前回の不動堂から仙龍寺折返しから続きます

 

 

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茂兵衛道標

 

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地蔵峠を越えて三角寺へ
 
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三角寺から江戸時代の遍路道を大西神社まで辿り出発地点へ戻ります
 
市仲の集落の外れの車道と三角寺への遍路道の交差地点まで戻ってきました
 
ここからは往路に越えた峰の地蔵尊(標高491m)、堀切峠よりも高い地蔵峠(標高773m)を越えるため、峠まで全て登り坂となります
 
14時56分車道を通過しました
 
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14:58 
往路では、ここまで登って確認した10丁石です
 
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15:01
11丁石かな
 
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15:02
先ほどの車道がくねくねと曲がりながら標高を上げて行ってるようです
 
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15:03
へんろ道はまっすぐ登りますので何度も車道と交差します
 
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15:04
ここまで一直線に登ってきましたが、ここはどうしたんでしょうか遍路道が柵で囲われて通ることが出来ませんガーン
 
車道をまわってこの先に出ます
 
柵の中の丁石は写真を拡大してみると12丁石のようです
 
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15:05 ②
そのまま車道から左へ入ります
 
車道とはここで離れて再び交差することはありません
 
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15:06
植林の中を進みます
 
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15:07
13丁石
 
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15:10
14丁石
 
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15:12
15丁石かな
 
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15:14
おそらく16丁石
 
17丁石は見落としたようだ
 
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15:17 
桜の馬場 (標高671m)
 
緩い傾斜地に馬場桜と鉄塔、近くに18丁石が立っています
 
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15:23 
ここまで、18.15km
 
草刈お接待
この先30メートルへんろ道維持にご協力をとの事ハート
 
この先とは下り方面の事かな?そっちの方向は現在草が伸びていないので蔓を切って協力しましたが、この剪定ばさみの収納するケースのプラスチックが劣化しているので、暫く経つと収納できなくなるかも
 
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15:26
摩耗して読めない丁石
 
15:30
これも読めない丁石
 
15:32
23丁石かな
 
15:36
25丁石かも
 
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15:38 
地蔵峠(標高773m)
 
4体の地蔵さまが佇む地蔵峠まで登ってきましたキラキラ
 
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15:38 ④
左端は26丁石、次は仏海による地蔵道標、三番目も地蔵道標、右端の頭部の無い地蔵は不明
 
仏海(1710~1769)は木喰僧で2年間奥之院に滞在して千体地蔵を製作したと伝えられているという
 
道標に刻まれている寛保3年(1743)は彼の奥之院退山の年との事
 
えひめの記憶
伊予の遍路道(平成13年度)
 
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15:40 
ここまで18.15km
 
地蔵の反対側には茂兵衛道標の近くでも見かけた奥之院の案内を掘り込んだ道標も立っていましたが、26丁の地蔵丁石の前に立つこの案内板には奥之院まで二十丁となっている

ここにも草刈お接待の鎌がありましたが、地蔵峠のすぐ手前の奥之院側には竹藪化しそうな場所があり、遍路道の維持には草刈が必要です
 
チョット切れ味が悪くて上手く刈れませんでした
 
 
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15:48
 峠を越えると緩やかな高原状の傾斜地を下ります
 
左は荒れてますが市民の森のキャンプ場でしょうか?
 
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15:50 
 しばらく植林の中を歩くと稜線を通る車道と交差します
 
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15:51 29丁石かな      15:59 30丁石かな
16:00 31丁石かな      16:02 32丁石
 
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16:07 ⑦
またまた草刈お接待が用意されていましたが、もう16時を過ぎていますので申し訳ないですがここは素通りさせていただきました
 
地蔵峠を越えた辺りから右足のくるぶしの上が登山靴のハイカット部分と接触して痛むようになりました
 
この靴は何度も履いているのですが、今日は歩くと激痛が走るので、緩やかな下りですが倍以上の時間をかけて進んでいますえーん
 
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16:10
檜平・・・なんでしょうか?
 
ベンチでもないみたいだし~
 
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16:11 
35丁石
 
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16:12
36丁石だろうと思う
 
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16:13 
37丁石
 
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16:14  16:20
16:21  41丁石かな
 
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16:24
 ここにも草刈お接待が
 
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16:25
42丁石
 
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16:28 
 雨除けの休憩所でしょうか?水場と柄杓も有ります
 
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16:35
 
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16:36 
47丁石
 
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16:38
48丁石
 
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16:41
 
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16:46  標高440m
沢を渡ります
 
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16:50 ⑬ (標高427m)
茂兵衛道標
 
四つ角に立つ、三角寺は右へ
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奥之院まで 五十六丁
三角寺まで 二丁
弐百五十一度目為供養 願主 中務茂兵衛義教
 
此処から三角寺まで2丁以上有る様な気がしますが...
 
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16:53
 地蔵の土台でしょうか
 
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16:56 
 植林の中を抜けました
 
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16:57                        16:58 ⑮ 標高404m
16:59 ⑮
振り返り写真  左へんろみち
 
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17:01 標高390m
舟形地蔵丁石
 
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17:02 
振り返り写真
石垣の元に舟形地蔵丁石
 
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17:03 
ここはまっすぐに下ります
 
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17:04
畑の中の遍路道を下ります
 
そろそろ三角寺かなと思いましたがなかなか現れません
 
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17:04
 
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17:05 
遍路道に動物除けの扉が設置されていました
 
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17:09 
本堂前の石段の下まで辿り着きました
 
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17:11 
振り返り写真
 
石段を登った正面が本堂
 
石段の右手には茂兵衛道標が立ってました
 
あれれ、手印は石段の方ではなく右を差しているぞびっくり
 
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17:11 
奥の院 是より五十八丁 中務義教
壱百七拾六度目為供養建之 發願主 中務茂兵衛義教
 
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17:11
手印の方を辿ると境内から先ほどの道に通じていた
 
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17:12
先ほどの遍路道
 
ここで左に入れば本堂前の茂兵衛道標へまっすぐに辿りつけます
 
まっすぐ下ると本堂前の石段登り口に出る
 
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17:13
三角寺本堂
 
天正の兵火で焼失し、嘉永2年(1849)再建
 
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17:14
樹齢3~400年の山桜
小林一茶が寛永7年(1795)に詠んだ
「これでこそ 登りかひあり 山桜」
 
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17:17
大師堂
ここまで21.93km
 
右脚をひきづりながらでも降りて来ることが出来ました
 
お大師様に感謝です
 
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17:19
 
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17:19
三角池と弁財天
寺伝によれば、聖武天皇(在位724?49)の勅願のもと行基菩薩により開創した由霊山三角寺に、弘仁6年(815)に弘法大師が訪れる。大師は、本尊の十一面観音像を彫り、さらに、不動明王像も彫り、三角の護摩壇を築き21日間、国の鎮護を祈念し「降伏護摩の秘法」を修法されたとのこと。この護摩壇の跡が庫裡とささやかな薬師堂の間にある弁財天の祀られるこの「三角の池」の中の島である。
 
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17:24
仁王門の鐘楼を突いて三角寺を後にします
 
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17:24 
最初に登ったのは昔の石段だったのでしょうか、奥之院の石段に似てましたが、こちらも自然石ですが随分と登りやすくなってますね
 
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17:31 A
あらら・・・らら
 
ぽつりぽつりと雨粒が落ちてきたと思ったらどしゃ降りになりました~ガーン
 
傘まさか、今日は雨具を着ることになるとは思わなかったですが、トイレで着用して出発です
 
金田小学校跡までまだ4kmほど有ります
 
 
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東海図版の地図によると商店横の小道を行くと川沿いにまっすぐ辿れるはずです
 
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17:34
小道にしてはやや広いですが、この道くらいしか「商店横の小道」は見当たらないのでここを下ってみます
 
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17:38 B
う~ん、道がわからない
 
雨の中この畑で作業している方がいましたので聴いてみると、今はもうその道は通れないとの事で四国のみちを行かなければならないという事でした
 
 
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17:53 C
三角寺から椿堂へと旧県道を通って続く四国のみち
 
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17:57 D
西金川の集落
 
 
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18:07 E 振り返り写真
遍路道標らしい石柱 
 
折角雨具を着たのに雨はほどなく上がり日が射して来ました
 
山道の下りでは痛んだ右足も車道ではそれほど痛みはなく、順調に歩くことが出来て助かりました
 
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18:21 F
三角寺口バス停
 
旧の県道5号線に出ました
 
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18:26
かなり薄暗くなってきましたが振り返ると夕焼けと越えてきた尾根(左端)がはっきりと見えています
 
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18:33 G
夕やみ迫るなか、金田小学校跡に到着です
 
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市仲の外れから等高線に垂直に登り地蔵峠を越える
 
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尾根を越え三角寺へ
 
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三角寺から四国のみち経由で出発地点へ
 
今回は標高472mの茂兵衛道標のすぐ上の車道との交差地点から標高773mの地蔵峠を越えて三角寺を参拝のあと四国のみち経由で出発地点へと戻ってきました
 
歩行距離は26.05kmで休憩等含めて所要時間は12時間14分の行程でした
 
ブログを書いているうちに発見したえひめの記憶の記事でもかつての遍路道の概要がおぼろげながら浮かんできました
 
江戸時代の丁石、石畳が多く残るこのルートを辿ると往昔のお遍路さんとすれ違う様な錯覚が起こるほど趣き深い道でした
 
今回も長くなり、計画も含めて7回にも渡りましたが最後までお付き合いいただきましてありがとうございました
 
南無大師遍照金剛
 
では、また
 
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