こんにちは (`・ω・´)ゞ
四国中央市寒川町の
江之元港へやって来ました
![えー](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/011.png)
![あせる](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/029.gif)
A地点より撮影
掘込式の江之元港は
当時の面影を今も留めてる〜
江之元港から佐々連鉱山迄の
約8kmの索道ラインは
先ず、法皇山脈の稜線の
手前の山(標高431m)を越えて行きますが
当初は①の佐々連鉱山の方向
かと思ったけど
江之元港から佐々連鉱山まで
真っ直ぐに直線を引くと
空中写真の痕跡と
大きなズレが生じてしまう〜💦
↓↓
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当初はこの図が
正解なんかと思ってたけど
調べるうちに
佐々連鉱山の積出し位置が左(西)に
寄り過ぎてると思う様になった
1961ー1969年の
地理院地図の空中写真で
稼働当事の索道の痕跡を
確認すると
江之元港から金砂湖左岸までは
痕跡が明確なので
ここから改めて
佐々連鉱山選鉱所まで
直線で結ぶと
写真の痕跡とほぼ一致する
1961-1969年の空中写真
ただ、この過程で
佐々連鉱山選鉱場の位置が微妙で
佐々連鉱山内の索道の
積出し位置とラインを確認すると
ネットで入手した
狭い範囲の部分的な
昭和30年代と40年代の地図では
ライン、位置とも異なってた
明確にしようと三島図書館で
当時の地形図を求めたけど
無いとの事で
この二つの資料を基に
索道ルートの痕跡を探りました
昭和30年代の地図に
佐々連小学校が
載って無いのは何故だろう
これ以上はどうしようもないので
新しい方が精度も高いかなという事で
昭和40年代の地形図を参照し
1961-1969年の空中写真と
併せて地図上のルートを確定しました
現在送電線の鉄塔が建っている
標高702mの小さなピークを通って
標高750mの法皇山脈の稜線を越えている
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↓- 追記 2024/5/4 -
以前(2021年)の別子銅山の記事で
佐々連鉱山に触れた時に
「海抜1,200mの山を越えて」
って書きましたが
法皇山脈の豊受山の標高が1,247mで
索道が越えてる場所は標高750mでした(;^_^A
2021-12-01
↑追記 ココマデ
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さて、さて
江之元港から法皇山脈までの
索道ラインの
特定を進めなければ(;^_^A
上:1960年代の空中写真
下:現在の空中写真
この写真で現在と比較して
江之元港から
法皇山脈に向かう索道が
手前の山のどの辺を
通っていたのか検証してみるー
2.5万分の1 伊予三島(昭和55年修正測量)
松山自動車道が通る前の伊予三島市
古い地形図はコレしか
入手出来んかったので
空中写真だけが頼りです
索道が稼働中の1961-1969
鉄道と国道を覆う屋根も写ってる
1974-1978年の伊予三島市寒川町
カラー版の空中写真があった
索道は既に廃止されてるけど
未だ痕跡が確認できる
江之元の索道は
1972(昭和47)年に廃止されたので
既に鉄道や国道を跨ぐ覆い屋根などは
撤去されてるけど、痕跡は残ってる
(イは1972年の索道廃止後、1974年以降に建てられたみたい)
江之元港からほぼ一直線に
山肌を駆け上ってたー
向うに見えるお堂と銀杏の木の
頭上近くを
索道ラインが通っていたと思われる
引いて眺めると
こんな感じかな~
俯瞰する空中写真では
このラインで間違いないと思うけど
引いて眺めた法皇山脈への
取り付きのラインが今一つ自信ない
何か手掛かりになるものは無いかと
松山自動車道の下を潜ります
G地点より撮影
松山自動車道の南(山)側は
盛土で隔てられて海も見えない
ここにある御堂と墓地は
比較的新しく
高速道路の建設によって
移転されたものなのかな
四国開発幹線自動車道・縦貫道
(現松山自動車道)は
1980(昭和55)年4月に
起工式が行われ
昭和58年度中に
伊予三島-土居間の建設と
供用開始を目指した
この辺りの寒川地区は
今から43年前の
昭和56年3月より着工されました
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大倉池を越えて
谷を奥へ進んでいくと
横に向かって
整備された未舗装の道が続いてる
その先で手摺付の階段になってる
車道では無かったんじゃがね
いったい
この先に何があるんじゃろかね
トイレに水飲み場
一段上に見えるのは
展望台じゃろかね
街灯も折れて倒れており
周囲の植林で展望は全く無く
訪れる人も居ないようだが
藪にもなっていない
iosの写真にはこの場所も
しっかり反映されてるー
誰も知らない公園まで
網羅するとは
アップルさんやるなーw
索道はこの公園より
もう少し東側を通っとったがね
1924-1972年の間
佐々連鉱山から法皇山脈の峰を越え
江之元港まで
約8kmを
片道1時間で繋いでいましたが
1960(昭和35)年に法皇山脈を貫く
法皇隧道が完成し
トラック輸送の普及によって
江之元の索道は
1972(昭和47)年に廃止されました
2023-02-03
1972年は札幌オリンピックの年で
私は小学5年生でした
寒川地区は校区が違うので
索道を見るのも
バスの車窓から位しかなく
索道が在った事は、
はっきり覚えてるけど
具体的に此処をこう通ってった
とまでの記憶は無いッス
どこかに写真とか
ないかなぁ〜
このあと、
白滝鉱山の索道についても
興味があるので
パジェロで法皇山脈を越えて
金砂湖に向かいます
最後までご覧いただきまして
ありがとうございました
では、また
次回へ続く
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