こんにちは (*・∀・)ゞ

 

まだまだ暑いですが

9月になりましたね

 

愛媛県松山市の興居島の記事

を3回挟んだので

 

もう、ずいぶんと

むかしの様になってしまいましたが

 

7月27日の記事

「高見島 浦地区を歩く」

の続きになります

 

2023-07-27

 

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2023年7月2日

浦地区の石垣集落を探訪

 

大聖寺にも寄って

 

男はつらいよ第46作

「寅次郎の縁談」のロケ地も

確認できましたにっこり

 

時刻は正午を過ぎて

12時46分

 

いよいよ、標高297.1mの

龍王山へ登りますが

 

ホントに

ここが登山道の入口なの?

 

かなり荒れとるけど

大丈夫なんかいね~あせる

 

過去の状態と比べると 

ほんとに同じ場所なの⁉️驚きあせる

 

石積みを見比べてみると

確かに同じ並びやん(;^ω^)

 

大藪にはなってるけど

ここで間違いなさそ~

 

以前なら、猪との遭遇なんて

中々無かったけど

 

今は離島と雖も

泳ぎが達者な猪の縄張りで

 

登山道も遠慮なく掘り起こされてて

昨晩の雨でぬかるんでる

 

急登やし、滑って登れんやん

難儀するがね~煽り

 

踏み跡は何とか判るけど

登る人はあまり居ないのかな

 

8合目の標識あり

 

ここまで直登で急斜面でした

 

今日は島やし

必要ないかなと思って

 

ステッキを

持って来なかったことを後悔えーん

 

13時15分、龍王山三角点到達

取り付き口より29分でした

 

かつて除虫菊が

栽培されていたという

メサ台地が広がる山頂部分は

 

樹木が生い茂って

ジャングルになっており

 

しかも地面は一面に猪によって

掘り起こされてる

 

猪の雄叫びも聞こえるし

ほんまに鳥肌もんですわ驚き

 

落ちてる木の枝は

どれも朽ちており武器にもならず

 

ホントにステッキを

持って来なかった事を後悔ガーン

高見島に上陸して3時間45分

移動距離は6.54kmで

 

現在位置は龍王山山頂です

 

山頂展望台から北方面に

佐柳島、小手島、手島が見えるそうな

 

豊原校区こども会の

手作り案内板に眺望が描かれてる

 

ホントや‼️
 
ジャングルの上に
何とか水島灘が広がってる
 
佐柳島手前の小(お)島は
樹木が伸びて隠れてるけど
 
小手(おて)島と手島の
亀の親子も泳いでるw
 
ほぼ同じアングルで撮った
昭和30年頃の写真を発見びっくり
 
一面に除虫菊が咲いてて
 
白黒写真にも拘わらず
白い花びらが
眩しいような素晴らしい眺め
 
こんな光景が今の日本に
残ってれば訪れたいよね~
1970年頃までは4~5月には
除虫菊で高見島は
白雪に覆われたようだと聞きましたが
 
この写真をみると
ホントやったんやね~
\(◎o◎)/!
木下恵介監督の「二十四の瞳」
の中の瀬戸内海みたいニコニコ
 
1954年に撮られたこの映画は
白黒映画にも拘わらず
 
瀬戸内海と島々の美しさが
眩しく映り込んでた

 

 

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今は樹木が茂って
ジャングルに戻っている山頂台地
 
5月になると収穫時期で
獲り入れに忙しかったようです
 
戦前の1930年代には
日本の生産量は世界1位となり
 
生産された除虫菊のほとんどは
海外に輸出されており
 
除虫菊は重要な輸出品目でした
香川県も除虫菊の産地で
島嶼部や沿岸部を中心に栽培され
 
除虫菊は成長にさほど
水を必要としない為
 
水が不足がちな

島嶼部や沿岸部でも栽培が可能でした

高見島での除虫菊栽培は
大正期(1912年〜)には行われていました
 
高見島で除虫菊栽培を担っていたのは
主に女性でした
 
男性の多くが漁業などに従事しており
 
農繁期で学校が休みになった
子どもたちも除虫菊栽培を手伝いました
山頂のメサにはさざえ隊によって
少しづつ遊歩道が整備されている様です
 
跳梁跋扈する猪によって
ルートは荒らされまくってる〜
 
沢山の案内板があるので
迷わずに進めますが
 
一体どんだけの個体が棲んどんや!
と思うほどに掘り起こしだらけです
 
ホントにミミズや餌をとる為だけに
掘っとんやろか?
 
メサの東コースを進んでたけど
 
先で猪の鳴声が聞こえたので
西コースに変更
いのししいのししいのしし
 

独りで丸腰やし

ホンマにビビりまくりですわ驚きあせる
 

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手島・小手島展望所
&休憩所(7合目)
 
現在4カ所ある展望所
山頂、粟島、広島、手島・小手島のひとつ
 
反対側から登ってくると
 
3合目、5合目、7合目とある
3番目の休憩所で
ベンチ(朽ちぎみ)があります
 
手島と小手島
親子のカメが泳いでる~w
 
ここからは緩やかに等高線を
跨いでゆくルート

 

谷を登る急登のコースとの分岐
 
分岐に標識が無いと思ってたら
 
丁寧に作られた案内板が折れて
地面に転がってた

 

ここに設置されてた
平成30年の龍王山遊歩道経路図
 
この日に見た中では
最も古い経路図で
 
唯一、浜集落からの
整備予定ルートが載っている
 
折れた標識を元の位置らしき
場所に戻し、分岐を振り返る
 
 
メサ台地からしばらく収まってた
掘り起こしが復活いのししDASH!
鉄骨のアングルが横たわってる
 
さっきのアングルと同じ構造物が現れた
 
石垣とコンクリート道も出現
 
令和元年の経路図があって
現在地は浦集落の端っこみたい
 
この構造物は除虫菊を山頂から
降ろしてくるケーブルでした
 
現在地は祇園社の手前(山側)
 
集落のなかに静かに佇む「祇園社」
 
流行病を防ぐため
 
福山市の鞆の浦にある
祇園社から神様を勧請し

明治時代に建てられたそうな
祇園社から浦集落の路地を
南へ向かいます
 
2013年の瀬戸内国際芸術祭の作品
 

内田晴之+小川文子+田辺桂

除虫菊の家へ寄り道

 

除虫菊の家
今は会期中で無く普通の空き家
 
瀬戸内国際芸術祭の
高見島にあるアート作品の中では
 
一番高い場所になる

 

 

前回の2022年瀬戸芸でも使用されてるけど

「除虫菊の家」とは違う作品みたい

はなのこえ・こころのいろ

 

 

 

 

開花時期には

島が白い花でいっぱいになった!

 

子どもも花を摘むのを手伝った!

 

除虫菊は蚊取り線香や殺虫剤の原料で

白い花の部分を乾燥させて出荷していました

 

高見島の除虫菊生産のピークは

昭和40年前後で

 

当時の除虫菊満開の高見島は

「白雪に覆われたよう」

とまで表現されています

 

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時刻は14時33分

 

そうです!

9時30分に高見島に上陸して

約5時間の散策をして

 

14時25分のフェリーで佐柳島へ

向かう予定でしたが

 

先ほどこの便は汽笛を鳴らして

入港せずに佐柳島へ向かうのが見えた

船DASH!DASH!

 

このあと佐柳島への便は

16時45分のみで

 

17時10分に佐柳本浦港に入港しても

もう、多度津に戻る便は無い

 

本日の佐柳島探訪は諦め

 

板持地区を探訪して

15時50分のフェリーで多度津に戻ろう

 

除虫菊の家から坂を下っていると
 
「絶景スポット 休憩していきまい」
と書かれた2階建ての家
 
集落の上の方に建つ二階建てなので
さぞかし展望もよかろうと
 
立ち寄ろうとすると
鍵が掛かってる
 
どうやら瀬戸芸の期間中のみ
利用できるみたい
 
午前中に歩いてない路地を探訪して
トイシの坂を下り
 
板持地区へ向かいます
 
街灯が折れてる
浦集落の外れの方は
瀬戸芸でも利用される事がなく
 
廃墟化が著しく進んでる
 
浦4区自治会掲示板
何気にアート感醸してるw
 
コンクリート道まで
樹木が被さって来てる
この街灯はしっかりしてるけど
近くで見ると線を切断してて
使われて無い模様
 
狭くて急なトイシの坂を下ります
 
下りたところは浦集落の
両墓制の墓地
 
埋め墓と詣り墓が
同じ場所に並んでる
 
東海岸の護岸道路を
25分程歩くと
 
藪の中に板持集落らしい
コンクリート道が見つかった
 
もっと奥まで歩きたかったけど
フェリーの時間まで30分しかない
 
ここに集落があった証が見つかった
 
山内俊夫、丸亀市出身で1998~2010年まで
参院議員を2期12年務めている
 
2015年の朝鮮総連本部ビル売却問題で
転売による本部維持を計画してきた朝鮮総連と
 
競売先のマルナカホールディングスの
仲介役として介入した人物らしい
 
この選挙ポスターは
 
1998年か2004年の物で
20年も前からよく残ってたなぁ~
 
20年前は未だ無住に
なって無かったんだ
 
護岸からコンクリートの階段迄の
藪を誰かが刈ってくれてなかったら
 
とても判らんかったね
護岸道路の末端まで歩いて
高見港に戻ります
 
往路のペースでは
とても間に合わないので
 
復路はペースを上げて
折り返します走る人あせる
15時49分に港に到着
 
幸いにも他に乗船客が居たので
間に合いました
 
出航時間前に乗船客が待ってないと
 
船は寄港しないまま
次の港に向かっちゃいます
 
島内の散策時間は
5時間19分で13.75kmでした
走る人
 
15時50分高見港を出港
船DASH!
高見島浦集落の家並み
 
16時12分、多度津港に入港します
 
日露戦争後の明治44-45年に築かれた
多度津港旧外港東防波堤(a)
 
西側にも同じような
古い防波堤(b)があるけど
 
これも同じ時期に造られたと
思うけど確認は出来ず
 
多度津内港に接岸
 
まさか車もここから乗り降りするとは
思わなんだ\(◎o◎)/!

 

西の防波堤を近くで確認

 

明治の終わり頃に

防波堤左の埋立地は無く

 

この防波堤も東防波堤と同時に

明治44-45年に築かれたものと考えられる

 

今治造船(株)西多度津事業部で
建造中のピンクの船は
 
世界最大級のコンテナ船
(全長400m)びっくり
 
1838(天保9)年に完成した
多度津湛甫から
 
明治、大正、昭和と浚渫や埋立を重ねて
変遷してきた多度津港
 
幕末から明治末にかけての
多度津は高松や丸亀を
凌駕するほどの港町でした
 

 

 

 

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時刻は16時25分

 

まだ時間があるので

 

多度津町立資料館と桃陵公園

へ寄って帰ろう

閉館時間は17時なので

時間は30分しか無い

 

多度津港の変遷について

参考になるものは無いかと

資料を探しました

 

 

新藤兼人脚本の映画
 
この映画の事は全く存じませんでしたが
このポスターをキッカケに
 
佐柳島と多度津が
舞台って知りました
多度津沖に浮かぶ佐柳島を舞台に
 
厳しい島の生活に抗して
力強く生きる堀本早苗(丘さとみ)
を中心に描く青春映画
予讃本線 多度津駅
気動車はキハ17形でしょうかねニコニコ
 
ロケ当時、多度津区には
C58形蒸機が12輌程配置されており
給水塔も現役だったかな~
 
給水塔の傍にあった跨線橋は
未だ設置されて無い様ですね
昭和37年頃の給水塔には
三角屋根が付いてるびっくり
 
2018年3月、多度津駅構内に
エレベーター付きの自由通路が開通し
 
長く親しまれた構内跨線橋は
その役目を終えて
 
4年後の2022年2月に
撤去されました
 
LTEさんのブログ↓
 
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多度津町立資料館の

閉館時間になったので桃陵公園へ

日露戦争で

戦地に赴く息子を見送る母親像

「一太郎やぁーい」の像

 

 

 

長くなりましたが

 

最後までご覧いただきまして

ありがとうございました

 

終わり

 

では、またバイバイ

 

関連記事

1. 塩飽諸島の高見島へ渡る へ

2. 高見島 浜地区を歩く へ

3. 高見島 浦地区を歩く へ

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次回は猫の島で有名な

佐柳(さなぎ)島飛び出すハート

 

2023-09-20