母の死(7) | みかどクリニックのブログ 福岡市中央区大名

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【内科、漢方内科】

患者の権利に関するリスボン宣言のなかに「患者は尊厳のうちに死ぬ権利をもっている」と明記されている。しかるになぜ、かくも安易に我が国では医療の過剰介入を許して多くの人が「死に時」を逸し、病院でだらだらと生かされ、挙句に、悲惨で非人間的な最後を迎えるのだろうか。



その昔、欧米の異邦人たちは江戸を生きた日本人の確たる死生観に驚かされた。


日本人の死を恐れないことは格別である。むろん日本人とても、その近親の死に対して悲しまないというようなことはないが、現世からあの世に移ることは、ごく平気に考えているようだ。かれらはその肉親の死について、まるで茶飯事のように話し、地震火事その他の天災を茶化してしまう。」

「死は日本人にとっては忌むべきことではけっしてない。日本人は死の訪れを避けがたいことと考え、ふだんから心の準備をしているのだ

「いつまでも悲しんでいられないのは日本人のきわだった特質のひとつです。生きていることを歓びあおうという風潮が強いせいでしょう」



異邦人の記録から、今からほんの150年ほど前には日本人は彼らが驚嘆するほどの確たる死生観をもっていたことが分かる。しかるになぜ今・・・・?生きる覚悟、死ぬ覚悟をもたずに仕事、生活に流されている人が余りに多い。ただただ、与えられた環境に従属するばかり・・・自分から悪いことは悪い、変えるべきことは変えることがなぜできない。


果たして、こんな民族に明るい未来はあるのだろうか・・・。 つづく