一回目のギランバレー症候群 5 | 「これでもか!」に「負けるもんか!!」

「これでもか!」に「負けるもんか!!」

これでもか!これでもか!と私の身の回りに起こる出来事。大変なことや辛いことばっかりだけど、おかげで色々な経験をしました。せっかくなので記録に残しておきます。

一回目のギランバレーは発症から半年ほどでほぼ完治した。



後遺症らしい後遺症といえば足が突っ張って正座が出来ないということぐらい。



でも、椅子の生活をしている分には何の支障もなかったので、本人は不便なこともあっただろうけれど、私としてはそんなに心配していなかった。



というより、ギランバレー自体を甘く見ていた。



当時、ギランバレー症候群なる病気はほとんど知られていなかったし、今のように気軽にパソコンでネット検索をするということもしなかった。



以前から通っていた矯正歯科の先生もギランバレーを知らなくて、「電話もらってギランバレーについて調べてみたけど、合併症を引き起こすこともないし、予後はいい病気みたいだね。」



そう!予後はいい病気! 何てったって歯医者さんとは言えお医者さんが医学書で調べてそう言ってくれるんだから間違いない! 




体はあんなに酷い状態になったにも関わらず、肝臓にも腎臓にも影響することなく、麻痺の進行さえ止まれば飲み薬さえない、後は焦らずリハビリさえすればOK!



私は発症当初こそギランバレー症候群という難しい名前のわけのわからない病気に罹った息子を夜も眠れないほど心配したけれど、ほんの数ヶ月後には「リハビリすれば時間はかかっても元のように動けるようになるビックリマーク」と何の疑いも無く思うようになっていた。




『ギランバレー症候群は治る病気』




あの時、小学校6年生だった息子は3月に何事も無かったかのように小学校を卒業し、4月には無事に中学に入学した。




確かに!確かにギランバレーは治る病気というのは間違いない。



でも、あの時、『治った』のは「手足も動くようになって後遺症もほとんど無い発症以前の身体に戻った」という外側だけの判断であって、実は本人にしかわからないような、疲れやすさとか体のダルさとか手足の微かな痺れや冷えという症状が残ってたのではないだろうかと今、私は思うようになった。



ただ、まだ子供だったから以前の自分との比較や細かい症状を言葉にすることが出来なかったりしてただけではないだろうか。



そういえば、ヤツは妙に寒がりだったり、早く寝たくせに朝もなかなか起きなかったり・・・これって、やっぱり冷えやすかったり、疲れやダルさがあっただめだったのかも・・・でも、そんな時、私は「若いくせに寒がりなんだから!」とか、「夕べは勉強もしないで早く寝たんだから早く起きられるでしょ!」な~んて言ってた。



子供だったから細かい症状を言葉にすることが出来ないんじゃなくて、親の私が息子の体が完全に元に戻ったことを前提に厳しい言葉を浴びせ続けてたってことだ。



ギランバレー症候群という病気に対する情報がほとんど無かったとは言え、この病気を私は甘く見ていた。



自分の体の微妙な不調を訴えても母親に一蹴されてしまう息子・・・思い当たることは数々ある。












息子よ!あの頃のことは本当にスマンかった泣き1










人間の体調なんて、他人が外から見ただけじゃわからない、本人にしかわからない不調の方が絶対的に多いよなぁ、と更年期の女になった私は思うようになったけど、当時の息子を含め、周囲の無理解に辛い思いをしてる人は沢山いるんだろうなぁるー