昨日は今日に、そして、今日という日はそのまま明日につながるものだと思っていた。
今日という日が明日につながらない日が来るなんて思いもしなかった。
今日は今日でしかなく、明日は今日と同じではないんだということをイヤというほど思い知らされた。
大震災を境に『昨日までの今日』は『明日』にならなくなった方たちがたくさんおられるだろう。
でもね、大震災が起きなくても私の『昨日までの今日という日』は息子が病に倒れた日から『明日』にはつながらなくなった。
私のいつもの『今日という日』はそんな危ういものだったんだ。
あの日から私はどうやって生きていったらいいのかわからなくなった。
涙が枯れるまで泣いて、のた打ち回るようにして考えて、私はとりあえず『今日という日』を生きることにした。
今日を生きると明日になる。
そうやって今日と明日を積み重ねて私は生きている。