2.語りの形態のユニークさ
更にビリジンはこれらの名曲たちにさえ見られないユニークな「しかけ」を持っていることにも気づきます。
それは「僕」がリスナーではない「誰か」に身の上話をするという「告白」のスタイルです。
「僕、本当に困っちゃったんだ、聞いてくれよ。」みたいに同年代の友人に語りかけるようなくだけた口調、文体で詞が書かれているのです。「誰かの秘密の恋愛話」をはらはらしながら聞く、という位置にリスナーは立たされます。
困った話の告白ですから、なかなか核心に触れません。
「女の子から踊りに誘われて、どうして困るの?」「えっ、彼女に子供ができたって
どういうこと?」「えっっ、恋人に全部ばらされた!!」「で結局、彼女の部屋に行ったのかよ?!」とだんだん、秘密が明かされるミステリー仕立てです。
どきどきハラハラ、いろいろな感情を呼び起されて、ビリジンや主人公の心情を
考えて一緒に悩んだり、腹を立てたり。。。。。連続ドラマの一話分ぐらいの臨場感が十分あります。
いったいこんなポップス歌曲がほかにあったでしょうか?
歌詞を分析すると、オペラ「カルメン」からの影響が大きいことが見て取られ、
マイケルはこの名作オペラをインタープリテーションしたのだろうということを過去記事で検証しました。
もともと「カルメン」も西欧キリスト教文化圏の恋愛物語の元型、「トリスタンとイゾルデ」物語の影響を強く受けた作品ですから、マイケルは「物語元型」を意識的に取り入れて物語を作る、「構造主義的」な作風を打ち立てようとしていたことがうかがえます。
(ThrillerのSFは、「赤ずきん」の物語の変形ですね。Beat It は「ウェストサイドストーリー」と「ロミオとジュリエット」)
また、メリメ作の原作「カルメン」を照らし合わせると、次のことがわかります。
「WBSS」は実話をもとにしたフィクション
「ビリージーン」がそのフィクションの中のメタフィクション、
「ビリージーン」SFは、「ビリージーン」がヒットしたことを受けて作られた
ドキュメンタリー的なエピソード。
という関係で重層的な連作になっていて一つの素材でさまざまな「物語形式」を作る実験をしたとも考えられるのです。ビリジンのパフォーマンスになんともいえず深く引き込まれるのは、このように丁寧に何度も折り重ねた層が見えないところに存在しているからなのです。もう少し詳しく分析してみます。
3.「カルメン」と「ビリージーン」の構造の比較
メリメの原作「カルメン」はオペラに比べるとあまり有名ではありませんが、
美しい文章と高い見識を持って語られた優れた短編小説です。
またその構造は四章立てで、「物語のあらゆる形式を実験した」かのようにそれぞれの形式が異なっており、オペラ化もされた「ホセとカルメンの愛と死の物語」をより魅力的にし、深みを与えています。
Ⅰ章、Ⅱ章
あるフランス人の考古学者(メリメ)がスペインを旅し、その途中で山賊のホセとその情婦カルメンに出会う。
その数か月後、ホセはカルメンを殺して投獄された。明日処刑されるという日、考古学者はホセに面会した。
Ⅲ章
ホセが考古学者に語るカルメンとの出会いから、彼女を殺すまで。
(この部分だけがオペラ「カルメン」の原作。小説「カルメン」の中の
登場人物、ホセが語るという形の「メタフィクション」になっています。)
Ⅳ章
作者によるジブシー達の文化や生活、民族性についての記述。
文章で表現すると複雑なのでチャートにしてみます。
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「カルメン」
メリメ・・・・・・・作者・語り手・登場人物
④オペラ・カルメン
↑
①カルメンI・II ・・・・・・・② III ・・・・・・・・・・・・・・③IV
(実話に基づいたフィクション) (メタフィクション) (ドキュメンタリー)
↓
トリスタンとイゾルデ
↓
[神話類型] デアドラ(ケルト神話)
↓
アンドロメダ神話
①メリメが作者・語り手としてドン・ホセ、カルメンとの出会いを読者に語る
談話(登場人物:メリメ、カルメン、ドン・ホセ、その他)
② ①の談話の中の登場人物、ドン・ホセが語る説話(メタフィクション)
③ ジプシーの文化を作者が語る記録的文章
④ ②を原作として作られた舞台作品
「ホセとカルメンの物語」をホセ自身の告白という形で作者兼同情人物が聞くというスタイルが、読者をその魅力的かつ悲劇的な物語世界へ引き込みます。「若い男女の情死」という衝撃的な話の中に人間の崇高さや神秘性を見出す「作者兼登場人物メリメ」の目線のあることが、この小説の大きな特色です。第四章ではジプシー民族に関する記述があり物語の根底にある、異民族や異文化の対立、歴史的背景を浮き立たせます。
そのような特性も含めてのこの小説の魅力を見出して、ビゼーはオペラ化したのでしょう。オペラ化されたのは第三章の部分だけ。この章だけでも完成度が
高いということも物語っていると思います。あまりに人気があるため、見逃されがちですが、ビゼ^-の音楽は後のイタリアオペラなどにも強い影響を与える革新的なものでした。
この原作とオペラを含めた偉大な芸術作品「カルメン」をマイケルは的確に分析し
現代版「カルメン」を創作し、大成功を収めたと思われます。
マイケルジャクソンの連作「ビリージーン」(「Wanna Be Starting Something」と「ビリージーン」「Blood On The Dance Floor」)もチャート化してみましょう。
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「ビリージーン」
マイケル・ジャクソン 作者・登場人物・語り手・演技者
④ BJパフォーマンス
↑
①WBSS ・・・・・・・・②Billie Jean ・・・・・・・③Billie Jean SF
Blood On The Dance Floor)
(実話に基づいたフィクション) (メタフィクション) (ドキュメンタリー的なフィクション)
↓
オペラ・カルメン
↓
[神話類型] デアドラ
↓
異類婚姻譚・半神型神話
① MJが作者・語り手として実話をもとにしたフィクションを聞き手に語る談話。
(登場人物:MJ本人、BJ,BJの恋人、語られないBJの子供の父親、その他の人々)
WBSSのビリージーンはシングルマザーで、MJ(作者兼登場人物)がその子供の身を案じています。この子供を不幸にしたビリージーンと、「その想定される相手(子供の父親)」の恋愛の物語を楽曲「ビリージーン」で描いたと考えられます。
② ①の登場人物が語る説話(メタフィクション)
「WBSS」の中のシングルマザービリージーンの子供の父親が「ビリージーン」
の主人公(「僕」)
カルメン・・・・・・・ビリー・ジーン
ドン・ホセ・・・・・・ 僕
という関係性を作り、ドンホセが「自分とカルメンの物語」を告白したように、僕が「自分とビリージーンの物語」を告白する形式にしたと考えられます。
③ 「ビリージーン」がヒットした後の騒動を語るドキュメンタリー的物語
(①とつながる。作者・語り手はMJ自身。語り手のMJが「ビリージーン」を歌う歌手マイケルとして登場するので、①のMJも歌手で「ビリージーン」の作曲者ということがわかる。)
④ ②を基にした舞台作品
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「ビリージーン」の話には子供が出てくるという以外は、ほぼ相似形だと思います。
①から③を連作の物語として粗筋にするとこうなります。
「WBSS」
作者兼登場人物のマイケルは人気歌手。
人気者ゆえにマスコミやグルーピーのつきまといに悩まされている。
グルーピーの一人であるビリー・ジーンはシングルマザー。さまざまな男性とつきあい子供の父親は不明。生きぬくために必死な彼女の子供の行く末をマイケルは
案じる。(このフィクションは作者(マイケル)の体験を元にしている。)
「ビリージーン」
「WBSS」のビリージーンがなぜシングルマザーになったのか。ビリージーンと、彼女と子供を捨てた男(父親)の恋愛の顛末を、マイケル(「WBSS」の作者兼登場人物は歌にして発表する。その歌が「ビリージーン」。
「カルメン」第三章と同様、作者は「告白」の聞き手ともなる。
「ビリージーンSF」
マイケルが作詞作曲した「ビリージーン」は大ヒット。マイケルは世界的なスターダムを確立する。しかしその歌の歌詞を現実と混同した人たちは、「マイケルにはビリージーンという恋人がいる」と誤解しうわさする。マスコミは、マイケルとビリージーンとの密会をスクープしようと張り込むが、見つけられない。架空の人物「ビリージーン」が存在するはずはない。なのにビリージーンの虚像は独り歩きしていく。
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「僕らは音楽界を救うためにやってきた」というせりふが全然嘘くさく聞こえないほど
マイケルは本当に新しいことにチャレンジしました。音楽、映像、ダンスを融合して
パワフルなメッセージを伝えることです。しかしその融合を可能にするのは
「物語の力」
であることに彼は気づいていたのです。多くのメディアをミックスすればするほど
物語力なしには作品が成功しないのです。
連作「ビリージーン」の特徴をまとめると
「カルメン」の
・物語構造
(ケルト神話やギリシャ神話を基礎に持つ西欧キリスト教文化圏の伝統的
恋愛悲劇)
・語りの構造
(ノンフィクション、フィクション、メタフィクションなどのさまざまな形態をとり混ぜ、
「視点」の据え方を工夫して「語りの可能性」をフルに活用した。)
を取り入れて、かつ斬新で現代的にアレンジを加えた「音楽作品」である。
ということになると思います。
「カルメン」の翻案は映画だけでも100本を超えるといわれるほど、たくさんあります。でも、奔放な女性と振り回される男性のお話だけを取り入れると、安っぽいぺらぺらのものになりがちです。
マイケルは「カルメン」のもっと本質的なものを見つけ出し、翻案することによって
その落とし穴に落ちることなく、自分自身の大出世作をこの世に送り出すことに
成功したのだと思います。
参考文献:メリメの「カルメン」はどのように作られているか 末松壽 九州大学出版会
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「ビリジン」SFがドキュメンタリー的作品という解釈についてはもう少し説明がいるので、次の記事は 「新解釈」ビリジンSFについて書きたいと思います。^^