あっビックリマーク

ナナが居ないびっくり
 
ロープとなすかん金具
 
どちらも異常が無いのに・・・
 
首輪の金具かなはてなマーク
 
それとも
 
引田天功さんの脱出イリュージョンでも観たのかな爆笑
 
 
いつもなら脱走しても、必ず朝には帰って来ているのに・・・
 
 
 
でも
 
7時前にお墓の掃除から帰って来ると、
 
ナナは既に帰って来てましたニコニコ
 
何処に言ってたのワン?犬
 
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お腹すいたよ!朝ごはんまだ犬
 
首輪(子犬の時から12年使ってます)も異常なし
 
ナナ1歳 首輪がブカブカだったのでナイロン紐に金具を付けてますw
 
あんまり疲れていない様子なので、昨夜からではなく、朝方に脱走したと思はれます
 
大阪府警富田林署を脱走した樋田容疑者のように日本一周の旅に出たかと思った爆笑
 
外食はして来なかったようで、お腹もペコペコみたいわんわん
 
 
さて
 
先の日曜日に三原市の佛通寺の紅葉を観に行きましたが
 
往路は、樋田容疑者も自転車で往復したという、しまなみ海道を利用しました
観光パンフレット⇒PDF
 
ジオグラフィカのGPSトラックログ
 
新尾道大橋 1999年5月 斜張橋
因島大橋 1983年12月 吊橋
生口橋 1991年12月 斜張橋
多々羅大橋 1999年5月 斜張橋
大三島橋 1979年5月 アーチ橋
伯方・大島大橋 1988年1月 桁橋と吊橋
来島海峡大橋 1999年5月 三連吊橋
 
本州四国連絡橋尾道・今治ルートは西瀬戸自動車道(瀬戸内しまなみ海道)59.4km
 
かつて瀬戸内海最強の「村上水軍」が勇壮な海のロマンを繰り広げた芸予諸島の島々を縫う、46.6kmの有料道路です。国土交通省が整備した生口島道路(6.5km)及び大島道路(6.3km)と直結した全長59.4kmの自動車専用道路は「瀬戸内しまなみ海道」の愛称で親しまれています。新尾道大橋以外の各橋には尾道から今治に至る原動機付自転車・歩行者専用の道路も併設され、本州と四国を結ぶ連絡道路としての役割はもちろん、島々に住む人々にとっての生活道路としても大きな役割を果たしています。
 
三連橋の来島大橋と伯方・大島大橋をそれぞれ一橋とすると、7つの橋が6つの島に架かっていますが、
 
瀬戸大橋と違って、建造された年月に大きな開きがありますね
 
最初に完成した大三島橋から全通までには20年の歳月がかかっていますが・・・
 
これには沿岸各県の激しい架橋争奪戦と、その裏で繰り広げられた政治のかけひきと世界情勢の変化が絡み合った架橋史があります
 
一ルート三橋案
 
9月にブリッジウォークの記事を書く為、本四架橋について少し調べたので、ちょっぴり紹介すると・・・
本四橋のルート争いでは、激しい誘致争いの末に1ルートに絞り込めず、昭和45(1970)年に新公団を設立して三ルート同時に調査設計に着手、着工は調査結果と地元の受け入れ態勢の整ったルートから優先にと、着工時期、優先ルートも未定のままで三ルートの建設を決め、ルート争いに終止符を打つ政治判断がなされました
 
昭和48年の秋に三ルート同時着工が決定し、11月25日にはそれぞれの地元で起工式が予定されていました
 
しかし
 
この年の10月エジプト・シリア軍とイスラエル軍の間で第四次中東戦争が起こり、原油価格は一挙に4倍に跳ね上がりました
 
国の経済政策は180度の転換を迫られ「総需要抑制」が最優先政策になり、省エネが叫ばれ、企業や家庭へ、石油と電力の供給制限がとられて街のネオンが消え、NHKのテレビ放送は午後11時で終了になりました
 
物価は急騰し社会不安が広が りました
 
俗にいう「オイルショック」です
 
この石油危機で、1960年代から続いた高度経済成長は終りを告げましたガーン
 
三ルート同時起工式の延期が僅か5日前に決まり、着工は凍結されました
 
実はこの時、児島-坂出ルートのみ香川県の漁民の着工同意を未だ得られておらず、当時の金子香川県知事は石油危機のおかげで、瀬戸大橋だけが起工式から取り残されるという最悪の事態を避けられたとの証言もある
 
それはともかく、各地元での衝撃は計り知れなく、架橋は冬の時代に・・・
 
本四架橋をどうやって凍結解除に持ち込むか
 
三ルート同時着工から一転凍結され、再び一本化の問題が持ち上がります
 
明石海峡大橋を今すぐに架ける技術は無く、尾道-今治ルートは他ルートに比べて経済効果が弱かった
 
その結果、児島-坂出ルートが浮上して来ますが、今更一本だけと言う訳にもいかず
 
他の二ルートは全通では無く、これまで準備を進めてきている三橋(大鳴門橋、因島大橋、大三島橋)を、地域開発のための単独橋として架けるという「1ルート3橋案」のシナリオが出来上がった
 
しかし、狂乱物価はなかなか収まらず、田中内閣の蔵相に就任した福田赳夫は、総需要抑制を堅持して凍結解除には至らなかった
 
「1ルート3橋案」のシナリオで凍結解除の幕が開くのは、昭和49(1974)年末に、本四橋三ルートの関係県選出議員が閣僚に顔をそろえて「橋内閣」と呼ばれる三木内閣が誕生してからの事になります
 
この凍結の間にも、本四公団は水中発破の技術等を研修したり、実験を重ねる事も出来、施工への自信を深めていく事になります
 
 
昭和49(1974)年12月、金脈問題で退陣した田中角栄の後を受けて三木武夫が首相に就任し組閣
 
首相三木武夫(徳島県)、蔵相大平正芳(香川県)、運輸相木村睦男(岡山県)、外相宮沢喜一(広島県)、通産相河本敏夫(兵庫県)、建設相仮谷忠男(高知県)
 
仮谷建設相は「一ルート三橋。名を捨てて実を取る」
 
着工を一本に絞って凍結解除を目指します
 
神戸-鳴門が技術的に難しく、児島-坂出ルートが浮上し、尾道-今治は離島振興で一橋ずつ作っていく
 
自分が建設大臣の間に、凍結解除をやり遂げる事が郷土四国の為になるとの思いで、国会議員、関係知事を個別に説得しますが、反発が強い徳島、愛媛、広島県…
 
「1ルート3橋は、これだけで終わりではない。経済情勢に応じて他の橋も順次着工してゆく」お互いに隣県で県議会議長同士の頃から親しかった愛媛県知事白石春樹にも情理を尽くして説得
 
仮谷の熱意は徐々に浸透し、1ルート3橋で凍結解除への説得工作は急テンポで進みます
 
凍結解除の最後の難関は、最後まで凍結解除に反対の副総理福田赳夫でしたが、経団連会長土光敏夫も本四架橋を早期着工して産業界に仕事を与える事が必要と後押しする
 
昭和50(1975)年8月15日「一ルート三橋で凍結を解除する。一ルートは第三次全国総合開発計画(三全総)で決める」と建設相仮谷忠男、副総理・経企庁長官福田赳夫、国土庁長官金丸信の三閣僚会談で決定する 
 
8月18日、「尾道-今治ルートの大三島橋の着工凍結を解除する。因島大橋は着工時期を検討する。神戸-鳴門ルートの大鳴門橋は年内着工をめざす」と木村(運輸相)を加えた閣僚会談で決定する
 
12月21日  大三島橋の起工式
 
昭和51年1月15日  本四橋の着工凍結解除に奔走した仮谷建設相が急逝
 
昭和52(1977)年1月 因島大橋起工式
 
そういった経緯で大三島橋、因島大橋と着工されていきました
 
昭和52(1977)年11月 中々決定されなかった瀬戸大橋が、やっと三全総で本四橋の基幹ルートに決まる
 
昭和53(1978)年10月10日 瀬戸大橋起工式
 
昭和56(1981)年3月 伯方・大島大橋起工式
 
昭和61(1986)年5月 生口橋起工式
 
1983年12月に完成した因島大橋は、12月28日に公開された男はつらいよ口笛を吹く寅次郎(第32作)の中で、レオナルド熊とあき竹城の夫婦とのフェリー乗り場での再会シーンがあり、その背景に開通直前の因島大橋が写ってましたね
男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎

 

予告篇の最後に開通直前の因島大橋が登場‼️

再生できない場合は↓

https://www.youtube.com/watch?v=wiaQvJ7EE2o

 

昭和63(1988)年4月10日の瀬戸大橋開通から間もない5月15日に、来島大橋(全長4,125km)が起工されました

 

昭和48年の凍結から愛媛・広島両県は臨調の厚い壁にキリの穴を開け、伯方・大島大橋、生口橋の建設にこぎつけたものの、生口島-大三島の県境と四国への上陸地点の来島海峡で立ち往生し、15年の空白が続きました

 

そして、いよいよ

 

来島海峡大橋が起工されます

昭和63(1988)年5月14日 毎日新聞
 
 
 
尾道・今治ルートの歩み
 
 
昭和63(1988)年5月15日 毎日新聞

 

当時の新聞では

 

10橋のうち来島大橋(三連)が着工すると、残るは多々羅大橋のみで

 

本四公団は今回の起工を事実上、同ルートの全面凍結解除と受け止め、

 

今世紀中の全通を目指すとしています

 

他の2ルートに比べて採算が合いにくいと指摘されていた尾道・今治ルート

 

それぞれの島にインターチェンジを作り、地域開発橋、離島振興橋としての役割を果たすとされました

 

1999年5月1日に橋梁すべての整備が完了し、この時点がしまなみ海道の開通と見なされていますが、この時点では島嶼部での自動車専用道路が一部未整備で、既存の生活道路を利用しており、混雑が発生しておりました

 

これらの区間は2006年に開通しました

 

瀬戸大橋との一番の違いは、来島海峡大橋を除いて島を橋脚の島としていない事かな
 
島内は高架橋では無くインタチェンジがあります
 
 
 
来島海峡大橋(平成11年完成) 来島海峡SAより
来島海峡第一大橋:吊橋(橋長960m、中央支間長600m)
来島海峡第二大橋:吊橋(橋長1,515m、中央支間長1,020m)
来島海峡第三大橋:吊橋(橋長1,570m、中央支間長1,030m)
 
自転車のアプローチ道
 
ここを自転車が上って来るんだぁ~星
 
因島の大浜PA
 
因島大橋は向島と因島を繋いでいます
 
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因島大橋から三原方面
 
今回も天候に恵まれて絶景でした
 
一度はサイクリングで訪れてみたいものですね
 
初めてでもしまなみ海道サイクリングを思う存分楽しむためのQ&Aこちら シクロの家
 
橋上は自転車専用道を走り、島内では橋から降りて一般道を走るようです(尾道-向島間は渡船利用)
 
 
しまなみ海道の島と橋のイラスト
 
 
ルート上に13か所ターミナルが整備されていて、レンタサイクルの乗り捨てが自由自在に出来るらしいです
 
 
しまなみ海道の最も峠の少ないルートの高低差表
思いのほかアップダウンが多いそうです
 
西瀬戸自動車道(59.4km)と比べると、島内は自動車専用道で無いだけに距離が長くなってますねえー
 
しまなみ海道観光マップ⇒こちら

 今年の4月に松山刑務所大井造船作業場から脱走し、約3週間の逃亡生活を送った平尾受刑者が潜伏した向島まで行けたらいいね
 
今年は樋田容疑者と平尾受刑者のお蔭で、しまなみ海道の当たり年でしたねゲラゲラ
 
開通当時は他の2ルートに比べて経済効果の薄い橋といわれた尾道-今治ルートですが、いま最も魅力のあるルートとなっているのではないでしょうか
 
 
本日もお立寄りありがとうございました
 
 
では、また