今年7月の西日本豪雨で寸断されたJR四国の鉄道網、南予地区の予讃線を中心に被災箇所は134ヶ所に上がりました

 

約20億円の復旧費用と約10億円の減収は、本業の鉄道事業での営業損益で1987年の発足以降31年連続赤字が続いている経営難の同社に大きくのしかかりました

 

災害の規模が年々大きくなる傾向の中で、赤字路線に多額の復旧費が必要となる状況をJR四国半井社長は「リスク」と表現されておりました

JR四国管内には、昭和初期に建造されたままの古い施設も多く残っており、これまで想定していなかった災害を念頭に、路線をどう維持していくのかという問題意識を、地域も含めて共有していかなければならない時期になっています

 

がんばってます!南予

 

 

 

今回もご訪問頂きましてありがとうございます

 

前回の④宇和島駅-近永駅折返しからの続きになります

 

周囲を山に囲まれて、かつては陸の孤島と呼ばれた宇和島

 

宇和島と宇和の境の旧法華津峠(標高436m)には、西村清雄による讃美歌404番の石碑が立っており、眼下には吉田町の段々畑や宇和海が広がっております

法華津峠から法華津湾を望む 画像はウィキより

 

山路こえて

 

明治36年に宇和島伝道から松山へ帰る途中に峠の夕暮れ道を歩いた時の心情をGolden Hillの旋律に合わせて作詞したと云う 

※西村清雄は夜間学校「普通夜学会」(現・松山城南高校)初代校長として勤労青年のために献身した人物

  1. 山路こえて、ひとりゆけど、主の手にすがれる身はやすけし。
  2. 松のあらし、谷のながれ、みつかいの歌もかくやありなん。
  3. 峯の雪とこころきよく、雲なきみ空とむねは澄みぬ。
  4. みちけわしくゆくてとおし、こころざすかたにいつか着くらん。
  5. されども主よ、われいのらじ、旅路のおわりのちかかれとは。
  6. 日もくれなば、石のまくらかりねの夢にもみ国しのばん。

鉄道が未だ開通して無かった頃の宇和島への陸路はどんなに遠く心細かったことだろうと思います

 

昭和45(1970)年に国道56号の法華津・玉津・白浦ほか7本の合計10本のトンネルが完成するまで、この細い山道が宇和から宇和島への幹線でした

 

大正3年に鬼北への宇和島鉄道が開通して昭和8年に国営化され、昭和16年には宇和島-卯之町間に卯之町線が開業しました

 

これに伴って762mmの軌間が1067mmの狭軌に改良され、北宇和島駅開設に伴い路線の改良等が実施されたことは前回にも紹介させて頂きました

 

昭和20年に八幡浜-卯之町間が開業して、卯之町-宇和島間を編入して予讃本線全線開通となりました

 

今向かっている旧宇和島機関区は、昭和16年卯之町線開業時に、吉田町立間尻の港から陸揚げされ、改軌された宇和島線や新設された卯之町線を走る蒸気機関車C12形が並んでいたものと思われます

卯之町線開業70周年記念写真展星 maさんのブログ

昭和の宇和島・蒸気機関車の写真なら⇒こちら星

 

宇和島市和霊公園に保存されているC12-259 宇和島市HPより

 

前置きが長くなってしまいましたが、予備知識を持って旧宇和島機関区(現在の宇和島運転区)へ突撃ですw

 

因みに今度の日曜(平成30年11月4日)は、がんばってます!宇和島 鉄道の日ふれあい祭りだってキラキラ

 

海洋堂ホビートレイン かっぱうようよ号による転車台体験もあるって

 

ざんねん、4日は母の法要です

 

14:42 a

やっと、前回の最終場面まで戻って来ましたゲラゲラ

 

運転区内に通じると思われる小道は、通行禁止になっているので、右のガードレールの向こうの道へ行こうと思いますが、間に川(大池川)が流れており、100メートル程バックして右の道へ移りました

 

14:45  b

特急宇和海が宇和島駅に向かってます

 

14:45  b

かわいらしい木製の小屋は元機関区の入口の守衛所だったのでしょうか

 

大きな木の後ろにも何かが隠れていますよ

 

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機関区に無くてはならない給水塔でした

 

コンクリートの上に鉄製のタンクが乗ってます

 

昭和16(1941)年竣工だそうです

 

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この角度からは扇形には見えないけど機関庫のようです

 

1番ピットには扉が付いており、収容線が突き抜けています

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向こうに見えるのは転車台のようですが・・・
 
後で調べると手前のピットは屋外にある5番ピットでした
 
戦争中はこのピットから更にこちら側まで引き込み線が延びて、山の中に蒸気機関車の格納壕が掘られていたらしいです
 
拡大してみると間違いないです
 
現在も可動する転車台、という事は左の建物は扇形機関庫に違いありません

扇形機関庫・・・機関車格納庫の一形態であり、転車台を中心として構築された、扇形の格納庫をいう。
蒸気機関車は前後の区別があったため、進行方向を変えるには機関車の向きを変える必要があった。このため多くの駅に向きを変える転車台があったが、機関区を併設する場合に扇形庫を活用すれば分岐器の数や設置面積を大幅に節約できるため、多くの機関区でこの形が用いられた。 その後、時代が下って電気機関車やディーゼル機関車の時代となった後は、雪かき車などの一部車両を除いて前後転回を必要としなくなったため、転車台とともに徐々に姿を消していき、残存数は少ない。

 

youtubeに転車台の動画がありました

17m級の電動下路式転車台(昭和12(1937)年・横河橋梁製)

 

宇和島機関区(現在の宇和島運転区)の外周を一周します

 

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キハ32の隣に先ほど運転区に回送された鉄道ホビートレインが並んでます

 

その右にはかつての特急列車キハ185が2両留置されてます

 

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扇形機関庫の収容ピットは4線で右から1番-4番となっているようです

 

屋根の排煙ダクトは除去されているようです

 

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キハ185の隣にはN2000系ともう1両キハ32が留置されてました
 

事前に申込みをすると見学も可能らしいです

 

15:00  i

跨線橋から宇和島駅方面

 

3番線にキハ54が入線してる

 

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跨線橋から宇和島運転区

反時計回りで宇和島運転区の外周を歩きました(構内には入っていません)

 

JR宇和島駅と宇和島運転区周辺地図

 

ガーミンコネクトによるGPSトラックログ

 

旧宇和島機関区にあった扇形機関庫は、四国に唯一現存するものだそうです

 

昭和8年に開設された機関区は、昭和16年に卯之町線開業によって改軌され、C12形が導入配置されました

 

この機関庫は、この頃に作られ、宇和島空襲を逃れて、今も残っているようです

 

全国でも12か所しか現存しない扇形機関庫が宇和島にも在った事は驚きでした

 

さて、

 

残る乗り鉄区間は、予讃線の宇和島-伊予三島駅間だけとなりました

15:14

15時27分発の4926Dは3番線に待機しております

 

やはり、キハ54でした

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15:15

キハ54-11

 

もちろんキハ54に乗車するのは初めてです

 

投入時期(国鉄末期)やマスクが似ていることから、121系電車の気動車版なのでしょうか?

 

予讃線の121系電車(現在は殆どが7200系に改造されました)
 

 

15:15

キハ32に比べるとかなり広く、同じベンチシートですが席数が決まってるw
 
15時27分定刻に発車しました
 
次の停車駅の北宇和島駅で交換する列車は・・・
窪川から折り返して来たのねハート

 

15:30

北宇和島駅で、予土線のかっぱうようよ号と交換します

 

江川崎駅で交換して、また再会しました

 

15:41

 伊予吉田駅で宇和海17号と交換

 

15:44

2000系気動車、松山以西の予讃線では今も活躍中ですね

 

15:52 k

法華津峠へ向けてトンネルの連続で標高を上げていきます

15:53 l(エル)

気になっていた吉田町の柑橘園の土砂崩れは、車窓からはそれほど確認出来ませんでした

 

帰ってから訊ねてみると、全園地の2割程度も被災しているが、海岸沿いの被害が多いとの事でした

法華津峠へ向けて8つのトンネルで標高を稼ぎ、最後の長いトンネルで分水嶺を越えて宇和盆地の肱川のほとりの下宇和駅に到着します

 
立間駅を出て、短いトンネルの連続で標高を上げ、最後の長いトンネルで法華津峠を越えると下宇和駅です
 
立間駅には貨物線があって、昔は11月になると温州ミカン中生の南柑20号の出荷が毎年ニュースで紹介されておりました【南柑列車】
 

16:01

予讃線で最後まで不通区間だった卯之町駅に到着です

 

16:09
宇和盆地の車窓が広がります
 

16:11

絶対に撮り逃す事の出来ない親子マンモスゲラゲラ

 

なかなか現れず、危うく撮り逃すところでした

 

今年は建築基準法問題で物議を醸しましたねぇ~↓↓↓

 

人間って本当に愚かな生き物ですゲッソリ

 

命拾いした母親マンモス、よかったね星

 

16:27

八幡浜駅到着です

 

みかんの香る四国最西端の2面3線の駅

 

ここで16時34発の宇和海22号に乗り換える予定ですが・・・

 

16:30

1番ホームから3番線に停車中のキハ54を眺めながら・・・

 

宇和海22号には乗り換えずに、このままキハ54(4926D)で海回り線を松山まで行こうかなんて迷ってます

4926Dだと、海回り(68.4km)で残り21駅に停車して松山には18時30分着上矢印

 

一方、特急宇和海22号は内子線経由の山回り(62.1km)で17時26分着下矢印

現在時間は16時30分、松山の到着時間が1時間遅くなりますが、このまま4926Dで行けば伊予灘の夕日が車窓から見えるかも
 
下灘駅発は17:51なので、既に落日してると思われますが、手前の長浜駅辺りまでは夕日が残ってるかもね
 

16:31

八幡浜駅前

 

観光列車伊予灘ものがたりが1往復発着しています

 

16:33

宇和海22号が1番線に入線

16:34

う~ん!宇和海22号バイバイバイバイ

16:34

昭和ぽい木製跨線橋上から宇和海22号をお見送りしました

 

この1番線と2番線の間のレールは何のためにあるのでしょうか?八幡浜駅には全列車が停車するはずですが・・・

 

16:41

4926Dが後続の特急列車宇和海22号に追い越させた後、下り列車と交換します

 

なんと、やって来たのは単行のキハ54-7の「おさんぽなんよ」でしたチュー

 

下り先頭のフェイスは愛媛県イメージアップキャラクターの「みきゃん

 

16:43

2016年に開催された「えひめいやしの南予博」や2017年の愛媛国体に合わせて2016年3月21日より運行されてますが、約2年間との事だったので、もう運行は終わってるとばかり思ってました

 

こちらの松山側のフェイスは南予観光をPRする「にゃんよ

 

16:59

八幡浜で乗客が殆ど入れ替わりましたね

 

宇和島から松山まで普通列車で乗り通す人は、私と運転士さんだけみたいデスw

 

17:02 

大洲城と肱川

 

17:12
伊予若宮信号場の分岐を左へ
 

17:13 n

五郎駅 単式ホーム1面1線

 

内子線がこの駅から続いていた頃は、単式ホームの他に島式ホーム1面2線を有しており、合計2面3線でした

 

写真は五郎駅が予讃線と内子線の乗換駅だった頃の島式ホームで、当時はこのホームの両側にも線路が敷かれてました

 

17:39 O

伊予長浜駅辺りで日が暮れ、伊予灘にさしかかった頃にはもう暗くなってました

既に日が暮れているのに、下灘駅にはまだ沢山の人いてびっくりびっくり

 

あまり人が多いと風情が無くなりますね

 

18:08
内子線経由の短絡線と合流し、向井原駅を過ぎると松山まであと僅かです
 

18:35

4926Dはとても長くて疲れたよぉ~

 

宇和島駅から32駅を経て松山駅に18時30分に到着しました

 

10分後に1番線から発車するしおかぜ30号に乗り換えます

 

18時40発のしおかぜ30号(30M)で伊予三島へ向かいます

 

あと116.8km、1時間25分で、長かった乗り鉄の一日が終わろうとしています

 

18:37

はじめて乗車する8600系電車

 

今日一番の乗り心地で、疲れ切った身体にはとても快適です

 

写真を撮ろうにも、辺りはすっかり闇の中になってしまいました

 

伊予北条、今治、壬生川駅に停車し、通過しました

 

高架になった今治駅を通過したのは初体験です

 

続いて、伊予西条、新居浜駅に停車して、伊予寒川駅を通過です

 

20:07

伊予三島駅に定刻の20時05分に到着して、時計回りの乗り鉄が完結しました

 

20:07

伊予三島駅で8600系どうしで交換します

 

今日の乗り鉄は580.6kmで、特急列車あり、普通列車あり、そして新幹線ありの大変充実したものとなりましたw

予讃線(伊予三島-多度津)44.9km

土讃線(多度津-窪川)198.7km

土佐くろしお鉄道(窪川-若井)4.4km

予土線(若井-北宇和島)76.3km

予讃線(北宇和島-宇和島)1.5km

元宇和島鉄道(宇和島-近永)折返し34.8km

予讃線(宇和島-松山)103.2km

予讃線(松山-伊予三島)116.8km

合計580.6km

 

こんなもの好きな旅に、最後までお付き合い下さった方々に、心から敬意を表して終わりにしたいと思います

 

今回も大変長くなってしまい、申し訳ございませんでした

 

本日もお立ち寄り頂きまして、誠にありがとうございました

 

 

おわり

 

関連記事

 

JR四国全線運転再開乗り鉄

① 伊予三島駅-多度津駅-阿波池田駅 へ

② 阿波池田駅-窪川駅 へ

③ 窪川駅-宇和島駅 へ

④ 宇和島駅-近永駅折返し へ

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