早、三十年か 〜\(゜□゜)/
なにがって、
アニバーサリーヽ(*'0'*)ツ
昨日の4月10日で瀬戸大橋が出来て三十年になるという
早いものです
ついこの間の様な気がしますが、昭和63(1988)年4月10日に本四備讃線、瀬戸中央自動車道が開通し、同時に宇高連絡船がその使命を終えた
前年に国鉄が分割民営化され、JR四国は880キロと営業キロ数が最も短く、そのうえ殆どが単線の非電化路線(複線区間は高松-坂出、丸亀-多度津間のみで3%、電化率も8%だった)で、JRで最も小さい会社として発足しましたね
国鉄という巨大船から荒波に放り出されたJR四国は瀬戸大橋開通後、瀬戸大橋と新幹線接続を武器に高松から大阪まで3時間圏を実現します
(JR四国発足時には瀬戸大橋の開通を翌年に控えて宇高連絡船は1日平均12,000人が利用していましたが本四備讃線開通後は岡山駅からの新幹線と接続する事で利用者増が見込まれていた)
本四備讃線開通後は岡山に直結する特急と快速マリンライナーが運行され、児島-坂出間が15分、高松まで30分となって新幹線乗り継ぎで高松-大阪間は3時間を切った事により連絡船時代の2倍の利用者を獲得し、飛行機からも移行客を獲得することが出来た(ノ゚ο゚)ノ
当時四国には高速道路がわずかに11kmしかなく、滑り出しは順調でしたが、4年後には高松から高知まで開通する予定で、延伸後は車に利用者を奪われるという大きな危機感をJR四国は持ってました
しかし、松山・高知へは最高時速110キロのキハ185では大阪まで4時間を切る事は不可能でした( ´(ェ)`)
この四国の鉄道の高速化こそが生き残りをかけた至上命題であり、その為の車両の開発の成否がJR四国の命運を握っていた~
JR四国 2000系開発秘話振子気動車に懸けた男たち 福原俊一 交通新聞社新書 090電化されていない四国では気動車の振り子式車両は不可能だと言われてましたが、高速道路の開通まで猶予の無いJR四国は曲線通過速度を20~30キロ上げて、25%の勾配での均衡速度は95キロで最高速度は120キロの車両の開発を制御付振り子で目指しました
なぜ気動車の振り子が実現困難なのかというと、電車では車体と台車の間は電線で繋がっていますが、気動車はエンジンや推進軸が台車と直結していて振り子が傾くときに邪魔になるし、電車より重くて出力も弱かったので高加速性能が必要な振り子車両には向いていなかったようです
この大問題をJR四国(富士重工)と鉄道総合技術研究所とが振り子の邪魔にならないベアリング方式の推進軸の開発に成功して世界初の制御付振り子気動車の実用化に見通しが立ちました
スピードアップのためには車両のほかに軌道の強化も必要で停車時間の短縮の為の行き違い設備の増強や線路の犬釘の改良工事も行いました
そして、ついに1989年世界初の振り子式気動車2000系の営業運転が先行試作車の「TSE」によって開始、岡山-高知間を1日1往復700kmを走行し、致命的なトラブル遅延もなく好評で、翌年に量産型35輌が投入されました
TSE (Trans Shikoku Experimental 四国横断実験)
2000系気動車
このTSEも、製造から30年を経て老朽化で3月のダイヤ改正をもって引退しました
JR四国の高速道路の延伸との戦いは3月29日の根室本線と石勝線開業でも書きましたが、JR北海道の石勝線とキハ183系と頭の中で重なってしまうのです30年経ってキハ183もTSEも引退してしまいましたが、鉄路を取り巻く環境も大きく変わり、急激な人口減少もあって路線網の維持が難しくなっているようです
収入252億円に対して経費が366億円を要する
100円稼ぐのに145円かかる計算で本州と四国を結ぶ瀬戸大橋線を除く路線が赤字とのこと
最も気になるのは四国運輸局が2017年5月に公表した平成40年度の需要見通しで、15年度比で予土線は37%減、予讃線は13%減、全9路線で2桁台の減少率が並んで経営環境の悪化に拍車が掛かりそう
今まで、全く鉄道を利用する事が無かった私もウォーキングを始めたのを機に積極的にJRを利用するようになりました
路線の無い所、接続の少ない所は無理ですが、可能なかぎり列車を利用すると身軽だし、全体力をウォーキングに投入できるので重宝してます(残念ながら特急は利用してませんが(^▽^;))
JR四国には四国再発見早トクきっぷもあり、上手に使えばお得ですよ~
皆さんも是非利用してくださいね
それにしても、31年前の国鉄分割民営化の意図はと、色々と憶測してしまいます
VS
まさに、
道民の予想どうり (ノ゚ο゚)ノ
そうそう、昨日は瀬戸大橋開通30周年の記念日でした
色々なイベントがあり、中には中止されたりしたものもあったようですが・・・
なんと、サロンカーなにわがサロンカー伊予路として予讃線を松山まで走るらしい
国鉄時代に14形客車を改造して造られたそうで、瀬戸大橋開通前にも宇高連絡船で四国に航送されたこともあるという
今回、なぜ伊予路として愛媛に来るのかは知らないけれど、昨年DE10の重連での牽引でサロンカー土佐路として高知にも行ってる
そういえば昨年10月に台風21号のさなかに訪れた第24回きしゃぽっぽまつりでDE10 1139にヘッドマークが取付られていました
さて、
そのサロンカー伊予路ですが、何も知らない私にLTEさんがそれとなく知らせてくれた
出られる状況では無かったのですが
折角の機会なので自転車で直前に第1大町踏切へ
いつもの第1大町踏切に到着
よかった間に合ったよぉ~
警報機が鳴り始めた
こういう時に限って踏切待ちの車が~
私の愛機はスマホなのでヘッドマークまで撮ろうとすると失敗しそうな気がするので少し離れて全体が撮れれば上出来かなって感じです
いよいよサロンカー伊予路がやって来る
誰やこんな時に携帯鳴らしてくれるのは
撮り鉄してるのを見て嫌がらせか~
来ました
トワイライトエクスプレスみたい
EF65 1124 読み取れました
ヘッドマークは「サロンカーなにわ」ってなってるようです
機関車に客車が5両牽かれていきました
思ってたよりも客車が少なかったですね
最後尾も拡大してみると同じヘッドマークのようですね
この列車は伊予西条駅で四国鉄道文化館に寄って松山へ向かい、翌日(4月11日)に折り返してくるようです
30年と言えば列車でも耐用年数に達するのか置き換えが進みますが、我パジェロも1989年4月新車登録なので来年30周年アニバーサリーを迎えますが、何か盛大なイベント考えないとね
(*>ω<*) アブナカッタ! アヤウクショウワノレトロシャニナルトコロダッタ
では、また
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