母の死(6) | みかどクリニックのブログ 福岡市中央区大名

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【内科、漢方内科】

どうすれば安らかに死を迎えられるのであろうか?看取りに医療の過剰介入させないためにはどうしたらよいのであろうか?

その第一は、「老いの文化」「死の文化」をその現場に取り入れることにある、と私は考える。江戸の「老いの文化」を現代にそのまま持ってくることは現実的に難しい。しかし、「死の文化」は連綿と受け継がれている。例えば、お盆の先祖供養である。

13日の夕方に迎え火を焚き、先祖の霊を迎える。期間中には僧侶を招きお経や飲食の供養をし、16日の夕方に送り火を焚き、御先祖さまにお帰りいただく。魂などない、死んだらゴミになるだけと主張する者でも、お盆になれば無意識のうちに仏壇やお墓の前で手を合わせる。私たち日本人には、「魂」の概念を看取りの現場に持ち込むことにそんなに抵抗はないのではないだろうか。


野口晴哉の最後を看取った妻の野口昭子さんは、「回想の野口晴哉 朴歯の下駄」のなかで次のように記している。




「私は、先生が私に遺してくれた最大の教えは、あの亡くなる二日前に、はっきりと示してくれた“魂の離脱”だと思っている。

あの時、私は何故一人きりで離れて座っていたのだろう。先生は何時もの椅子に斜めに腰かけて、陶然と何を夢みていたのだろう。微かな笑まいさえ浮かべて・・・・・。

その時だった、すうっと一筋の白い煙のようなものが先生の背後から立ち昇っていったのは。

死とはこういうものさ”私は今でも、先生がそう語りかけているような気がする。」



フランスでは、「老人医療の基本は、本人が自力で食事を嚥下できなくなったら、医師の仕事はその時点で終わり、後は牧師の仕事です


フランスに出来て何故日本に出来ないのか?日本は文化の後進国なのか?確たる死生観をもたない医師に看取りのすべての実権を握らせてよいのだろうか。死にゆく人の魂の安らぎ、浄化など考慮する必要はないとでも言うのだろうか。いつから日本はそんな次元の低い文化国になったのであろうか。現代科学が万能とでも考えているのであろうか・・・? つづく