光秀冤罪説を考える 3 光秀と御霊神社 | 始めのはじめは一(ハジメ)なり

始めのはじめは一(ハジメ)なり

先祖・家系調査の具体的な方法をご紹介します。
大好きな新選組隊士・斎藤一を調べていたら
自分の先祖に関係があった!
そして知った先祖とは、なんと明智光秀だった!
そこから広がる史実と閨閥の世界。

※人気ブログランキングに参加しています。

よろしければバナーをクリックお願いいたします。






人気ブログランキングへ




※「光秀冤罪説を考える」シリーズの記事をはじめて

お読みくださる方は、まずこちら の「はじめに。」から

お読みください。






わたしが光秀は冤罪なんじゃないかと思うように

なったのは、光秀の動機が不明であるからという

わけではなく、本能寺の変という事件そのものに、

おかしな点が多ぎると感じたからです。

本能寺の変に関する研究書を手当たりしだいに

読んでいくと、不可解な気持ちはどんどん

大きくなり、ひょっとして光秀は謀反などおこして

いないのではないかと思うようになり、さらに、

本当の犯人は秀吉なのではないかと

考えるようになりました。


そこで、光秀冤罪説、秀吉真犯人説を書いている

人はいないかと探したところ、小説などを含めて

幾つか見つかりました。
それらは学者や研究者の書いたものではなく、

専門家ではない素人や小説家の書いたもの

ばかりでした。
奇説やトンデモ本と呼ばれるようなものは

読まないことにしていたのですが、プロの研究者

以外の人たちの視点の中にも、何か謎を解く

ヒントがあるかなと思い、読んでみることにしました。
さすがに娯楽小説は選ばずに、小説形式を

とっていてもある程度史実を調べているような

ものを選んで九冊ほど読みました。



そのほとんどは、検証や根拠が不十分だったり、

思い込みが激しかったり、著者の中では完成された

説でも読者に対する説明が不足していて

ひとりよがりの内容になっていたりするもの

ばかりで、どの本も完全に納得できるようなものは

ありませんでした。
しかし、一冊全体を通してだとなんだかなぁ…と

思うようなものでも、部分部分では使えるような

箇所や、追求してみたいと思えるような情報が

多くあることがわかりました。




九冊の中に一冊だけ、とても興味深い研究を

している本がありました。
といっても視点や推理は鋭いのですが、

検証不測だったり根拠が希薄だったりする箇所も

ありました。
それでもその本の内容は、よくここまで考え

抜いたなと驚嘆させられるものでした。
もしこれが本当だったらどえらいことではないかと

いう考察が満載で、わたしはその本に、今まで

読んだ他のどの研究書よりも

惹きつけられていきました。





さて、秀吉が怪しいと思うようになってきたとはいえ、
本能寺の変当日、秀吉は中国で毛利攻めの

真っ最中です。
すると誰か、秀吉の手の者が実行犯としている

はずです。
そう考え探っていくと、秀吉の家臣・杉(椙)原家次

という人物がいることを知りました。



杉原家次は、秀吉の正室"ねね"の親類に

あたります。
家次の妹の子が、ねね(高台院)という関係です。
家次は元亀元年頃より秀吉に仕え、天正年間には

秀吉の家老として播州攻略に同行し、三木城攻めや

鳥取城攻めをしています。
天正十年の大山崎合戦にも参加し、光秀が滅んだ

後は、京都の所司代となりました。
そして天正十一年には光秀が築いた坂本城の

城主となり、天正十二年にやはり光秀の領地で

あった福知山に入り、福知山藩主となっています。


まるで光秀のあとを乗っ取るような動きを見せる

この人物はいかにも怪しいではありませんか。
そこで、大日本史料データベースで家次を

検索したところ、
「天城文書」という古文書に恐ろしい記述を

見つけました。



「家次、狂ストノ風説傳ヘラル」



その他に「寛永諸家系図傳」「寛政重修諸家譜」

「系図纂要」「杉原家位牌銘」などにある家次の

記録を見ていくと
「同年(天正十一年)八月一日の條ニ、

狂気スト傳ヘラル」

と記されています。



天正十一年に坂本城主となり、その頃から

狂ったような様子を見せ始めた家次は、

天正十二年、福知山に入城。
同年九月九日、家次は福知山で病没しています。
その最期は狂い死にと伝わる異常な死

だったそうです。




杉原家次についてざっくりと調べた後に、

今木健之著
『本能寺の変の首謀者は秀吉である』

(以後、今木本とします)という本を読みました。
するとそこに家次について詳しく書かれて

ありました。
福知山御霊神社に関しても、その創建の謎に

鋭く迫っていました。
先日から拙ブログで書き続けてきた福知山

御霊神社創建に関わった一族というのは、

杉原家のことなのです。



わたしが最も惹かれた本というのはこの

今木本のことです。
今木本に書かれた杉原家と御霊神社の関係、

それはとても恐ろしいものでした。
光秀のあとを乗っ取るように大出世していき、

その後狂い死にした杉原家次。
そして光秀を御霊として祀った杉原家子孫。
家次の子孫にふりかかった不幸は、家次の狂死

だけではありませんでした。
なんと杉原家では家次の跡継ぎたちも次々と

変死していき、とうとう家次から四代目で

絶家してしまったのです。
家次の子孫は、自分たちにふりかかる

数々の不幸を光秀の祟りだと感じたために、

御霊神社に光秀を祀ったのです。




つづきます。



ペタしてね


読者登録してね