やっと遍路ころがしの横峰寺道の登山口まで来る事が出来ました

 
伊予小松駅を出発してここまで12.01km
 
ここまではアスファルトの車道で雰囲気も今ひとつ
 
あっ!歩き遍路情報を見つけました(横峰寺へのルートも載ってます)チョキ
 
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時刻は午前10時58分
 
これから横峰寺道へと分け入るところですあせる
 
前回の横峰寺奥之院星ヶ森へ② 湯浪ルート(お山道)からの続きですが、少し長くなりますがよろしくおねがいしますウインク
 
20分の休憩で体力もほぼ戻りましたので出発です筋肉
 
「えひめの記憶」によるとこの山道は、昭和56年(1981)以降「四国のみち」整備事業が進められた際に、かつての遍路道を改修・整備したものであるらしい
 
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11:01
遍路道は谷沿いに進みますが、その谷に流れ込む沢が右から左へと流れております
 
「二十丁」の舟形地蔵丁石は見逃してしまいましたてへぺろ
 
11:02  11:05  11:06
19丁石と18丁石
 
谷に沿っているのでまだ傾斜はそれほど急ではありません
 
18丁石と17丁石の間には横峰寺へ登る途中、一夜の宿を断られた弘法大師が野宿したと伝えられている「大師の野宿石」があると後で知りましたがそれらしい石は気が付かなかったもやもや
 
11:08  
17丁石
 
11:10
少し登り道になりました
 
11:11
16丁石
 
峯より弐十丁
 
11:12 
左に見える鉄製のしっかりとした橋は四国電力の鉄塔管理道で遍路道ではありません注意
 
横峰寺まで1.6kmと書かれた四国のみちの道標の隣の地蔵道標はこれまでの地蔵丁石とは違い、もっと古そう
 
えひめの記憶によると「峯より弐十丁」と刻まれているようです
 
11:14
15丁石
 
この後、山道は「四国のみち」整備事業により架けられた五つの橋を渡り、谷川を縫うようにして登ります
 
11:16 C
一つめの橋で沢を渡り左に
 
11:17  11:18 
橋を渡ったところに14丁石
 
二つめの橋を渡り、元の沢の右へ
 
11:20 D
三つめの橋を渡り再び沢の左へ
 
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11:21 E
13丁石と石畳の石段
 
いいかんじの地蔵丁石と石畳の遍路道ハート
 
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11:23
歴史を感じられる石畳が続きます
 
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11:25 F
四つめの橋を渡り沢の右へ
 
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11:26 G
五つめの橋を渡り沢の左へ
 
もとの遍路道には橋は無く、当時は谷川を飛び石伝いに渡っていたようです
 
この辺りは平成16年の台風21号の爪痕でしょうか、大きな石と流木が散乱しております
 
台風21号からは年月が経っていますので、その後の水害によるものかも知れませんね
 
大雨が降ると水量が多くて危険ですので下流の妙之谷川の水量でルートを選択しましょう注意
 
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11:28 H
遍路道も土台から流され山側に応急の迂回ルートが作られていますが、元の遍路道の復旧は難しそう
 
新しく迂回ルートで遍路道を作るしかなさそうな感じです
 
ここまでは谷に沿った道でそれほど傾斜のきつい道ではありませんでしたが、この辺りから地形図では等高線に垂直の道になり、厳しさを増しますアセアセ
 
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11:30 I
迂回ルートは11丁石の正面で遍路道と合流します
 
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11:30 I
11丁石の前から流された下りの遍路道を振り返った写真
 
この前に確認出来たのは13丁石だったので12丁石は流されたのかも知れないですねショボーン
 
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11:32
11丁石と10丁石の間に「従峯十一丁」
 
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11:34
10丁石
 
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11:37
文政二年(1819)と刻まれた芸州(広島県)のお遍路さんの墓
 
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11:38 J
「従峯十丁」と刻まれた道標と大師像
 
大師像には享保十六年十二月廿一日 千足山村 とち之川 市左ヱ門と台石に彫られている
 
9丁石は見逃してしまいましたえーん
 
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11:42
「従峯十二丁」と刻まれた道標(11丁の次に12丁とは・・・)
 
えひめの記憶によれば、この道標は後世下からここへ移動させられたものと思われると書かれてます
 
 
キツイ!急な坂が続きますアセアセ
 
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11:44 K
横峰寺まで0.9km
 
登山口から1.3km登って来ました
 
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11;47
右側に大きな自然石と手前に7丁石
 
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11:49
8丁石
あれれ、さっきのが7丁石だったのにおかしいなはてなマーク
 
「えひめの記憶」によると先ほどの大きな石の隣の7丁石と入れ替わっているとのこと
 
何故そんなことに!誰かが悪戯したのはてなマーク
 
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11:51
6丁石
 
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11:54
地蔵さんが無くなってる
 
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11:54
「安政七申」(1860)と刻まれた周防(山口県)の遍路の墓
 
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11:55 L
ベンチがありました
 
古坊休憩地に着いたようです
 
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11:56 M
5丁石
 
登山口の湯浪休憩所からこの5丁石のある古坊休憩地までの1.7kmが横峰寺道として平成28年に国指定史跡となりました
 
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11:56 M
横峰寺まで0.6km
 
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11:57 M
古坊にはかつて集落があり、昭和50年代初めのころまでは住民がいたらしく石垣も所々に残っています
 
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11:57 M
お堂がありましたが幟はボロボロだし、なんだか怪しい冷気が・・・
 
中を覗き込んでみましたが、朽ちた布団の様なものにミイラ化した・・・がくるまっているように見えましたが、よく見ると布団だけがミイラ化していたようです
 
しかし、怖い滝汗
 
何かあっても此処で雨宿りしたり、泊まる事は私には無理です
 
【後補足】
ひょっとしてこの場所には300年以上も前からお堂があったかも知れません
 
1687年に発行された真念著「四国邊路道指南」によると以下のような記載があるらしい
生木地蔵。新田村川有。
 大戸村、此所に荷物おき行。よこミねへ二里。
 ゆなミ村、地蔵堂有。ふるほう村、地蔵堂。大戸より山路、谷合。 
 (中略) 
 横ミね寺より、香苑寺へ筋向道、教る人多し、 
 益なし。右の大戸へもどるをよしとす。
 (訳)
 生木地蔵から新田村へ向かうと川があります。
 大戸村(今の大頭)に荷物を置いて横峰寺に向かいます。横峰寺までは2里です。
 湯浪村と古坊村には地蔵堂があります。大戸からは山道となり、谷筋を通って行きます。
 (中略)
 横峰寺から香園寺までは、直通道を教える人が多いが、
 便利ではないので、大戸へ戻る方が良い。
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11:58 M
六地蔵とお堂
 
近くの「四国のみち」ベンチ横に、香園寺への道を示した和田屋利平建立の道標⑭と古坊の人が建てた道標⑮の2基の道標が倒れている。少し登った左側には小堂、六地蔵、石仏があり、小堂裏には「天保三年辰」(1832)と刻まれた隠岐(島根県)の女遍路の墓がある。
えひめの記憶より
 
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12:01 N
7基の遍路墓
さらに進んで、少し下って谷川、そしてまた登ると、左手に7基の遍路墓(写真3-3-5)が見えてくる。右端の2基は折損しており、その形状・刻字から見てもとは一つの墓石であったと喜代吉榮徳氏(昭和22年生まれ)はいう。「正徳四」(1714)、「天保九」(1838)、「天保十四」(1843)、「嘉永元」(1848)、「慶応三年」(1867)などの年号を刻んだ阿州(徳島県)や芸州(広島県)などの遍路の墓である。
えひめの記憶 横峰寺への山道より
 
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12:02 M
4丁石
 
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12:06 O
3丁石 横峰寺まで0.4km
 
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12:07 P
「従峯三丁」の道標
 
最後まで急な坂道を一気に登ります
 
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12:10 Q
2丁石
 
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12:13
 へんろ道の道しるべも疲れて倒れてる爆笑
 
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12:14
ついに横峰寺の山門が見えましたキラキラ
 
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12:15 R
1丁石と合掌した地蔵
 
ここからの山門の写り具合が良い感じです
 
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12:15 S
山門には四国霊場第60番石鎚山横峰寺、御本尊大日如来蔵王権現と書いてある
 
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12:15 S
山門から今登って来た道を振り返ってみました
 
左の道はここから星ヶ森を経て石鎚山山頂へと続く石鎚山道
 
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12:16 S
古い道標がありました
 
拡大してみます↓
 
道標には
左 石鎚山道
右 大頭道
 
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12:17 T
山門を潜る前に横峰寺の奥之院である星ヶ森遥拝場へ向かいます
 
ここから南へ約600mで星ヶ森峠に至ります
 
この道は横峰寺の境内下段に配置されている庫裡へ車が進入できるよう、林道から尾根よりに境内を迂回して星ヶ森峠付近から下って山門に至る車道になっています
 
12:17 T
振り返り写真 横峰寺山門
 
12:18
伊予小松駅からここまで14.68km、所要時間4時間50分(休憩等すべて含む)
 
登山口までが12.01kmだったので、登山道が2.67km、1時間20分かかりました(少しゆっくりのペースですね)
 
12:27 U
女遍路の墓
 
山中で力尽きたお遍路さんも多かったのでしょうか 合掌
 
12:29 V
尾根に出ました
 
12:30 V
霊場「星ヶ森」です
 
手前は手水鉢
 
12:30 V
標高820mの星ヶ森峠
 
12:30 V
ここは横峰寺奥之院
 
横峰寺で御朱印が頂けるそうです(後で知りましたガーン)
 
12:30 V
 
12:30 V
石積みのお堂に大師石像が祀られています
 
12:30 V
石鎚山(標高1982m)と高さ1.5mの鉄の鳥居(1742年建立)
 
やっと、念願の鉄ノ鳥居に石鎚山が収まったキラキラ
о(ж>▽<)y ☆やったよぉ~
 
晴れてて呉れてよかったあ~お願い
 
ここまで頑張って歩いて来た甲斐がありました
 
でも・・・、でも・・・あせる
 
一言だけいいですか滝汗
 
 

横峰寺石鎚山遥拝所「星ヶ森」国名勝に指定

 
鉄ノ鳥居 小っちゃ~い
((((((ノ゚⊿゚)ノ
 
110cmに調整してあるトレッキングステッキと変わらない高さポーン
 
一瞬脳理に、はりまや橋が・・・ゲラゲラ
 
 山門を出て南に約500m登っていくと、星が森峠に達し、そこが霊場「星が森」である。途中には、横峰寺と小松までの方向と距離を示した道標⑱が立っている。星が森峠には、約1.5mの高さの鉄の鳥居が石鎚の峰を望むように建てられ(写真3-3-7)、石積みの小堂には大師石像が祀られている。この鳥居について、澄禅の『四国遍路日記』は、「社壇ノ後薗ヲ通リテ未申ノ方ノ峰二上ル事五町、爰二鉄ノ烏居在リ、爰ニテ石槌山ヲ拝シテ札ヲ納テ読経念誦ス。13)」と記している。また、寂本も『四国徧礼霊場記』で、「独股(とこ)石といふ石尺余もありと、天より降りたるよし所以を聞ず。此石より二町程のぽりて鉄の鳥居あり、弥山の拝所といへり。是より弥山へは路程九里なり。14)」と記している。この「星が森」という名は、弘法大師42歳の時再度入山の折りに、当所で厄除けのための星祭りの行を修したことにちなんで、この名がつけられたといわれている。
えひめの記憶より
 
GPS軌跡 今回の移動区間B-V

ようやく、目的の地、星ヶ森まで来ることが出来ました
 
遍路ころがしの登山道は後半になって勾配が急になりましたが、他の山道に比べて特別に険しいとは思いませんでしたが、歩き遍路さんにとっては長い距離を歩いて来た最後に勾配がきつくなるのと、陽が落ちないうちに麓の香園寺まで戻らなければならないので大変かと思いました
 
また、季節が冬であれば積雪や寒さ、陽の短さも加わって一層の困難を極めるかも知れません
 
そういう意味でも山に踏み入る前の段階で準備を整える意味でも妙雲寺に実際の距離より長い百丁石が置かれていたのかも知れません
 
星ヶ森からは何度来ても霧で石鎚山が見えなかったりするというのに、今回初めての横峰寺参拝で、よく見えて感謝です
 
今回は横峰寺道から星ヶ森まで一気に登り、写真も多くて長くなってしましましたが、最後まで辛抱強く見て頂きありがとうございました
 
次回は折返しになりますが、帰りに60番横峰寺で納経に立ち寄り、御朱印を頂こうと思います
 
 
では、また
 
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