年の瀬ですね♫
ようやく時間が出来たので、狂ったように書籍を読みまくっているみけマンマです。
こういう時間は常に「WHY」、何故自分は空手をしているのか、と問い掛け続けています。
何故、フルコンタクト空手はわざわざ直接相手を殴って蹴って、互いを痛めつけて闘うのか。
そこから、自分は何を得ているのか。
来る日も来る日も、この命題と向き合います。
まあ、ブログやら何やらやってますと、よく色んなメールが来ます。
俺と対決しろ!
とか
私と対戦しろ!
とか(笑)
すみません、自分、そーゆー事に全然興味無いんですよね。その時々の勝ち負けは、単なる事象の一つであって、自分にとっては大きな意味を成してはいません。
誰に勝ったから、他の何とかよりも強い、誰に負けたから誰々より弱い。
そういう次元では無い何かを、自分はずっと探しているように思います。
一撃必殺とよくフルコンタクト空手でもてはやされる言葉ですが、一撃必殺とは何なんだろう。
一撃で相手を倒す。
昔の侍が、お互い見合い、刀を動かした瞬間に勝負が決まる。刹那の瞬間に生死が決まる。
一撃で相手を仕留める、というよりは、その一撃は生と死のギリギリの境界線で世界を感じる瞬間であり、互いを映し鏡みし、自身の命を生贄にしてまで辿り着きたい境地だったのでは。
棒術初めてやった時、打ち込みのあまりの衝撃でH支部長に
「こんなんでぶっ叩かれたら、一撃で死んでしまうやないですかーーー!Σ( ꒪□꒪)‼死ぬ~!死ぬーーーー!」
て叫んだら
「だから一撃必殺なんじゃないの?あはは~」
と笑っていました。
戦うって、何なのだろう。
戦う競技はいくらでもあるのに、何故、自分はこんなにフルコンタクト空手が、極真空手が好きなのだろうか。
極真館に来てみけマンマの中で空手の認識はあらゆる意味で変わりました。
所詮、空手なんて手習いの一つ。
どんだけ強かろうが、上手かろうが、ひとたび世間に出れば、
「あ、空手強いの?すごいね。なに、あの、巴投げとか出来るの?」
て聞かれるのがオチ。
空手が強いなんて事は、世間一般からしたら何の屁のツッパリにもならない。
なのに、何故こんなに空手に心血注ぐのか。
月刊秘伝10月号にも寄稿させて頂きました通り、性を越えた境地に価値を見出し、私たちは深く傾倒していく。
では、素手素足で骨が折れるまで殴りあって辿り着く境地とは何なのか。
この正月はとことん向き合いたいと思っています、押忍☆
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