母の死(3) | みかどクリニックのブログ 福岡市中央区大名

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【内科、漢方内科】

「三角さん、悲しいけど人間は野生の動物のように独りでは死んでいけない。他の厄介になりながら死んでいくしかない」


私の学問の師・宮沢秀明工学博士の晩年の言葉である。



確かに人間は、野生の動物ように死期を自覚して亡骸を見せることなく独りで死んでいくことはできない。しかし、人間には死の文化がある。自らの生命を賭して他のために生きた歴史がある。



我々の先人はどのような「死の文化」を築いたのであろうか。江戸から明治の初期に来日した欧米の異邦人たちが書き記した資料から考察してみる。


「日本人の死を恐れないことは格別である。むろん日本人とても、その近親の死に対して悲しまないというようなことはないが、現世からあの世に移ることは、ごく平気に考えているようだ。かれらはその肉親の死について、まるで茶飯事のように話し、地震火事その他の天災を茶化してしまう。」



「死は日本人にとっては忌むべきことではけっしてない。日本人は死の訪れを避けがたいことと考え、ふだんから心の準備をしているのだ」


「いつまでも悲しんでいられないのは日本人のきわだった特質のひとつです。生きていることを歓びあおうという風潮が強いせいでしょう」「逝きし世の面影」(渡辺京二)



江戸に生きた人たちは、見事な「死の文化」をもっていた。しかるに、現代はどうであろうか。死が余りに日常生活から遠ざかかってしまった。年老いた者ですら、死を考えて生きていない。若作りをして生にしがみついている。また、現代医療の過剰介入によって自然に枯れるように安らかに死ぬことすらできなくなってしまった。(つづく)