2005年1月26日
義母に付けられていた機械のスイッチが切られ、「午後8時44分、ご臨終です。」と医師から告げられた。
でも、今、ご臨終ですと告げられたのに、これから監察医が来て検死が行われるという。
つまりは一応は病院で亡くなったことになっているけれども、やっぱりお風呂場で亡くなったわけで、しかも24時間以内に病院にかかってないため『変死』になるんだそうで・・・。
今度は私たちは霊安室の近くの待合室で待つことに。
待ってる間に親戚に連絡。
ほとんどの親戚が市内にいるため来るわ来るわ(苦笑)。
みんな、本当に驚いたらしく、私が滅多に会ったことのない、というかほとんど顔も知らない義父母の甥っ子たちも次々と現れ待合室の中も廊下も親戚で一杯。
その数にちょっと驚いたけど、心強かったのは確か。
あの当時はあんなに親戚がいたんだなぁ。
あれから亡くなった人やら、動けなくなってしまった人やら、多分、今、集まってくれと言ってもあの人数の半分も集まれないと思う。
あれから、たった4年しか経ってないんだけどね・・・。
監察医が到着して検死が始まり、義父も私たちも事情聴取され、死因が特定され、事件性が無いことがわかった。
義母の死因は後頭部(首のすぐ上辺り)の一番太い血管が切れた典型的な脳出血とのこと。
心臓じゃなかったんだ・・・。
この日の義母は朝から何ら変わりは無かったと義父は言う。
昼近く、数日後に温泉に旅行に行くことになっていたため、一緒に旅行に行く友人と駅ビルで待ち合わせをし、電車のチケットを買い、お昼を食べておしゃべりをして夕方、夕飯の買い物をし、義父と夕飯を食べ、お風呂に入った。
ただ、お風呂に入る前、風邪っぽいと言ったため義父はお風呂に入るのを止めるように言ったけど、「良く温まってサッと寝るから大丈夫。」とお風呂に入ったらしい。
義母は昔から入ったと思ったらアッという間に出てくる『カラスの行水』の人だった。
その義母がこの日は長風呂だったらしい。
テレビを見ていた義父は心配になって脱衣所まで行って「大丈夫か?」と声を掛けたけれど、その時は「大丈夫だよ~。」と返事があったため、義父は安心して居間に戻った。
それからしばらくテレビを見ていた義父は一向にお風呂から義母が出てこないことに気づいて、また声を掛けた「おい、大丈夫か!?」・・・・義母から返事は無く風呂場のドアを開けると義母が湯船に浮いていた。
慌てた義父は一人で必死に義母を引き上げようとしたけれど、とても重く(義母は背は小さいけれど小太り・・・小・・・ま、いいか)一人ではどうにもならずに私たちを呼んだ。
義父は皆で義母を湯船から引き上げてから、そのことをずっと私たちにも言っており、あの時、俺が無理やりにでも風呂に入るのをやめさせておけば・・・、一回目に声を掛けた時、俺がドアを開けて風呂の中を確認しておけば・・・、俺が二回目の声掛けと確認をもう少し早くしていたら・・・ヒロコはこんなことにならなかったんじゃ・・・、とずっと自分を責め続けていた。
自分が妻を死なせてしまったのではないか?そう訊いた義父に監察医は言った。
「これだけ太い血管がブッツリ切れてますからね、もっと早い時間に発見できたとしても間に合わなかったでしょう。それに今日、お風呂に入らなかったとしても遅かれ早かれこういうことは起きたと思います。ご主人のせいではありませんよ。」
「本人は苦しんだのでしょうか?」私は私が一番気がかりだったことを聞いた。
「苦しまなかったと思いますよ。ご本人はす~っと眠るように意識を無くしたと思います。」
良かった・・・苦しまなかったんだ。
確かにお義母さんの顔は安らかだった。
お風呂に入って頬がピンク色に染まって本当にきれいな顔だった。
本当は頬のピンク色というのは頭の中に血液が一杯になっていたため血色が良く見えただけなのだけれど、でも、この時のお風呂上りのお義母さんはピカピカツルツルのピッチピッチお肌で私が知ってるお義母さんの顔でも一番キレイで一番穏やかないい顔をしていた。
そして、お風呂上りで素っ裸だった義母は浴衣を着せてもらい、白いシーツに包まれて病院の裏口から出て、家に帰って来たのだった。