正月休みも既に遠い過去の事となりました

 
新千歳空港でキャンセル待ちの孫と爺ちゃんはもう北海道を脱出できたのかなぁ〜
 
ご訪問有難うございます
 
平成最後の元日のマチュピチュ探訪は
 
遭難対策と言う訳ではありませんが、登山ポストを兼ねた様な計画を、大晦日に慌しく立て、帰還報告を加えて結果だけの無味乾燥な投稿となりました
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写真も沢山撮ってますので、あらためて平成31年1月1日まで時間を戻してみたいと思いますw
6:53
午前6時には出発する計画でしたが、床に就いたのが午前2時半でしたので6時起床となりましたもやもや
 
まだ明け切らぬ空には、明けの明星と逆三日月が接近しておりました
 
明日の朝はさらに大接近するらしいびっくり
 
7:43
新居浜市の別子ラインへ
 
7:57 A
道の駅マイントピア別子端出場(ハデバ)ゾーン駐車場に到着
 
積雪があるかも知れないのでゲイターを装着します
 
2017年の元日の探訪では、積雪で靴の中までびしょ濡れになってしまいましたえーん
 
7:58
スマホバッテリー、犬の散歩中に満充電から落ちてしまうほど弱ってるので、モバイルバッテリーを5つも持って来たよ〜w
 
でもウォーキング中は機内モードにしてたので、1つで大丈夫でしたが、リュックの中で発火しなくて良かったです炎
 
8:03
標高146mの道の駅マイントピア別子端出場ゾーン駐車場を出発します
 
8:06 A
気温3度、天候晴れ、駐車場にはまだ車は数台のみ
 
8:09 B
昭和になって、採鉱場所が下部に移った事によって、採掘鉱石は全て端出場に集中させることになり、昭和2年に端出場選鉱場が建設されました
 
第四通洞の採掘に依って出た土砂で埋め立てて端出場を作ったようです
 
昭和5年に採鉱本部が東平から端出場に移転し、鉱毒の含まれる坑内水の処理は、既に大正12年から全坑内水を第四通洞からの排出に切替えられ、第三通洞は役目を終えました
 
2017年3月26日撮影
打除駅の観光坑道付近にある煉瓦水路の説明板
 
坑内水は、地表から浸透した水が含銅硫化鉄鉱と接触して強い酸性となり、銅や鉄の析出金属を含んだ鉱毒水となります。この水を川に流すと土壌が汚染され環境が破壊されるので、坑口から木製の水路を連ね、途中、水流変更箇所には会所(水留池)を、急流部分には煉瓦水路を作って急峻な山肌を延々と流して来ました
 
第四通洞が出来るまでは、明治35年完成の第三通洞(標高750m)からこれから歩く第3次仲持道に沿って坑水路がつくられ、下部鉄道の打除駅へと通じ、下部鉄道沿いに坑水路が作られ、山根収銅所に流送して浄化処理を行いました
 
閉山から45年後の今も、そしてこれからも流れ続ける坑内水の処理は永遠に続きます
 
8:12 C
県道47号線を上っていると左手の山側に階段が・・・
 
もしや、ここが石ヶ山丈貯水池から597.18mの落差で、明治45年に完成した水力発電所のタービンを回す落水鉄管の跡かも・・・
 
8:13 C
登ってみると、まさにそうでした
 
まっすぐに並べた石の保守道が石段になって続いております
 
8:13 C
木製の架線柱も遺ってました
 
力技でこの石段を真っ直ぐに登って行けば石ヶ山丈貯水池、そして石ヶ山丈駅跡へと辿る事も可能です
 
この石段を登った方のブログがありました⇒こちら
600mの高低差を登るのに約2時間かかるようですが、私もチャレンジしたいと思ってますゲラゲラ
 
8:14 C
 
8:15 C
谷側はちょうど水力発電所のど真ん中です
 
8:16
明治45年完成の端出場水力発電所
 
明治後期、別子銅山では大量出鉱体制を整えつつあり、動力の増大が課題となりました
 
そこで、銅山峰の南を流れる銅山川支流の水を利用して水力発電を行う事になりました
 
日浦に集められた水を日浦通洞と第三通洞を通して石ヶ山丈の貯水池まで煉瓦造りの導水路で引水して、当時東洋一を誇った597.18mの落差でタービンを回し最大出力は3,000kwでした
 
マイントピア別子端出場ゾーンの中に、端出場水力発電所の導水経路の1/4,000尺度のジオラマが展示されておりますので興味ある方はご覧あれキラキラ
2017年3月26日撮影
別子鉱山鉄道下部線跡 6
 
大正10年の四阪島製錬所の蒸気から電気への動力転換は、この発電所の電力によって供給が可能となり、大正11年に新居浜-四阪島間に20kmの海底ケーブルが敷設され送電が開始され、大正12年には発電機と水車を各一台増設して、出力を4,500kwに増強して別子銅山の機械化による近代化に大きく貢献しました
 
端出場水力発電所は昭和45年まで稼働しました
 
8:16
振り返り写真
 
山の上まで続く高圧鉄管
  
8:21 D
端出場水力発電所から県道47号線を5分程上ると、右手に第四通洞と四通橋が現れます
 
8:22 D
第四通洞は大正4年(1915年)に完成した運送の為に掘られた4,596mのトンネルで、昭和17年(1942年)には延長5,100mの探鉱通洞が貫通して全長約10,000mの大通洞になりました
 
8:25 E
振り返り写真 大斜坑へ続くと思われる林道が分岐
 
帰りはここを下りて来る予定でした
 
8:29 F
県道47号線のループ橋(青龍橋)
 
8:36 G
ループ橋によって旧道となった元の道を進みます
 
8:38 H
鹿森ダム堰堤からのループ橋の眺め
 
8:38 H
鹿森ダムに注ぐ小女郎川が遠登志渓谷の入口です
 
それよりも県道を少し上った先に登山道の入口があり東平や銅山越に向かう人はそちらから向かうようです
 
8:43 I
 遠登志売店
 
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8:45
沓掛~黒森山は真っ白で朝日を浴びて輝いていました
 
8:45 J
 
8:46 J
 
遠登志渓谷遊歩道
 
遠登志橋まで第3次仲持ち道を遊歩道として整備したようです
 
8:46 J
仲持ち像
「仲持ち」とは、別子銅山の山中で製錬された「あらどう」を運びだし、また、帰りには山中での生活に欠かすことができない「日用品」や「食料」などを、男子でおよそ45キロ、女子でおよそ30キロを背に一歩一歩山道を踏みしめ運搬していた人たちです。
 
JTBキャンブックス鉄道廃線跡を歩くⅨより
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第3次仲持道は旧別子から銅山越を越えて東平を通り立川中宿に至ります
 
立川からは牛馬によって港まで運ばれました
 
8:46 J
遊歩道入口
 
この遊歩道は第3次仲持道になります
 
ジオグラフィカによるGPSトラックログより
今回の移動区間 A-J
 
午前8時6分にマイントピア別子端出場の駐車場を出発し、県道47号線を鹿森ダムに注ぐ小女郎川の遠登志渓谷入口までやって来ました
 
次回はこの第3次仲持道を東平採鉱本部のあった第三広場まで辿り、上部鉄道へと登る予定です
 
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今回の行程を記録したiPhoneアプリのジオグラフィカよりGPSファイルをカシミールソフトにインポートしてみました
 
記録したマーカーのインポートなどまだまだ判らないことだらけなので、試行錯誤中です
 
カシミールスーパー地形図にインポート
 
reliveによる3Dビデオ⇒こちら へ
 
今回もお立ち寄り頂きありがとうございました
 
 
次回へつづく
 
では、また