豊臣秀吉ガイドブックを攻略せよ! 【藤吉郎コース】
豊臣秀吉ガイドブックに載っている成願寺。
これには、信長公記の著者・『太田牛一ゆかりの寺』とあります。
今回の秀吉ガイド、この (ゆかり)のいうのがポイント。
以前、朝日姫 (ゆかり)の禅養寺をレポしましたが、そのゆかりとは、
『前のダンナの家の門が移築されている』 というゆかりでした。
直接関係があるのか無いのか、よく分かりませんが、牛一のゆかりを探しに早速行ってみます。
↑ これが成願寺。
なんか近代的なお寺ですね。
この趣味続けていると、寺、神社、墓、はよく行きます。
ひょっとしてコンビニよりも、多く行ってるかもしれません (←オイ!)
そんな中、いろんなお寺を見ますが、こうした近代的な寺院はたまに見るんです。
以前紹介した、三河一向一揆の拠点のひとつとなった、上宮寺もかなり近代的になっています。
そして牛一のゆかりとは、なんなのか?ですよね。
結局、よく分からないので、直接住職さんに聞く事にしました。
史跡めぐりの基本、『案ずるより聞くが易し』 とはまさにこのこと。
お忙しい中、貴重な2つのオハナシを伺う事ができました。
それによるとまず、この成願寺は、太田牛一が若いときに修行していたということ。
なるほど。
この成願寺で、修行のかたわら、学問や読み書きを学んでいたのでしょうね。
『そうか、ココであの牛一が…』
そう歴史に浸っていると、
『ココじゃないよ』 と住職さん。
この地には移転してきたので、この地で牛一が修行していたワケではない。
え?
ではもともとはどこにあったんですか? というと…
↑ ナント、北を流れる矢田川!
つまりかつての成願寺は現在の矢田川が流れている場所にありました。
そして昭和の矢田川の河川改修工事で現在の地に移ったとか。
なので正確にいうと、牛一が修行していた寺は移転しましたが、それは死後数百年の事。
実際に修行していた地は、川底なんですね。
でも明智光秀や秀吉と同じくらいナゾに包まれている、太田牛一の前半生。
それに触れる事ができる、数少ないゆかりの地ですね。
現在の成願寺に、牛一の位牌とかゆかりの品々があるワケではありません。
でも、織田信長の一代記・信長公記の著者ゆかりの地として、偲んでみるのもいいかもしれません。
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