母の死(2) | みかどクリニックのブログ 福岡市中央区大名

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【内科、漢方内科】

母の死で分かったこと、それは看取り方の大事さであった。人生の荒波にもまれて人は成長するが、それはあくまでも精神の高まりであったり、他を許す器の大きさであったり、性格の丸みでる。魂レベルの浄化は、そう簡単にできるものではない。


しかし、肉体から魂が離れる瞬間には魂は浄化される。浄化されてあの世へと旅立つ。


私はこのことを母の死によって確信した。


三角家の跡取りとして、私が最も気を付けたこと。それは、母親が恨み、辛みを残して死ぬ。このような死に方だけは決してやってはいけない。このことだけは肝に銘じて生前の母には接した。遺恨を残すようでは、子として、跡取りとして失格である、と。

しかし敵もさるもの、そう簡単にはいかない。血がつながっている分、余計に母への苛立ちや怒り、感情の高ぶりは禁じ得ない。互いに未熟者同氏である。そう簡単に事は進まない。正直、右往左往の連続であった・・・・。




神は退屈に違いない。それ故、退屈しのぎにこの世という舞台をつくり、未熟な人間に演技させた。喜怒哀楽、恨み、辛み、人を愛する歓び、悲しみ・・・。そして、人間は神の予想をはるかに超えた名演技をした。


舞台を降りるとき、観客から拍手喝さい!!名演技をした舞台俳優冥利である。私たち人間もまた人生の舞台から降りるとき、つまり死ぬとき、拍手喝さいがあって然るべきである。ブラボー!!!



今だったら、はっきりと母に言える。


「お母さん、あなたはよく頑張った!

あなたの子で良かった、と」


しかし、生前は、世話をする姉とよく話したものだ。「母が死んだとき、お互いどんな顔をするのだろう・・・」(つづく)