本能寺の変 その時光秀は… 21 | 始めのはじめは一(ハジメ)なり

始めのはじめは一(ハジメ)なり

先祖・家系調査の具体的な方法をご紹介します。
大好きな新選組隊士・斎藤一を調べていたら
自分の先祖に関係があった!
そして知った先祖とは、なんと明智光秀だった!
そこから広がる史実と閨閥の世界。

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※「光秀冤罪説を考える」シリーズの記事をはじめて
 お読みくださる方は、まずこちらの「はじめに。」から
 お読みください。

 

 

 

話が前後して読みにくくなりますが、ちょっと我慢してお読みください。

 

 

本能寺襲撃へとむかう明智軍の行動について『川角太閤記』では

やけに詳しく描写されています。

その記述が事実であるかのように世の中に広まっていますが、

本当にこの本の内容を鵜呑みにしてもよいものなのでしょうか。

たとえばこんな記述。

 

 

本能寺へとむかう明智軍は亀山城を出発します。
六月一日の夜、梅雨時のことで前日は大雨でした。

当時からよく使われていた街道だったとはいえ、現在のように

きれいに舗装されていたわけではありません。

前日の大雨により道はぬかるみ、歩行が困難な中、騎馬を含む

一万三千の大軍団が、真っ暗闇の中の山越えです。
当然上り下りの激しい峠道が続きます。

灯りもない真っ暗闇のなか、一万三千が二列縦隊で進むとすれば、

一説によると七キロに及ぶ長蛇の列になるといいます。
明智軍が越えたとされる老ノ坂峠は、嵐山に起点を発し、天王山、

摂津へと続く山脈を越える道で、峠の標高は350メートル。

出発点の亀山より250メートル高い位置にあります。

距離にして約4.3キロ。
峠の頂を東側へ抜け、沓掛まで一気に下ります。

この急な下り坂がいわゆる老ノ坂といわれ、坂道は距離にして

約3.7キロです。
繰り返しますが、これだけの距離のぬかるんだ山道を、

灯りもない中、騎馬と荷駄を含む一万三千の大軍団がわずか

数時間で越えられるものなのでしょうか。

しかも軍勢は沓掛で小休止し、兵粮をつかったというのです。
わたしはまだ沓掛や老ノ坂に行ったことがないので断定は

できないのですが、峠の途中の沓掛という場所に、一万三千の人馬と

荷駄を駐屯させるスペースがあるとはとても思えません。


13000人のキャパシティのある場所をネット検索してみたところ、

日本武道館と代々木体育館がちょうど13000人。

両国国技館が11000人。
巨大ドームができるまでは圧倒的な大きさを誇っていた

大阪城ホールのキャパが16000人。

城ホールでイベントのある日には、大阪中から人が集まったのとかと

思うほどの、見渡す限りの人の波となります。
それに近い13000人という膨大な数の人間を、山中の峠道や洛中の

本能寺に置いたところを想像してみてください。

いかに不自然かがおわかりいただけるかと思います。

ですが残念なことに、この不自然な状況を肯定する説が、

本能寺の変研究の世界では当たり前のように

まかり通っているのです。

 

 

『川角太閤記』に戻ります。

 


小休止を終え沓掛を発した軍勢は、桂川の西岸に至ります。
ここで光秀が命令を発したと書かれています。
「馬のくつ(ワラジのことか?)を切り捨て、(滑り止めをはずした?)、

徒歩の兵士たちは新しい足半草履(あしなかわらじ)を履くように。

鉄砲隊の者たちは、火縄を一尺五寸(約45センチ)に切り、それぞれに

火をつけて、五本ずつ火先を下にして下げていくように。」

 

 

これは、桂川を渡る前に出た命令です。
これから渡河しようという時に、駆け足用のかかとの部分のない

「足半草履」に履きかえよというのです。

足半を履くということは、爪先立って走るということです。

桂川を渡らなければいけないのに、爪先立った不安定な状態で、

川底の石で足を切ったり傷つけやすい状態になるように、わざわざ

指示しているということになります。
そして火をつけた火縄を下にして腰につけよということは、川の水に

濡らしてしまえと言っていることになります。それではなんのために

火のついた火縄を持たせるのでしょうか。

しかも前日の大雨で増水していたと思われる桂川。

明智軍が渡河したとされるあたりの川幅は、約350メートルだそうです。

橋を渡ったわけでもなく、増水した川を350メートルも徒歩や騎馬で

渡らせようというのです。

 

以上は『川角太閤記』の記述ですが、これを仮に『明智軍記』に

あるように、一万三千人を三手に分けてみると、一隊は

約4300人となります。
4300人のキャパを持つホールというと、NHKホールが3500人。

大阪厚生年金会館が約半分の2400人。

三手に分けたとしてもこれだけの人数が、真夜中の峠や、信長という

要人の宿泊する本能寺に集合していると考えることの異常さが

おわかりいただけるでしょう。

 

 

 

 

 

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