母の死(5) | みかどクリニックのブログ 福岡市中央区大名

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【内科、漢方内科】

最近の遺体が重たいのは、死の間際における医療の過剰介入(経管栄養、点滴、胃瘻など)にある。栄養や水分などの過剰注入によって枯れるように死んでいけないからである。多くの人が「死に時」を逸し、病院でだらだらと生かされ、挙句に、悲惨で非人間的な最後を迎える。

欧米には寝たきり老人がいなのをご存知だろうか。

その理由は、高齢者が終末期を迎えると食べれなくなるのは当たり前で、経管栄養や点滴などの人工栄養で延命を図ることは非倫理的であると、国民みんなが認識しているから。逆に、そんなことをするのは老人虐待と考える。フランスでは、「老人医療の基本は、本人が自力で食事を嚥下できなくなったら、医師の仕事はその時点で終わり、後は牧師の仕事です



欧米と日本では、なぜかくも老人医療の在り方が違うのか???宗教の違いだけで済まされる問題では決してない。一秒でも、一分でも生き長らせることが医学だと考える医師が日本には多い。しかし、死生観のない医学はむしろ暴力に近いことを知るべきである。

日本では、延命措置をおこなわずに看取りをする病院がきわめて少ない。その理由のひとつに、診療報酬の問題がある。特別養護老人ホームなどの介護施設はどうか。ほとんどの施設には常勤の医師がいないので、終末期が近づくと入所者は病院へ搬送される。そして、延命措置が始まる。常勤医師がいる老人介護施設ですら、病院へ搬送されることが多い。グループホームや自宅で、延命措置をおこなわずに看取るためには、自然の看取りを理解して訪問診療してくれる医師が必要になる。

医療の問題以外として、権利意識の強くなった家族の問題がある。「自然死」への強要や誘導をしようものなら後で何を言われるか分からない。大変な騒動に巻き込まれる可能性すらある。


いかに生きるか、いかに死ぬかはその人間そのものの人生の問題である。医療で解決できる問題ではない。「老」「病」「死」は自分で引き受けるしかない。向き合わなければならない。

私は、70歳後半の患者さんにはよく言う。

「死んでいく人間にも責任がある。どのように死んでいくか。

孫に、「おじいちゃん、おばあちゃんのような見事な死に方を、僕は、私は、お母さんやお父さんにしてあげる」「老いる姿」「死にゆく姿」をあるがまま後に残される者たちに「見せる」「残す」「伝える」という責任である。  つづく