ハーブの歴史 ~日本の和漢編~です

『日本における薬草治療・和漢』
日本の医薬・医療・温泉の神様は『古事記』や『日本書紀』の伝えにより
大国主神と少彦名神とされています。
出雲神話によれば隠岐島から本州に渡る際に
ワニをだまして海を渡ったウサギが怒ったワニに赤裸にされてしまいます。
通りがかった神様たちが海の水で体を洗い乾かしなさいといったもののまったく治らず困っていると
次に通りがかった大国主命が池の水で体を洗い
がまの穂に包まっていなさいといったとされています。
海水には塩分により傷の化膿止めの働きがあり
蒲の穂には『穂黄』とよばれる花粉に止血剤・鎮痛剤の効能がありました。
飛鳥時代4世紀中ごろ、大和朝廷の時代に朝鮮医学が伝わります。
6世紀半ばになると、仏教の伝来により古代インド医学の知識が伝わり
(仏典では僧が医療も担当していました)
7世紀に入ると遣隋使・遣唐使の留学により、中国医学制度を導入します。
8世紀には唐の高僧である鑑真和上が来日し唐招提寺を開き律宗を開山します。
鑑真和上は医薬の知識に長けていました。
『鑑真秘方』を伝承し、皇太后の病気を治したといわれています。
正倉院には今もこの当時の薬物が保管されています。
9世紀になると、日本最古の医書『医心方』が宮廷医・丹波康頼により著されます。
中国資料より抽象論などは削り、より具体的で実用的に処方もシンプルにまとめました。
15世紀になると田代三喜が宗教と医学を分離します。
16世紀になると曲直瀬道三が腹診術を開発し
自己経験と古書の叡智をあわせて日本の実情に適合した日本医学を革新しました。
日本の漢方は17~18世紀に開花したとされています。
日本独自の簡潔を旨とし、実証を重んじる漢方医学を確立していきました。
18世紀後半にはオランダ医学(蘭方)が盛んになります。
1805年華岡青洲が世界に先駆けて漢方薬で全身麻酔に成功し、乳がんの手術を行いました。
水戸の偕楽園の梅の木は小石川後楽園から持ち帰ったものですが
小石川後楽園近くには診療所があり 和漢治療が盛んに行われていました。
時代劇に良く出てきますね
