正月もあっという間でした

 

早くも三が日が終わってしまった

 

皆さんの正月休みは如何だったでしょうかね照れ

 

えっポーン

 

日曜日まで休みですって乙女のトキメキ

 

 

ご訪問ありがとうございます

 

元日の別子銅山東平エリアのウォーキングで痛めた両膝は、一晩寝るとだいぶ痛みも取れましたが、運動不足がたたったのか、両太腿が筋肉痛になっております

 

いよいよ愛車のバジェロも今年平成31年の4月で満30歳を迎えます

 

バジェロ登録年の平成元年(1989年)には、世界初の振り子式気動車2000系の試作車「TSE」による営業運転が岡山-高知間を1日往復700kmで開始され、致命的なトラブルや遅延も無く、翌年に量産型35両が投入されました

 

そのTSEも昨年3月のダイヤ改正で引退し、今は廃車となって多度津工場に預りの身となって留置されております

 

30年の歳月は鉄道車両と雖も老朽化は避けられず、2000系の後継車両の2700系4両が完成し、昨年12月26日に2000系に置き換えるべく高松運転所に甲種輸送されました

画像は鉄道チャンネルさんよりお借りしました

 

 

パジェロには、最近あまり乗って無いので元日に出かける際もバッテリーが弱っておりました

 

エンジンにあたりをつける為にも、のんびりと遠出をして来ようかなキラキラ

骨董趣味 その4 パジェロ へ星

 

 

という事で

 

1月2日は、南予方面に450kmほど一般道を走って来たよ〜

 

実はこのバジェロ、30年目になりますが、松山より西は走った事が無いのですニヤリ

 

高知経由では松野町の滑床渓谷などには行ったことがありますが、いまだに国道56号線の犬寄峠を越えた事が無い

 

という事で、国道56号を宇和島方面へ

 

エミフル松前も初めて見ました

 

すごくでっけぇ~

 

そして凄い人と車の数びっくりびっくり

 

 

ところで

 

お散歩南予といってもJR四国の「おさんぽなんよ」とは関係は無いのでお間違えの無い様にお願いいたしますw

 

おさんぽなんよ キハ54-7

2018年10月14日 八幡浜駅にて撮影 

 

 

先ずは内子線の内子駅へ

image

11:17

まだ盲腸線の内子線だった時代の駅名票が保存されていました

 

当時の内子線は、五郎-内子間10.3kmを5駅で結んでいましたが、1986(昭和61)年の国鉄末期に鉄建公団によって内子線を経由する予讃線の新線として内子-向井原間23kmが建設され、建設当時は内山線と呼ばれていた(正式には予讃線になります)

 

新線以外にも路線の改良付け替え等が行われ、内子駅も旧駅から移転して高架になりました

 

お隣の五十崎(イカザキ)駅は1.6kmも移転したそうです

いそしずブログさん↓

愛媛県内子町に消えた盲腸線、内子線

 

現在の予讃線の特急列車は全て海回りでは無く、こちらの短絡線を通りますが、現在でも内子-新谷(にいや)間は内子線のままです

 

平成9年に設置された銘板にも内山線となっていますが、私もつい先日まで内山線かと思っていました

静態保存されているシーコロことC12は、盲腸線時代の内子線で貨物専用に最後まで頑張った231号機です
 

軽便鉄道の762mmから1067mmの狭軌に変更された宇和島線と新設された卯之町線(のちの予讃本線)に導入された機関車もC12でした

 

宇和島の和霊公園にも259号機が保存されているようです

 

C12-231詳細はクリックしてね

 

 

時刻は午前11時20分、引き続き国道56号線を宇和島方面へ進みます

 

ジオグラフィカによるGPSトラックログ
 
松山自動車道西予宇和ICから終点の宇和島北ICまでは無料区間ですが国道56号を進みます
 
宇和町から法華津峠を越えて宇和島へ
 
昔は、法華津峠入口と書かれたアーチ型の大きな標識があったのですが見当たりません
 
確かラブラブホテル伊賀城の前を通っていたはずなので・・・
 
やっぱり合ってました
 
西日本豪雨の影響だと思いますがアスファルトの両側の側溝がとても抉られています
 
法華津峠(標高436m)を越えます
 
 
ここまでは昔と比べると道がきれいに整備されていましたが、昨年の西日本豪雨で被災してました
 
 
峠を少し下ると、法華津峠展望台があります
 
国道56号線の10本のトンネルが抜けるのは昭和45(1970)年と遅く、それまではこの道が宇和から宇和島へと続く幹線でした
 
鉄道は国鉄によって昭和16年に宇和島-卯之町間に卯之町線が開業しましたが、八幡浜-卯之町間が延伸して、ようやく宇和島まで繋がり予讃本線の全通となるのは昭和20年6月の終戦直前でした
 
それまでの宇和島は、文字どうり陸の孤島であり、C12形蒸気機関車も吉田町立間尻の港から陸揚げされました
 
12:40
法華津峠展望台到着
 
右のコンクリートの建物は、かつてここが幹線だった頃、レストランとして営業しており、多くの人で賑わっていたと20年ほど前の愛媛新聞の峠道特集に載ってました
 
周辺の雑木が刈り払われて、前に来た時よりも展望がずっと良くなってる
 
瀬戸内海と一味違う宇和海の色も素敵ですキラキラ
 
やまぢこえて、ひとりゆけど、主の手にすがれる身はやすけし
 
西村清雄が明治36年に宇和島伝道から松山へ帰る途中に峠の夕暮れ道を歩いた時の心情をGolden Hillの旋律にあわせて作詞したという
 
吉田町のみかんの段々畑と法華津湾
 
この展望台から国道まで800m程の登山道が続いていたので途中まで降りて、斜面を這い上がると展望台の先にある岩場に出ました
 
ここから予讃線が宇和町側からの最初の法華津トンネルを出た所がバッチリ俯瞰出来ますニヤリカメラ
 
岩場を展望台方面へ
 
無事展望台に戻りました
 
いやぁ~素晴らしかったです
 
今回3度目ですが、前より展望がよくなっており、180度ほどに広がっておりました
 
屋島北嶺の遊鶴亭と並んでお奨めの展望台です
 
旧道を宇和島方面へと向かいます
 
豪雨の爪痕が随所に見られます
 
ありゃりゃ~通行止めでした
 
通り抜け出来ないなら、もっと手前にも案内が欲しかったですもやもや
 
再び国道56号線に戻り宇和島方面へ
 
吉田町を越えて宇和島の高串から左折して予土線沿いに県道57号線を進みます
 
窓峠は三間平野の入口で吉田藩の番所が置かれる旧街道であり、旧遍路道でもあったようです
 

JR四国全線運転再開乗り鉄④ 宇和島駅-近永駅折返し へ星

 

坂を上りきる手前の予土線を跨ぐ高架橋の隣に眠っているのは大正3年に宇和島-近永間が開通して開業した宇和島鉄道の窓峠隧道です

 

昭和8年に国鉄に買収され、全国でも稀な国鉄軽便線として昭和16年までミニ列車が走ってました

 

昭和16年に宇和島-卯之町間に狭軌1067mmの卯之町線が開通した際に、宇和島線として起点を北宇和島駅に変更して改軌されましたが、その際にトンネルも付け替えられました

 

戦争中は防空壕や住宅として使われ、その後キノコ栽培などが行われていたようですが、いつの間にかゴミの投棄場所となってしまったようですショボーン

リンク⇒窓峠隧道 隧道探訪さんのHP

 

14:12
北宇和島側坑口
 
ゴミは県道の跨線橋の改良工事の際に取り除かれたようです
 
坑口はシートで覆われていましたので、入口から撮影しました
 
内部は煉瓦巻のようですね
 
窓峠隧道は愛媛県で最古の鉄道トンネルで大正3年3月に竣工されました
 
現在のトンネルから鉄道ホビートレインが北宇和島方面へ走り去って行きました
 
カメラ間に合わなかったですえーん
 
反対側の坑口も確認しておかねばなりません
 
このお堂の下を旧トンネルが通っています
 
トンネルをぬけて右へカーブして務田駅へと続いていたと思われますが、掘割が埋め立てられており確認できません
 
この写真は「宇和島鉄道(株)」の前副社長だった今西幹一郎氏が大正3年に弓瀧神社に
奉納したものだそうです
 
弓瀧神社の奉納写真に写っている篇額のみ遺されていました
 
右の長方形の石が篇額です
 
想像していたものよりかなり大きかったですびっくり
 

宇和島鉄道及び愛媛鉄道に関わる鉄道遺産PDFこちら

埋め立て前の窓峠トンネル吉野側の坑口の写真もあります

 

宇和島鉄道時代の歴史ある窓峠隧道も無事確認出来ました
 
10月の乗り鉄では近永駅での降車時間が少なかったので訪れる事が出来なかった北宇和高校馬術部を訪問です
 
14:52
木造校舎を厩舎に改造して、昭和な良い雰囲気です
 
馬場はそんなに広くはないけど、大きな学校の敷地には農業系の高校かと思えるほどハウスや農業施設があります
 
誰も居なかったので声をかける事も出来ませんでしたが、掃除も行き届き、整理整頓されていて、しっかり活動されてる事が窺えますね
 
四国の高校で馬術部があるのは、香川県の綾川町にある農経高校北宇和高校の2校のみかな
 
 
 
15:05
道の駅広見森の三角ぼうしには鬼がいると聞いています
 
思ってたよりも規模が小さそう
 
途中で見た道の駅みまの方が規模が大きそう
 
鬼はどこだ~
 
あれかなキラキラ
 
なんで雉が肩にとまっとんねん
 
雉は鬼退治に行くんちゃうんかいな爆笑
 
全長5mの鬼王丸は集客力抜群のようでした
 
もうひとつのセクシーと噂の美人鬼はと、捜しましたがここには居ないようです
柚鬼媛 借物写真
 
帰ってから調べると柚鬼媛(ユキヒメ)は、道の駅「日吉夢産地」にいるそうです
 
日吉って言えば合併前の日吉村
 
昔、消防学校で日吉村の皆さんと一緒に訓練を受けた事が思い出されますが、皆さん真面目で純朴な方でしたが、今は鬼北町に合併になったんですね~照れ
 
 
柚鬼媛は先ほどの鬼王丸の母鬼だそうです
 
鬼北町では鬼嫁コンテストなるものも行われているそうなので、我こそは思われる方は是非ご参加ください
 
全国から鬼嫁を募集中との事です
 
 
広見町を後にして国道320号を宇和島に向かいます
前に宇和島に来た時には、まだ宇和島駅には直通してなかった国道で、宇和島と鬼北盆地を短絡するルートです
 
1997年に柿原バイパスが完成して改良工事が完了し、宇和島駅周辺が一新したようです
 
トンネルの連続で宇和島駅の真ん前に出ます
 
GPSログはトンネル内では受信できないので直線で表示されているようです
 
 
C12-259が保存されている場所を間違えて天赦公園と記憶していたので、天赦園に向かい隣の公園を見回しますが何もありません
 
折角なので、三浦半島の細木運河まで行こうかと思い途中まで行きましたが、時間的に無理かと思い引き返します
 
 
そうだ、九島大橋を渡ろうキラキラ
 
しかし、我パジェロにはもちろんナビなんてものはありません
 
道路地図も古いので平成28年(2016年)に完成した橋は載っていません
 
地図を眺めて自分なら何処に橋を架けるかなと思って、宇和島港の先をウロウロ
 
しかし、九島はすぐ向かいに見えているのですが橋が無い
 
いろんな場所から眺めていると、橋らしい構造物の一端が遠くに見えました
 
ずっと向こうなので宇和島道路に沿って津島方面に走らねばなりません
 
宇和島坂下津ICを上がらずに側道を直進すると、ややこしい変形交差点があって九島の標識があります
 
帰って来るときには、この変形交差点で危うく逆走しそうになってしまいましたあせる注意
 
九島大橋に無事到着
 
16:20
橋の向こうの島が九島です
 
九島大橋が平成28年の4月に完成するまでは、宇和島港から定期船(九島フェリー)が出ていました
 
其れまで島の中心は船着き場でしたが、今はもうそういう人が集まってくる場所は無くなったかも知れないですね
 
九島に渡ります
 
ゆっくり来て歩いてみると楽しそう音譜
 
島の外周は車では廻れないようです
 
九島大橋直下から宇和島方面
 
九島大橋
  • 全長:468 m
  • 幅員:7.25 m
  • 形式: 鋼3径間連続鋼床版箱桁橋
  • 所属路線:宇和島市道坂下津1号線
  • 車線数:2車線
  • 建設費:約70億円[

南予の柑橘園は何処も急傾斜地ですねぇ~
 
黄色い果実は「はるか」ですオレンジ
 
16:36
もう日が暮れて来ました
 
みかんを満載した軽トラックが橋を渡って島から出ていきました
 
宇和島自動車のバスが橋を渡って九島へ向かいました
 
 
こんな事を言っては何ですが・・・
 
橋によって得られたものと失わざるを得なかったものを考えてしまいます
 
橋が出来る前は、柑橘の出荷もフェリーで渡らねばならなかったでしょうから時間の制約もあるし費用も掛かった事を思えば、架橋によってすごく便利になった筈です
 
車で出かけられる方にとっては、買い物も通院もいつでも可能になりました
 
四国本土、宇和島市中心部と地続きになるのが九島島民の宿願であり、1991年には架橋促進協議会が結成され、2013年6月に架橋工事が着工し、総工費70億円と2年半の歳月をかけて全長468mの九島大橋が完成し、2016年4月3日に開通しました
 
 
橋が架かって…
 
小学校も陸地の小学校に統合され、島から学校は全て無くなりました
 
診療所も無くなりました
 
定期船が廃止されました
(島の荷物の全ては定期船が運んできていたので、乗船場は島民の交流の場となっておりました)
かりもの写真 第8くしま丸
 
九島フェリーが廃止されて、宇和島自動車のバスがやって来るようになりましたが、人口1,000人ほどの島で、しかも自家用車で乗り入れられるようになった島に、いったい1日何便のバスがやって来ているのでしょうか?
 
自動車に乗れない高齢者にとっては、便利になったとはとても言えないような気がするのですが実際はどうなんでしょうか?

島に限らず少子化で地方は何処も人口減ですが…
 
橋が架かったり、道路が出来たりで人口が流出した例は、日本中で数えきれないほどあるので、そうならない様にと願うばかりです
 
などなど心配していると、日が暮れてしまいますので…
 
そろそろ帰ろうかな
 
 
帰りは宇和島道路と松山道の無料区間だけ利用しようかな
 
 
 
本日もお立寄りありがとうございました
 
 
 
では、また