というのは不自然です。

単に

「雨雲が立ち上り我々を、牧草地を、森を覆った。」
 
で良いと思うのですが、

確かにnotice, やplain が入ることで、原発事故の情報を何も知らされず、死の雨に打たれ、チェルノブイリ原発周辺の線量と同じぐらいの放射能にさらされた、ノヴォジブコフの人々の無念、怒り、悲しみが伝わるような気がします。

ロシアの人々(現在はベラルーシ)にとっては、plain大地は信仰の対象です。大地は命を産み出し、育みます。人は死ぬと大地に葬られ、土に還りまた新たな生命を産む、地母神です。

その大地が放射能に汚され、水が穢され、その水が水蒸気になり空に登り死の雨を降らせることになる雨雲になった。まさに痛恨。

日本語では、「雲が立ち上る」という表現はあるのですが「地面から、大地から立ち上る」とはいわないようです。

でも、ロシアではありなんではないかと思います。誰かが亡くなったとき、単にどこそこに葬っただけではなく、「○○の大地、✖️✖️町に葬った」と表現するほど、「大地」は人々の命を生活を支え、守る心の拠り所なのです。


「大地から雨雲が立ち上り、我々を、牧草地を、森を覆い尽くした。私と私の同僚は胸騒ぎを覚えた。」

precipitateは凝結させる、の他に何か悪いことが起きるのを早めるという意味があります。

ダブルミーニングで胸騒ぎを覚えるにしてみました。

今のところこれが私にはベストの訳です。
「死の雨を降らす雲が」ぐらいに訳した方が良いかもしれません。

おそらくスピーカーが書いた英文だと思います。
この箇所以外はシンプルでとてもわかりやすい英語でした。

おそらくこのスピーチでの最初の山だからこそ、
英語としては読みにくい文になったのだと思います。全体的に淡々とした文面なので、英語の文法の乱れにこそ、話者の強い思いや感情が感じ取れると思います。

もう一箇所、英語とは表現の仕方が違うなという文がありました。

一番最後に、、

We don't have  a right to be weak.

という文があります。「私たちは健康に生きる権利を持っている。」

不健康に生きる権利を持っていない、というのはロシア語であればこういう言い回しをするのかもしれません。

私達は健康に生きる権利を持っている、ここにもスピーカーの強い訴えを感じました。

チェルノブイリが遠い過去のことではないのに、Fukushimaのことが、遠い遠い、非現実のようになっている、そんな気がします。