母の死 | みかどクリニックのブログ 福岡市中央区大名

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【内科、漢方内科】

本年(平成28年)の3月、母が亡くなった。享年92歳。母の死によって、看取りの重要性、どのように最後を看取るかの重要性を体験することができた。


母は業が深く、他への思いやりの欠ける性格であり、子としては決して自慢のできる母親ではなかった。しかし、最後は見事であった。死の2か月前ころから、自力歩行ができなくなり車いすの世話になり、姉が身の回りの世話をするようになった。食欲も落ちてきたが、近くの中華レストランやホテルのバイキングにはよく通ったが、口にするのはスープとケーキ類が少し。食欲はなかったが、子供や孫に囲まれて食事をするのが嬉しくて、「ありがとう」をよく口にするようになる。


ベットに寝たっきりになったのは死の10日前、私がベット横で声をかけると目を開けて微笑むが、声を出すことはなかった。最後は、マンションの一室で子や孫に囲まれて何ら苦しむことなく安らかに息をひきとった。病院や老人ホームではこのような安らかな死はなかったであろう。


母の死で、人間は死の間際で魂の浄化、更には魂の次元上昇が行われることを痛切に身をもって体験することができた。13年前に91歳で亡くなった父は生前は村の皆から頼られた人格者であったが、その父の魂のレベルを母は亡くなる寸前に越えたのではないだろうか。それほど見事な死であった。


人生には運、不運は付き物であり、人の一生は自分の思い通りにはなかなかいくものではない。人生の成功者もいれば、失敗者も当然いる。また、性格だってひねくれたり、曲がった人もいる。誰しもが聖人君子にはなれるものではない。まさに、人生いろいろである。


しかし、死は間違いなく誰にでも平等にやってくる。未だかって死を免れた人間は歴史上誰一人としていない。死を前にして、貧富の差や社会的地位、性格の善し悪しはない。死を前にして皆、平等である。


誰でも安らかに旅立つことができる。生前の魂の穢れを浄化して、更にはその魂をレベルアップして!!


問題は、看取りの仕方にある。(つづく)