新尾道大橋 1999年5月 斜張橋
因島大橋 1983年12月 吊橋
生口橋 1991年12月 斜張橋
多々羅大橋 1999年5月 斜張橋
大三島橋 1979年5月 アーチ橋
伯方・大島大橋 1988年1月 桁橋と吊橋
来島海峡大橋 1999年5月 三連吊橋
尾道-今治ルートには三連橋の来島大橋と伯方・大島大橋をそれぞれ1橋として、6つの島に7つの橋が架かっています
そして各橋の建造年には大きな開きがあって、最初に完成した大三島橋から全通までに20年もかかってる
本四橋のルート争いでは、激しい誘致争いの結果、1ルートに絞り込む事は出来ませんでした
1970(昭和45)年に新公団を設立して3ルート同時に調査設計に着手し、着工は調査結果と地元の受け入れ態勢が整ったルートから優先に行う
着工時期、優先ルート未定のまま、三ルートの建設を決めルート争いに終止符を打つ政治判断がなされました
1973(昭和48)年の秋に3ルート同時着工が決定し、11月25日にはそれぞれの地元で起工式も予定されていました
ところが
この年の10月にエジプト・シリア軍とイスラエル軍の間で第四次中東戦争が勃発
原油価格は一挙に4倍に跳ね上がります
国の経済政策は180度の転換を迫られ、総需要抑制が最優先政策となり、省エネが叫ばれます
企業や家庭へ石油と電力の供給制限がかけられます
物価は急騰し社会不安が広がりました
俗にいうオイルショックです
1960年代から続いて来た高度経済成長はこの石油危機で終わりを告げます
3ルート同時起工式の延期が僅か5日前に決定し、着工は凍結されました
この衝撃は計り知れなく、架橋は冬の時代に入ります
しかしこの凍結期間中に瀬戸大橋の坂出工事事務所では水中発破の技術を磨き、南備讃瀬戸大橋の7Aケーソンの設置に役立ちました
鷲羽山トンネルにおいてもこの間の削掘技術の進歩が4つ目トンネルの実現に結びつき、風光明媚な鷲羽山が切通し工法で削り取られるのを回避する事が出来ました
さて
本四架橋をどうやって凍結解除に持ち込むか
3ルート同時着工から一転して凍結されて再び一本化の問題が持ち上がりました
明石海峡大橋を今すぐに架ける技術は無い
尾道-今治ルートは他ルートに比べて経済効果が弱い
その結果、児島-坂出ルートが浮上しますが、今更一本だけという訳にもいかない・・・
他の2ルートは全通ではなく
これまでに準備を進めてきている3橋(大鳴門橋、因島大橋、大三島橋)を地域開発の為の単独橋として架ける
という1ルート3橋案のシナリオが出来上がります
しかし、狂乱物価はなかなか収束せず、田中内閣の蔵相に就任した福田赳夫は総需要抑制を堅持して凍結解除には至りませんでした
1ルート3橋案のシナリオで凍結解除の幕が開くのは
1974(昭和49)年末に本四橋3ルートの関係県選出議員が閣僚に顔を揃えた「橋内閣」と呼ばれる三木内閣が誕生してからの事になります
この凍結期間に、本四公団坂出事務所では水中発破の技術などを研修や実験を重ねて瀬戸大橋の施工への自信を深めていく事になります
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1974(昭和49)年12月、金脈問題で退陣した田中角栄の後を受けて三木武夫が首相に就任し組閣
首相三木武夫(徳島県)、蔵相大平正芳(香川県)、運輸相木村睦男(岡山県)、外相宮沢喜一(広島県)、通産相河本敏夫(兵庫県)、建設相仮谷忠男(高知県)
仮谷建設相は「1ルート3橋。名を捨てて実を取る」と着工を一本に絞って凍結解除を目指します
自分が建設大臣の間に凍結解除をやり遂げる事が郷土四国の為になるとの信念で、国会議員、関係知事をを個別に説得するが、徳島、愛媛、広島県の反発は強い・・・
「1ルート3橋は、これだけで終わりではない。経済情勢に応じて他の橋も順次着工していく」隣県で県議会議長同士の頃から親しかった愛媛県知事白石春樹にも情理を尽くして説得
仮谷建設相の熱意は徐々に浸透し、1ルート3橋で凍結解除への説得工作は急テンポで進みます
最後の難関は最後まで凍結解除に反対の副総理福田赳夫でしたが、経団連会長土光敏夫も本四架橋を早期着工して産業界に仕事を与える事が必要と後押し
1975(昭和50)年8月15日、「1ルート3橋で凍結を解除する。1ルートは第3次全国総合開発計画(三全総)で決める」と建設相仮谷忠男、副総理福田赳夫、国土庁長官金丸信の三閣僚会談で決定する
8月18日、「尾道-今治ルートの大三島橋の着工凍結を解除する。因島大橋は着工時期を検討する。神戸-鳴門ルートの大鳴門橋は年内着工を目指す」と木村運輸相を加えた閣僚会談で決定
12月21日 大三島橋の起工式
1976(昭和51)年1月15日 本四橋の着工凍結解除に奔走した仮谷忠男建設相が急逝
1977(昭和52)年1月 因島大橋起工式
そういった経緯を辿り、大三島橋、因島大橋と着工されていきます
1977(昭和52)年11月 なかなか決定されなかった瀬戸大橋がやっと三全総で本四橋の基幹ルートに決まります
1978(昭和53)年10月10日 瀬戸大橋起工式
1981(昭和56)年3月 伯方・大島大橋起工式
1986(昭和61)年5月 生口橋起工式
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