母の死(8) | みかどクリニックのブログ 福岡市中央区大名

みかどクリニックのブログ 福岡市中央区大名

福岡県福岡市中央区大名
みかどクリニックの公式ブログ
【内科、漢方内科】

イギリスでは、「老いた」という理由だけで子に従い世話になる、という思想自体がない。親が子供に介護されることはまずない。しかし、個のアイデンティティの強い欧米とは異なり、日本では個よりは全体の調和を重んじる。老いては子に従い、となる。最近では、子供の世話にはならないという親も増えてきてはいるが・・・。

そろそろ日本においても、子に頼らない老後の覚悟をもてる社会づくりが必要になってきているようである。

子供たちに面倒をかけることなく、安らかに、魂が浄化されて死んでいく看取りとは?


私が提唱するのは、二十五三昧講の現代版である。

二十五三昧講(三昧会)は、986年(寛和2年)に比叡山内横川にあった首楞厳院で、25人の僧が結集して結成された念仏結社である。この結社の性格は、極楽往生を希求する念仏結社であり、月の15日ごとに僧衆25名が集結して念仏を誦し、極楽往生を願った。彼等の「発願文」に、善友の契りを結び、臨終の際には相互に扶助して念仏することを記していた。・・・・・




老人介護において、若者では老人の気持ちや心情は理解できない。

理解しようとすること自体に無理がある。

年老いていかないと、老人の気持ちは分かるものではない。

死にゆく者に対して、

明日は我が身と思えるからこそ、親身になって、その身の世話ができるのである。


私が提唱する二十五三昧講の現代版」は

老人の、老人による、老人のための看取りである。


次回、その詳細を述べて「母の死」は終わりとしたい。 つづく