お詫びと訂正
ワタクシ、ねこ山ミケ子、母親として息子の記事を書くにあたり、痛恨のミスを犯しておりました
実は、最初の発病時の息子の年齢を1歳サバ読んでしまいました
当時、息子は11歳11ヶ月でございました。
お詫びして訂正いたします。
あまりに母親失格的なミスですが・・・多分、誰にも迷惑がかかってないと思うので、ま、いいか!アハッ!・・・スミマセン、でも、これぐらい開き直らないとやってられませんって!
さ、気を取り直して、続けます。
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虎太郎、11歳11ヶ月
医師から最も疑わしいと思われる病名は『ギランバレー症候群』と告げられた息子。
覚えるのが難しそうな病名もさることながら「最も疑わしいと思われる」ってどういことだろう???
どうやら、この病気は検査によってはっきりと結果が出るというものではないらしい。
当時の担当医師の説明も入院当初は「今の時点では、そうかな・・・程度です。」という家族としては何とも納得しがたい説明しかしてくれなかった。
何しろ当時5万人もしくは10万人に1人と言われる病気で症例が少なく、この病院でも3年前に1人来たことがあるだけというぐらい珍しい病気らしかった。
当時は5万人か10万人に1人と言われてましたが、
最近、何だかやけに多くなってるような気がします。
私の気のせいだけならいいのですが・・・。
『ギランバレー症候群』の詳しい説明は後日いたします。
はっきりとギランバレーと診断されたのは数週間後だったと思う。
それも断定ではなく「今までの症状等から僕らはギランバレーだと思っています。」というような言い方だった。
まぁ、これはこの時から10年経った現在でも診断を下しにくい病気のようなので、当時としては仕方無かったことだったのでしょう。
さて、話を入院当初に戻します。
息子の麻痺の進行具合は驚くべきもので、手足は動かない、物を食べさせても口の端からダラ~とこぼしてしまう。
顔を拭いてやろうとすると力を入れて拭いてるわけじゃないのに痛がる。
挙句の果てには目の玉を動かしても痛いと言う・・・。
一体、息子の身に何が起こっているの?
この先、この子はどうなるの?
このまま死んじゃうの?
目の前にぐったりと横たわる24時間監視用のモニターをつけられた息子を見ながら不安に押しつぶされそうになっていた私。
でも、当時の私はまだまだ若く 医者は絶対な存在であり、入院をしたのだからすべて医者に任せなければいけないという思いから、あまり突っ込んだ質問はしなかった。
ただただ、医者の説明にうなづくだけだった。
その時の医者の息子の病状に関する説明は
「麻痺は手足の先から順番に来ており、最悪の場合、肺まで麻痺が行くと呼吸が出来なくなります。
肺にまで麻痺が進んだ場合、人工呼吸器で呼吸を確保し、薬で治療ということになりますが、命に別状はありません。
ただし、命に別状はありませんが、麻痺の進行の度合いによっては後遺症が残ってしまうかもしれません。」
命に別状はない
その時の私たち家族にとって一番嬉しい言葉。
生きていれば、多少の後遺症なんてオッケーよ!
命さえあれば、最悪、寝たきりだって!
今回の21歳での再発の時も、もちろん「生きていればオッケー!」と思ったけれど、この時の息子は私たち親にとって、まだまだ小さい子供だった。
親にとって自分たちの羽の下に抱え込んでいられる子供に後遺症が残ると言われても、その時点でのその言葉は大して重さを感じない言葉だった、と今、私は思う。
この10年後、同じこの言葉がどんな重さになったか・・・。
つづく